★【川俣正】(日本)
http://www.tk-onthetable.com/newfiles/homej.html
大安寺「東塔跡」630-8133奈良市大安寺2-18-1
2016年9月3日(土) ~ 2016年10月23日(日)
遺跡調査により東西に巨大な七重塔があったと推測される塔跡隣地で作品を発表。文化財の修復等で伝え受け継がれてきた足場丸太の技術を活用して、かつての塔を彷彿とさせるかのような現代の塔を制作します。
・・・巨大な足場が組み上げられていました。登れたら最高なんだけどなあ。
《八幡神社》
http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1389264021610/index.html
9世紀に宇佐八幡を勧請して大安寺の鎮守としたことに始まると伝えられています。 中門は規模の大きな四脚門で、室町時代後期の建物です。永正元年(1504)の火災後まもなく建てられたものが、江戸時代初めの改造により、現在の姿になったと考えられ、もとは両脇の翼廊は中門に直接つながっていたとみられます。屋根は近年新しくされているものの、木鼻や蟇股には中世の特徴がよく表れており、奈良市の神社における中世の四脚門として貴重な建物です。
・・・写真展が開催されており、親切にご説明していただきました。さらに、写真までくださり、本当にありがとうございました。
《大安寺》
630-8133奈良市大安寺2-18-1/0742-61-6312
http://www.daianji.or.jp/index.html
聖徳太子が平群に建てた熊凝精舎がその草創といわれています。飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。★南都七大寺のひとつに数えられ、左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占め、南大寺とも呼ばれて大安寺式の大伽藍を誇っていました。西の薬師寺に対峙する国家鎮護の寺でもありました。現境内の南に残る塔跡に昔日の威容を偲ぶことができます。旧境内の一部に杉山古墳があります。寺には大安寺様式といわれる奈良時代の木造十一面観音立像、木造四天王立像、木造不空羂索観音立像、木造楊柳観音立像〔いずれも重文〕など九体の天平仏が安置されています。
《参考》南都七大寺
興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・法隆寺、法隆寺は斑鳩に所在しているため、この法隆寺の代わりに唐招提寺を入れて南都七大寺とする場合もある。また、歴史的経緯(四大寺から数を増やしていったとする見地)からして西大寺の代わりに由緒ある川原寺(現在の弘福寺)を加える場合もある。
《推古天皇社》
『大安寺伽藍絵図』
http://www.library.pref.nara.jp/gallery/ezu/jiin/index.html
南大門から中門の間に、東に推古天皇・西に聖徳太子を祀る社殿が描かれています。推古天皇は、第29代欽明天皇の皇女にて18歳にて第30代敏達天皇の皇后となられました。皇后は眉目秀麗な美人だったと伝えられています。第32代崇俊天皇崩御の後、皇位を巡って、さまざまな動きがあり、日本における最初の女帝となられ、聡明な聖徳太子に摂政を委ねられて、政治は国家意識を昂揚し理想社会を求める事でした。「外交の刷新・仏教に依て日本民族の思想と生活を改める事等」、従って日本の歴史の中でも輝かしい時代であったわけです。(大安寺町評議員会)