関西大学(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆第2会場(大阪歴史博物館)

540-0008大阪市中央区大手前4ー1ー32/06-6946-5728

http://www.mus-his.city.osaka.jp/

関西大学博物館の中核となる本山コレクションは、大阪毎日新聞社元社長★本山彦一が蒐集した19,000点に及ぶ考古学資料です。重要文化財や重要美術品に指定された資料を中心に、学外で初めて一挙公開します。関西大学の珠玉の精華をご堪能ください。

 

 

【本山彦一】(1853~1932)

父は熊本藩士。藩校時習館で学んだ後上京、福沢諭吉に師事。租税寮、兵庫県勤務を経て、1883年(明治16)時事新報社入社、翌年会計局長、19年藤田組支配人に就任。22年『大阪毎日新聞』相談役、36年社長に就任。経営の拡大に尽力し、関西新聞界、続いて関東においても朝日・毎日独占体制を築き、全国紙にそだてた。新聞を「社会の木鐸」と見る風潮に対し、「新聞は商品である」と公言。1930年(昭和5)貴族院議員。

本山氏は明治後半から大正・昭和初期にかけて新聞界で活躍する一方、考古学に深い関心をもっていました。そして自ら「三大発掘」と称した大阪府藤井寺市★国府遺跡、岡山県笠岡市西大島津雲貝塚、山口県下関市長府鋳銭跡遺跡などの発掘を行いました。

1952年(昭和27)★末永雅雄先生は本学教授に就任し、考古学研究室を開設しました。その直後、毎日新聞社元社長 本山彦一(松蔭)氏のご遺族から、松蔭翁が蒐集した考古学資料を大学に移管する話があり、後に末永先生はこう述懐しています。「関西大学に就任当初から、附属博物館の建設と資料の収集の事業を心がけつつ数年を経過した。たまたま私が若いときに整理をしていた、毎日新聞社元社長本山彦一氏の御逝去後多年にわたる収集品の処置について、二世本山彦一氏から私に、"父が学界に寄与すべく収集した資料であるから、できるだけ末永の所属する大学にあることが望ましい"との話があった」。このような経緯から、本山家から関西大学に現在「本山コレクション」と呼ばれる資料が移管されることになりました。

 

 

・・・「関大」と「歴博」、タイムカプセルつながりです。

 

 

・・・「常設展」を駆け足で観て周り、

 

 

◁〖泊園書院〗▷

http://www.db1.csac.kansai-u.ac.jp/hakuen/index.html

《泊園書院跡》

541-0047大阪市中央区淡路町一丁目5

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009627.html

http://www.db1.csac.kansai-u.ac.jp/hakuen/syoin/shiseki01.html

江戸時代から、中井一族による懐徳堂、緒方洪庵の適塾と並び称された私塾である。藤沢東がいが1825 年(文政8)開いたもので、一時中断はあるが黄鵠・黄坡ら4代、140年にわたって主宰され、大阪の文教発展に大きく貢献した。その間に蓄積された2万冊余の蔵書は、現在、関西大学に泊園文庫として保存されている。

 

 

《参考》道明寺天満宮「大成殿」(大阪府藤井寺市)

http://www.db1.csac.kansai-u.ac.jp/hakuen/syoin/shiseki03.html

南岳は1903年(明治36)当時土師神社と呼ばれていた道明寺天満宮に宮司の南坊城良興らの協力を得て、孔子像を奉祀する大成殿を作り、同年3月30日、第1回釈奠(孔子の祭り)を行なった。大成殿の設計者は帝室技芸員の9代目伊藤平左衛門。伊藤は寺社建築の設計監理で知られ、同宮には建築時の詳細な費用見積書も残されている。この大成殿は、現在に残る泊園関連の建築物としては唯一のものである。

http://www.domyojitenmangu.com/sekiten.shtml

 

・・・いろいろなことを学んだ「関西大学のちから」でした。しかし、何よりもうれしかったのが「大学博物館」→「歴史博物館」の2館を無料で見学できた上に、素敵な粗品(キャンバスバッグ)をいただいたことでした。

 

★平成28年10月5日(水曜日)から11月14日(月曜日)まで

 

・・・みなさん、お急ぎください。