佐保山 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《佐保川》

若草山東麓を走る柳生街道の石切峠付近に発し、若草山北側を回り込むようにして奈良盆地へ出、奈良市街北部を潤す。奈良市新大宮付近から南流に転じ、奈良市と大和郡山市との境で秋篠川を併せる。大和郡山市街東部を南流し、同市南端付近の額田部で大和川(初瀬川)に注ぐ。

 

・・・「法蓮橋」を渡るとすぐに御陵があります。

 

 

《佐保山南陵・東陵(聖武天皇陵・光明皇后陵)》

630-8113奈良市法蓮町

多聞城跡のすぐ西隣。この佐保山一帯には元明・元正天皇陵など奈良時代の天皇や皇族の陵墓が数多くつくられました。 聖武天皇陵には「眉間寺」という古代の寺院が在ったとされます。また、この辺り一帯は松永久秀による多聞城の築城等により大きく破壊されたようです

《参考》宮内庁

http://www.kunaicho.go.jp/info/ryoubo1.html

期間:平成25年9月12日(木)~平成26年1月31日(金)

聖武天皇陵及び隣接する聖武天皇皇后陵において拝所周辺の整備工事を実施するため、工事期間中、参拝を停止させていただきました。

 

 

《眉間寺(みけんじ)遺跡》

「聖武天皇佐保山南陵」から「一条通り」を少し西へ行って、直ぐ右に曲がり北へ向うと、佐保保育園の前を通って坂を上った★「奈良地方気象台」の門前に、道を挟んで「眉間寺遺跡」碑が建っています。現在、寺院の痕跡はなく、碑だけですが、律宗佐保山「眉間寺」は、聖武天皇御願・行階僧都の開基と伝えられ、古は「眺望寺」とも云い、1164年頃(長寛年代)化人が現われて眉間より光明を放つこと半時ばかりにして化し、その跡に舎利2粒があったので、勅により「眉間寺」と称し、東大寺「戒壇院」の末寺で、鐘楼や「多宝塔」等も建っていたが、1862年(文久2年)寺院が撤去され、明治維新で廃寺になりました。

 

《奈良地方気象台》

630-8111奈良市半田開町7-1

http://www.jma-net.go.jp/nara/

明治30年1月1日 奈良県立八木測候所(2等測候所)として設立

昭和14年11月1日 国営移管により八木測候所と改称

昭和17年3月30日 橿原測候所と改称

昭和18年11月1日 文部省より運輸通信省に移管

昭和20年5月18日 運輸通信省が改組され運輸省所管となる

昭和28年4月1日 橿原市から奈良市(現在地)に移転し奈良測候所と名称変更

昭和32年9月1日 機構改革により地方気象台に昇格

平成13年1月6日 運輸省は国土交通省となる

平成25年10月1日 組織改編により課制廃止となる

近畿地方整備局は「奈良地方気象台建築工事」を一般競争入札し、2億7700万円で新井組に決めた。2015年10月29日に開札した。工事は新たな敷地に奈良地方気象台の庁舎を★新築する。建築工事として庁舎、自動車車庫、自転車置場の新築、外構関係、エレベーター設備を新設する。庁舎はRC造地下1階地上2階建て塔屋1層延べ1382平方㍍。自動車車庫は木造平屋26平方㍍、自転車置場は木造平屋6平方㍍。このほか、囲障、屋外排水設備、舗装、雑工作物、樹木新植、エレベーター設備、取りこわしを各一式。建設地は★奈良市西紀寺町12-1。2016年12月20日まで。

 

