・・・お待たせしました谷町線守り神「13’s」の残り駅です。(「平野駅」はテーマ「平野郷」にて掲載します)
【八尾南駅】
581-0038八尾市★若林町1丁目
1980(昭和55)年11月27日の谷町線:天王寺~八尾南駅間の開業時に開業した駅である。八尾市に位置し、地下構造で1面2線を有する。建設時の仮称も八尾南。当初は八尾検車区(現在の★八尾車庫)のみの建設を予定していたが、大阪府・八尾市から駅の建設要望も強く出されたため、検修施設だけではなく駅も建設することになった。建設の際は、先行で建設されていた長原付近で★遺跡が発見されたため、大阪市・八尾市教育委員会から発掘調査が必要である指示があり、調査を行った。結果縄文・弥生時代の遺跡が発見され、八尾南遺跡と名付けられた。この影響で地下鉄施設計画の変更が必要となり、駅舎・乗務所・検車区事務所・保線詰所など別棟で計画していたが、総合ビルにまとめるなど、一部変更を行った。総合ビルには地下1階に貯水槽、1階にホーム、2階にコンコース、3・4階に事務所を設けている。ホームは2・3番線にしかなく、1番線には将来ホームが増設できるようになっている。昼間などには3番線に予備車が留置される。大日方には両渡り線、八尾車庫への引上線が設けられている。折返し列車はホーム上で折返しを行い、1番線から直接大日方面へ出発する列車も存在する。
八尾南駅あたりや大和川河川敷の地中にて弥生時代後期から鎌倉時代にかけての複合遺跡である八尾南遺跡が発見されている。下層には弥生時代後期の集落跡が発見され、東西150メートル、南北70メートルの範囲に竪穴住居7棟、掘立柱建物などのほか、自然災害により村落が土砂で埋まる直前の状態が残っていたことがわかっている。その上層面からは、古墳時代初期の方形周溝墓が三十基以上見つかっている。
宝永元年(1704年)の★大和川付け替え工事により村域は南側の集落、北側の耕作地に分断された。住民は大和川を渡って耕作を行うこととなり不便を強いられたため住居を対岸・北側へ移す者が続出した。北若林地区は出郷(でんご)とよばれた。明治22年以降、恵我村 → 松原市を経て、昭和39年(1964年)八尾市に編入される。当時はまだ寒村であり、市街地から離れていたこともあり発展は遅れたが、1980年の地下鉄谷町線の延伸開通を期に企業団地が誘致され、都市計画道路も整備されて発展していった。
【長原駅】
547-0013大阪市平野区長吉長原東2丁目
大阪市平野区に位置し、地下構造で1面2線を有する。建設時の仮称は長原。大阪府道2号(大阪中央環状線)の南行き部分に建設されているが、この部分だけでは駅施設が入りきらず、一部民地下を使用している。建設時には、旧石器時代から室町時代にわたる遺跡が発見され、長原遺跡と名付けられた。大阪市教育委員会から遺構を避けるよう指示があったので、一部出入口通路は日本道路公団(現西日本高速道路)と協議の上、近畿自動車道橋脚と一体行動となっている。八尾南方に片渡り線が設けられているが、普段は使用されない。
・・・「長原駅」には、オリジナルキャラクター「長原仁(ながはに)くん」もありました。2015年11月長原駅にて発掘(制作?)と書かれていました。
【長原古墳群】
1973年(昭和48)、大阪市営地下鉄谷町線延長計画に伴う長原遺跡の発掘調査で、地上には何ら古墳の痕跡がないのに円筒埴輪などが次々と出土した。調査を続けると墳丘の盛土の多くは失われているものの、周囲に濠を持つ小規模な古墳の痕跡が多数残っていることが判明した。次いで、直径50メートル以上、残存部で2段に築かれた墳丘が姿を現し、その地区の小字名が塚ノ本であることから、塚ノ本古墳(円墳)と名付けられた。地籍図を調べると他にも、一ヶ塚、落塚、狐塚、高塚など周囲にかつて古墳が存在したことをうかがわせる地名が存在し、その範囲は南北2キロメートル、東西1.5キロメートルにも及んでいた。