かえ~るボックス | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・地下鉄谷町線守り神「13’s」を掲載しましたが、結局、カエルは「文の里駅」だけでした。そこで、とっておきのカエル情報を紹介したいと思います。

まずは、2015-04-11「広告や看板(6) 」で以下のように紹介しましたが、

★理容室「ヤマシタ」

547-0024大阪市平野区瓜破1-4-2サンライズビル1F

国道309号(阪神高速14号松原線)東側沿いにあるサンライズビル1階の理容室「ヤマシタ」さんの店の前に立っています。なんと「エコキャップ」の回収箱として活用されています。


やまし1


・・・エコキャップ回収活動に関する★不幸なニュースもあってか、プルトップ回収のみに変更されました。さて、この「かえ~るボックス」は、ここ以外になかなか発見できなかったのですが、とうとう見つけました。


やまし2


【住之江公園】管理事務所

559-0015大阪市住之江区南加賀屋1-1-117/06-6685-9521

http://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/suminoe_top

近隣(1.5キロほど東)に住吉公園がある。同公園では大正時代、元々の敷地を縦断する形で国道16号(現在の国道26号)が建設されたため、公園の面積が大幅に縮小された。その代替として、住之江公園の整備計画が進められた。大阪府公園調査会が1924年に当地を公園用地に選定した。用地買収ののち1926年に工事に着工し、1930年に完成した。しかし1940年には、従来の敷地の一部を★大阪護國神社に割譲した。さらに1948年には大阪府営大阪住之江競輪場が設置されたため、公園機能を失った。地元住民の強い要望により1964年に競輪場が廃止されたのちに、公園としての整備を再開している。公園整備の中で、野球場は1968年8月に設置されている。


やまし3


・・・まさか管理事務所に「かえ~るボックス」が設置されているなんて、驚きです。ここのカエルちゃんは美しく塗装され、「エコキャップ」回収のために活用されていました。なかなか発見できなかったのは、外に設置するとゴミ箱にされたり、余計な物(時には危険物)を入れられたりする可能性があるからでしょう。今後は、このような事務所や建物の中もしっかり探索していきたいと思います。


やまし4


《参考》大阪護國神社

559-0015 大阪市住之江区南加賀屋1-1-77

http://www.osakagokoku.or.jp/

大阪府では、明治4年(1871年)4月10日に創設された★真田山陸軍墓地の敷地内に招魂社が創建されたのが最初である。しかし、招魂祭は、西南戦争後は陸軍の拠点である大坂城内で、明治16年(1883年)以降は中之島に建立された明治紀念標前で、明治33年(1900年)以降は城東練兵場で行なわれていた。なお、正確な時期は不明であるが、真田山の招魂社は大正7年(1918年)までには廃絶されている。招魂祭が長らく社前で行われなくなっていたことや、支那事変(日中戦争)勃発後に英霊崇敬の機運が高まりを見せたことから、昭和13年(1938年)に大阪府知事・大阪市長らが護国神社造営奉賛会を結成し、昭和15年(1940年)5月4日に鎮座祭が行われた。ただし、人材・資材の不足のため正式な社殿の建築をする事が出来ず仮社殿での鎮座であった。その後に正式な社殿の造営を行う予定であったが、大東亜戦争(太平洋戦争)の激化や敗戦後の混乱により着工出来ないままであった。昭和35年(1960年)に造営奉賛会が結成され、昭和38年(1963年)春に社殿が竣工し、5月29日に遷座祭が行われた。敗戦後の一時期、GHQによる神道指令の影響下における存続対策として「浪速宮(なにわぐう)」と称していた。正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。平成21年10月には特攻勇士の像を建立。


やまし5


・・・戦争で亡くなられた方々の霊を敬うことは当然ですが、ここまで来ましたので、どうしても追悼の意を表し訪れたいところがあります。