《多聞城》

630-8113 奈良県奈良市法蓮町1416-1/0742-26-3273

http://www.naracity.ed.jp/jhs01/index.cfm/8,html

http://www.naracity.ed.jp/jhs01/index.cfm/30,9314,17,html

石段の上が★若草中学校で、現在は城碑のみが、近世城郭の先駆といわれた多聞城のあったことを伝える。1560年(永禄3)松永久秀が、大和支配のために、奈良の町を一望できる東大寺北方丘陵に築いたのが多聞城であった。標高115mの★眉間寺山に築かれた平山城。松永久秀は眉間寺山の名称を多聞山(たもんやま)と改称し、城を多聞城と称した。単に戦のためだけを考えた城でなく、日常生活もし、大和一国を支配するために政庁としても機能する城として多聞城を築く。城はやがて織田信長に明け渡され、築城からわずか20年足らずで筒井順慶によって破壊された。昭和22年に多聞城跡に若草中学校が建設されましたが、残念ながら当時は文化財保護法がまだ制定されていなかったため、事前に学術的な発掘調査は行われませんでした。そのため、多聞城の詳細がかなり不明になってしまいました。城跡は若草中学校内にあるため原則見学不可だが、近くの若草公民館に多聞城復元模型や、多聞城、城主、歴史等についての資料展示などがあり見学(無料)できます。

 

《参考》「若草公民館」奈良市川上町575

●開館時間9:00~17:00●休館・定休日:月曜日・国民の祝日・年末年始

http://manabunara.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=9

http://manabunara.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=6843

 

・・・「多聞城跡航空写真」にくっきりと「少年刑務所」が写っていました。

 

 

《奈良市水道局計測室》630-8103奈良市興善院町2-18

設計:不詳/竣工年:明治後期

1567年の戦火で焼失、寛文年間(1660年代)奈良奉行中坊時祐によって現地に当時の姿で再建、大正12年3月3日史跡に指定された。

 

《夕日地蔵》室町時代後期1509年(永正6)花崗岩/高:240cm

興福寺の僧 浄胤が逆修供養(死後の冥福を祈って生前に仏事を行う事)の為造立した。

ならざかの いしのほとけの おとがいに こさめながるる はるはきにけり 会津八一

 

 

《北山十八間戸》630-8202奈良市川上町492-2

鎌倉時代の中頃、忍性により建てられた慈善救済施設(当初は般若寺の北東に建立)。

《NEWS》「忍性展」名僧の功績伝えねば

現在の三宅町屏風で生まれ、病人や貧しい人を救済した鎌倉時代の僧・忍性(1217~1303)の功績を広めようと、県内の僧侶2人が絵本の出版や、新たな木像の制作に奮闘している。来年で生誕800年を迎える郷土の偉人に、2人は「自分を律して民衆のために生きた名僧の生涯を知ってほしい」と願う。忍性は、ハンセン病患者を収容する日本初の施設「北山十八間戸」(奈良市川上町)を作ったとされる。後半生は極楽寺(神奈川県鎌倉市)を拠点に関東で活躍した。絵本を作ったのは、三宅町にある浄土寺の藤田能宏住職(72)。忍性の700回忌を控えた2000、極楽寺などの呼びかけで、生誕地に記念碑を建てる企画が浮上した。藤田住職と檀家が土地を提供して翌年建立されたが、それまでは藤田住職自身も、忍性について「名前を知っている程度だった」という。しかし、これを機に藤田住職は忍性に魅せられた。特に、栄養のある食べ物を他人に譲り、自身は最小限の食事しかとらなかったという逸話に打たれ、「まねができない清らかな精神を伝えたい」と07年、知人の作家らの協力を得て絵本を出版。6000冊を地元の小学校などへ無料で配った。その後、自坊に忍性の木像を祀ろうと発願。当時、東京芸術大大学院で彫刻や文化財修復を学んでいた橿原市の僧侶で仏師の吉水快聞さん(34)に制作を依頼した。吉水さんは極楽寺の「忍性菩薩坐像」(鎌倉~室町時代、像高86・5センチ)を拝観し、忍性の生涯を学んだ。大学院を修了した11年春、奈良市に工房を構えると、偶然にも北山十八間戸の近くで、「忍性とのご縁が深まった」と感じたという。12年に実家の正楽寺の住職を継ぎ、多忙になったが、合間を縫って木像の制作を続け、来年中には完成予定。吉水さんは「忍性がハンセン病患者に優しく接することができたのは、『救いたい』という意思が強かったからだと思う。そんな優しさと強さを感じさせる『平成の忍性像』を彫る」と気迫を込める。奈良国立博物館では、19日まで特別展「忍性―救済に捧げた生涯」(読売新聞社など主催)を開催。藤田住職の絵本は同館売店で購入できる。10日午後1時半からは無料の公開講座「三つの忍性墓について」(定員194人)も開かれる。