これらの範囲では市営地下鉄工事の後も近畿自動車道の建設、区画整理事業、下水道工事、住宅建設、建築の建て替え工事などに伴い、続々と古墳の遺構が調査され、2006年までに調査、検出された数は213基にも及んでいる。なかでも高廻り1号墳、2号墳(長原古墳群の支群の古墳群)から出土した船形、短甲形、冑形などの埴輪30点は国の重要文化財に指定されている。 1号墳の船形埴輪は宮崎県 西都原古墳群などで出土しているものと同じく、船首、船尾が反り上がったゴンドラ形をしていた。2号墳からは別のタイプの船の埴輪が出土しており、船首、船尾に波除板を付けるもので、隣接する八尾市久宝寺遺跡より出土した木造船(準構造船)と同じ構造であった。両古墳が検出された場所は現在、児童公園とされ、「なみはや公園」と呼ばれている。これは大阪市が市制100周年事業の1つとして2号墳の船形埴輪をモデルに復原船が製作され、公募によってこの船が「なみはや」と命名され、1989年に韓国釜山まで実験航海を行なったことに由来する(大阪天保山から出航し、約700キロの航海をもっぱら手漕ぎで、35日かかったという)。両古墳出土の埴輪の実物は★「大阪歴史博物館」に展示されており、復原船「なみはや」の方は、★「なにわの海の時空館」に展示されている。また、同公園には長原高廻り古墳群の顕彰碑が同市によって建てられている。古墳時代、海と繋がる河内湖は奥深く内陸に入り込んでおり、長原の地も瀬戸内海や外洋と直接、繋がっていたようである。
【出戸駅】
547-0015大阪市平野区長吉長原西1丁目
大阪市平野区に位置し、地下構造で1面2線を有する。建設時の仮称は長吉。 国鉄(JR)阪和貨物線(現在は廃止)と交差する位置に計画されたが、長居公園通が国鉄(JR)阪和貨物線を跨ぐオーバーパスがすでに建設されていたため、このオーバーパスの基礎を避けるため、道路から南に外れて建設されている。大阪市バスの出戸バスターミナルと直結しており、改札口前には市バス乗継案内板が設置されており、乗り継ぎ客の便宜が図られている。
・・・「出戸駅」には、かわいい5月キャラなども置かれていました。
【喜連瓜破駅】
547-0027大阪市平野区喜連2丁目
大阪市平野区に位置し、地下構造で1面2線を有する。建設時の仮称は喜連。付近に身体障害者のリハビリテーションセンターが建設されることになっており、大阪市営地下鉄では初めて★エレベータが設置された。八尾南方には引上線が設けられている。1番線に到着した喜連瓜破止の列車は一度引上線へ引上げ、その後2番線にやってくる。仮称は喜連であったが、駅が建設された場所の北側は喜連、南側が瓜破である。現在の境界は長居公園前通となっているが、道路ができるまではどちらかと言えば瓜破に属する方が多く、仮称の喜連に対して瓜破側の住民が運動起こした。またかつてこの場所は摂津国と河内国の国境でもあったためか折り合わず、2つの地名を合体させることで決着した。
★「喜連散策マップ」を作成しました/2016年3月28日
http://www.city.osaka.lg.jp/hirano/page/0000312315.html
喜連環濠地区には、100年を越える寺・蔵・屋敷からなる歴史的なまちな みや数百年の間、住民の手で守られてきた地蔵盆など伝統文化があり、多く の住民に親しまれています。このような地区の歴史・文化を多くの方々により深く馴染んでいただく ために、またこの地区に「まち歩き」等に訪れる方々をあたたかく迎え入れご案内するために、 まちづくりの一環として「喜連散策マップ」を作成しました。ご利用して頂き、「まち歩き」にご活用ください。
・・・ということで、「喜連環濠地区」を散策することにしました。