住吉堺道 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「住吉街道」について調べてきましたが、「平野郷」にも関係するものがありました。サンアレイ平野本町通商店街の中央あたりに、「住吉堺道」を示す道標が建っています。



さんあ1


《旧天神筋》

江戸時代、樋尻門筋と交わる西北の位置に天満宮が祀られていたのが筋名の由来で、正門はこの筋に面していた。天満宮は明治30年(1897)に三十歩神社(赤留比売命神社)境内に移されている。

《道標》

左 なかの 住よし さかい 道


右 ふぢゐ寺 大峯山上 道

右 八尾 志ぎ山 みち

安永八年(1779)巳亥三月建


さんあ2


・・・古地図にも、ハッキリ書かれています。


さんあ3


【堺口地蔵】

この地蔵堂は堺口門の傍らにあったもので、西脇口とともに、中野から鷹合を経て住吉や堺に通じる出入り口であった。地蔵堂の西側の道路は環濠跡である。向かいの観音寺は昔から銀杏観音と呼ばれ、その大木は有名である。


さんあ4


【西脇口地蔵】

この地蔵堂は南口地蔵(みなみぐちじぞう)とも呼ばれ、西脇口(南口)門の傍らに会ったもので、この木戸口より南下すると、堺口の住吉、堺に行く道と合流する。地蔵堂前の東西の道は環濠跡である。


・・・近代では、「八尾街道」と呼ぶのが一般的だったようです。


さんあ5


《旧南海電鉄平野線平野駅跡プロムナード》平野区平野本町2-3

http://www.city.osaka.lg.jp/hirano/page/0000210311.html

このプロムナードは、チンチン電車の愛称で親しまれた南海電鉄平野線の軌道跡地に設置された。(昭和58年4月に完成)南海電鉄平野線は、大正3年4月に開通以来、多くの人々の交通手段として活躍したが、地下鉄谷町線の開通に伴い、昭和55年11月に廃止された。


・・・「西脇口」の説明碑も建てられています。