《福島図書館》福島区民センター3階/06-6468-2336
http://www.oml.city.osaka.lg.jp/?page_id=154
区役所の向かい側、区民センターの3階にあります。しごと支援、子育て支援、防災関係、外国語資料コーナーなどを設け、広く地域で利用していただける図書館を目指しています。赤ちゃん絵本や大きな活字の本もそろえています。身近な本棚として、福島図書館をぜひご活用ください。お調べものや読書相談は専任の司書が承ります。また★「郷土資料展示室」では、福島区や大阪の資料を随時展示しています。あなたのご利用を心よりお待ちしています。
★「筑前手蔵屋鋪地」
福岡藩(黒田家)蔵屋敷石標/宝暦5年(1755年)7月
昭和63年(1988年)5月、大阪市福島区玉川1-7-5 下福島幼稚園横の下水道埋設工事現場で 筑前手蔵屋敷地(宝暦5年亥 7月在銘)と刻まれた石標が発掘された。この付近は江戸時代後期の地図にも越前米入と記入されている。筑前福岡藩(黒田家52万石)の本蔵屋敷は、中之島3丁目にあったから、この蔵は筑前仮蔵とか 筑前米入と言われていた。この石標の筑前手蔵敷地 という呼称は、福岡藩の支配下にある蔵屋敷という意味を示しているようだ。福島区内に3つあったと言われる大名の米入蔵(広島藩 浅野家・金沢藩 前田家・福岡藩黒田家の1つの遺物が発見された意義が極めて大きい。
・・・さて「大開」と言えば、
《松下幸之助創業の地記念碑》
http://www.city.osaka.lg.jp/fukushima/page/0000000858.html
大正7年、松下幸之助が大開で「松下電気器具製作所」を始めた。生活を豊かにする多くの電化製品を世の中に送り出し、会社は大きく成長した。借家を改装して作った工場で、幸之助は「改良アタッチメントプラグ」、続いて「二股ソケット」を考案・発売。品質が良く、価格も安かったために、売上は大きく伸びた。4年後には従業員が50名を超す企業となり、新工場を建設。自転車用のランプなども発売、会社はさらに発展した。
大開に住んでいた15年ほどのあいだ、社会事業のために、数回にわたって寄付をされていた記録が残っている。また、野田恵美須神社の氏子総代(うじこそうだい)を務められていた時期もあった。創業時の工場では狭くなり、大正11年と昭和4年に大開町の中で移転をした。この跡地をお世話になった地元に寄贈をしたいと、旧友の藤井森男氏〈故人・藤井金属化工株式会社社長〉に相談をした結果、ベビーブームで当時不足していた幼稚園と公園として使用されることになった。平成16年、その大開公園に記念碑が建立された。
《参考》福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会
http://www.ohiraki-matsushita.com/
松下幸之助氏が誕生した★和歌山(紀州)を代表する石といえば、緑泥片岩であり、阪南・和歌山から四国一帯にかけ一つに繋がる地層の中にある約1億年前の堆積岩で、緑泥岩を含んでいるため、青緑色に冴え、色があせず、景岩、石碑、石垣に用いられています。築城の名人・藤堂高虎が造った和歌山城の石垣をはじめ、松下幸之助氏生家跡の松下公園に建立された「松下幸之助君生誕の地」(湯川秀樹氏 揮毫)などに使用されています。和歌山周辺では昭和初期から採掘や採石が禁止され、現在は四国の阿波、伊予などのみで販売され、この緑泥片岩の石碑も、伊予西条市周辺の川から採石された自然石で、大きさ、形、色、艶など一番良いものを現地で探し当てました。題字「松下幸之助創業の地」は、松下幸之助氏のご長女、松下幸子様の揮毫により刻み込まれました。