 

《参考》荒川洋治詩集『北山十八間戸』刊:気争社

平成21年(2009)の『実視連星』以来、7年ぶりの詩集となる。2010年の発表作から16篇が収められ、書名となった「北山十八間戸」は、「現代詩手帖」2015年1月号に掲載されていたものです。

 

 

《奈良少年刑務所》

630-8102奈良市般若寺町18/0742-22-4960

http://www.moj.go.jp/KYOUSEI/KEIMUSAGYO/sagyo/sisetu_nara-shonen.html

《NEWS1》2016.9.13産経WESTより

今年度中に受刑者の収容が停止されることが決まっている奈良少年刑務所(奈良市)で10、11日、刑務所の一部を開放し、刑務所製品の販売などを行う「第26回奈良矯正展」が開かれた。“最後の矯正展”を見ようと県内外から大勢の人々が訪れ、来場者は美しい建物を写真に収めるなどしていた。地域住民に刑務所での教育や職業訓練内容を紹介し、理解を深めてもらう目的で毎年開催。近畿圏の刑務所で作られた革製の靴や、木製のおもちゃ、キッチン用品など、さまざまな製品を展示販売。子供用に、刑務官の制服のレプリカを着用する体験コーナーも設けられた。地域の支援団体などが出店する模擬店では、お好み焼きやソフトクリームなどが振る舞われた。入場者は10日午前中だけでも3千人を超えたといい、同刑務所の岩本康彦総務部長(54)は「予想外の盛況ぶりに驚いている。奈良では最後だが、受刑者の社会復帰や刑務所の役割に興味を持ってもらうきっかけとなれば」と名残惜しそうに話した。10日は特別矯正監を務める俳優で歌手の杉良太郎さんと、矯正支援官の女性ダンス・ボーカルグループ、MAXのメンバーも来所。設備や機能の説明を受けながら、訓練場や実際に受刑者が暮らす建物内を熱心に視察した。杉さんは「受刑者を入れておくだけの刑務所では意味がない。奈良少年刑務所のようなケアができる場所が重要」などと話していた。刑務所見学に参加した橿原市の正垣佐和子さん(68)は「今年で最後だと聞いたので初めて訪れた。すてきな建物なので、今後どのように使用されるのか、興味があります」と話していた。

《NEWS2》2016.9.15産経WESTより

明治の「五大監獄」が観光資源に/奈良少年刑務所を金田法相が視察

金田勝年法務大臣は14日、廃止が決まった奈良少年刑務所(奈良市)を視察した。宮地重光所長から、設備や矯正・教育プログラムの説明を受けながら、中央看守所や放射状に広がる5棟の舎房、木工・建築科の職業訓練を行う実習場などを見て回り、「文化的、歴史的価値の高い建造物であると感じた。奈良の重要な観光資源であり、重要文化財として認めてもらえるとありがたい」と述べた。奈良少年刑務所は重厚なれんが造りが特徴で、明治政府が建設した「五大監獄」のうち、唯一当時の姿をそのまま残す。法務省は今年度中に受刑者の収容を停止し、民間に施設の運営を任せ、活用することが決まっている。地元住民らは重要文化財の登録を目指して署名活動を展開しており、金田大臣は今後の活用について、「ホテルや博物館など、民間の約20社から話があると聞いている。どのように活用していくか、文化庁や県、市との連携を図っていきたい」と話した。

《法務省》奈良少年刑務所赤れんが建造物の保存及び活用について

http://www.moj.go.jp/kyousei1/kyousei07_nara.html