『事業と美術と・萬野裕昭自伝』
【白隠慧鶴】(1686~1760)
臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師。彼は初めて悟りの後の修行(悟後の修行)の重要性を説き、生涯に三六回の悟りを開いたと自称した。その飽くなき求道精神は「大悟十八度、小悟数知らず」という言葉に表象され、現代に伝わっている。また、これまでの語録を再編して公案を洗練させ、体系化した。広く民衆への布教に務め、その過程で禅の教えを表した絵を数多く描いたことでも知られる。その総数は定かではないが、1万点かそれ以上とも言われる。写実性を欠く描写が厳しく恐ろしい顔貌表現と併置されることで、現実の肉体を超越した精神の限りない気高さを表象している。このような拙によって巧を超え、醜を転じて聖となす、殆ど絵画の反則技とも言える技法は、後の曾我蕭白などに強い感銘を与えたと想像できる。これに近い評は白隠の墨蹟にも存在する。書家の石川九楊は、「書法の失調」を捉え、「書でなくなることによって書である」という逆説によって成り立っている書ならざる書と評している。白隠の書画の代表的コレクターに、細川護立と山本発次郎がおり、前者のコレクションは★永青文庫に収められ、後者は★大阪市立近代美術館建設準備室に寄贈されている。
白隠禅師は、「動中の工夫、静中に勝ること百千億倍す」と言われています。工夫は「修行に精進する」という意味ですので、「静中の工夫」は坐禅をしている状態の修行、「動中の工夫」とは作務をしたり、托鉢をしたり、もっと言えば日常生活の行為そのものの中での修行です。行動している時、とかく「工夫」を忘れがちになりますが、動中においてしっかりと心を離さず、自己を見極めていくことが大切なのです。
★1988年(昭和63)5月「萬野美術館」オープン
《和泉市大野町「側川(そばがわ)渓谷」》
http://www.gururin.jp/course/course10/
・・・滝などがあり、ロッククライミングのスポットでの滑落事故なども起こるような、美しく険しい渓谷です。そのような場所に広大な別荘地があり、贅を尽くした茶室や庭園を萬野さんは造られたようです。篠山紀信「萬野美術」は、そこで撮影されたわけです。別荘そのものは、もう無いでしょうが、その空気だけでも吸いに行こうと思っています。
・・・「萬野美術館」オープンの年を象徴するような「NEWS」を拾い出してみましょう。
1月1日/ソビエト連邦、ミハイル・ゴルバチョフ書記長主導の下★ペレストロイカ(政治体制の改革運動)開始。
1月18日/日産自動車が「日産・セドリックシーマ/グロリアシーマ」を発売。★バブル経済を背景に爆発的なヒット、シーマ現象と呼ばれる社会現象を巻き起こす。
3月13日/青函トンネルが開業(海峡線 中小国 - 木古内間)。1954年1月6日の起工式から24年の歳月と7000億円の費用を投じた(開業時)。
9月1日/日産自動車が「セフィーロ」を発売。CMキャラクターに井上陽水を起用し★「くう・ねる・あそぶ」のキャッチコピーが話題を呼び大ヒット。
10月13日/フジテレビ系列の★バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラ一放送開始。現在も『とんねるずのみなさんのおかげでした』として放送が続いている長寿番組。
《松豊土地建物株式会社》代表取締役会長:萬野尊昭
553-0003大阪市福島区福島5-6-16ラグザ大阪ノースオフィス4階/06-6345-4531
★沿革
http://www.shohoandco.jp/development.html
1986年(昭和61) 大阪市中央区西心斎橋、御堂筋沿いに「第三松豊ビル」が完成する。地上14階、地下2階、延床面積7、104坪のビル13階、14階は★「萬野美術館」とし、他はテナントに賃貸する。
2005年(平成17)「第三松豊ビル」並びに、その他遊休資産等を売却し、銀行借入金★220億を完済する。本社を大阪市福島区福島ラグザ大阪に移転。
《萬野汽船株式会社》
かつては外航海運業を行い、最盛期には貨物船17隻、総重量トンで70万トンを保有していましたが、現在は海運業はお休みし、グループ全体の持株会社として活動しています。
・・・「芦屋」の家も、スゴイのでしょうね。それにしても、220億もの借金を完済だなんて、それだけのコレクションや土地・建物を持っていた(処分した)ということ、ですよね。