《スタジオ パレット》代表:田中正彦
550-0015大阪市西区南堀江4-28-15 山下ビル1F/06-4391-3993
http://mtanaka.web.fc2.com/index.html
スタジオ パレットは、自然光の入る、明るいハウススタジオです。大阪市西区南堀江でアクセスが便利な立地で、車の駐車1台分は当駐車場をご利用いただけます。機材、商品の搬入はスタジオが道路に面しているので楽にできます。クリエイティブな制作に携わる方々のお役にたてるようめざしていきます。
《西道頓堀川》
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010881.html
道頓堀川は東横堀川の南端から西流して木津川に合流する全長約2.7kmの河川で、西横堀川(埋立。現・阪神高速1号環状線北行き)より下流は★西道頓堀川とも呼ばれる。川幅は西道頓堀川と呼ばれる下流側は約50m、上流側は約30m。1967年(昭和42年)に大黒橋より上流の両岸にグリーンベルトを設置。1979年(昭和54年)に噴水、1989年(平成元年)にウォーターカーテンなども設置された。2000年(平成12年)には東横堀川水門と★道頓堀川水門を設置して、高潮の防御および河川水位を一定に制御することが可能になると、親水空間としての取り組みが本格化する。2004年(平成16年)から2013年(平成25年)にかけて、日本橋 - 浮庭橋(旧・桜川分岐点。湊町リバープレイス)間の両岸に「とんぼりリバーウォーク」という遊歩道が整備され、道頓堀や宗右衛門町の繁華街を川岸から楽しむことが可能になった。
・・・素敵なことその2、道頓堀川水門を通過する観光船の航行を観察することができました。
《大阪市立日吉小学校》
550-0015大阪市西区南堀江4-9-19/06-6531-0144
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e561151
明治時代初期の学制発布により、1874年に第三大学区第二中学区西大組十九番小学校として発足した。学校制度の改編を経て明治時代中期には日吉尋常小学校と称するようになった。1941年には国民学校令の実施により日吉国民学校と称している。明治時代中期以降高等科を併設していたが、高等科は1945年、花園国民学校に統合されている。戦災被害により、終戦後の1946年に近隣の高台(たかきや)国民学校と堀江国民学校を統合した。また花園国民学校の初等科も日吉国民学校に統合し、花園国民学校は高等科単独となっている。1947年の学制改革により、大阪市立日吉小学校となった。戦災からの地域復興により、1950年に旧堀江国民学校が日吉小学校堀江分校として再開した。堀江分校は翌1951年、大阪市立堀江小学校として正式に独立・再開校している。
・・・伝統ある学校の雰囲気が漂っています。そして、
■大阪木材仲買会館■
大阪木材仲買協同組合事務局
550-0015大阪市西区南堀江4-18-10/06-6538-2351
http://www.mokuzai-nakagai.com/
http://www.takenaka.co.jp/recruit/fresh/project/osakamokuzai/index.html
環境保護や森林資源の維持・活用の視点から、近年、木造建築が脚光を浴びつつある。★竹中工務店でも耐火性に優れた集成材「燃エンウッド®」を開発し、耐火木造建築物への対応を進めてきた。そして2013年春、燃エンウッド®を用いた初の作品である大阪木材仲買会館が竣工した。木材のプロである施主がこの建物に要望したことは、「“木の殿堂”を作り出してほしい」というもの。燃エンウッド®はもとより、ふんだんに木材を用いた大規模建築物へ挑んだ2人は、その挑戦の先に、木と建物がもたらす理屈を超えた魅力と出合った。
・・・素敵なことその3、以前から知っていた建物、偶然に出会いピンときました。
・・・そして「大阪市公文書館」を覗いてから、「大阪市中央図書館」で★稲峰冨枝さんについて調べました。
★1996(平成8年3月)「建築雑誌」111(1386)/一般社団法人日本建築学会
なぜマシンズーは、彩色されたのか?(色彩でみる建築) 文★稲峰富枝
・・・こういう古い本がスッと出てくる、「図書館」って本当にスゴイなあ。20年前の雑誌、感無量です。