環状線・桃谷駅 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・JR「大阪駅」そして阪急「中津駅」のガード下を取り上げましたので、続いて環状線「桃谷駅」も紹介しておきましょう。

《駅情報》2015.7.24

「大阪環状線改造プロジェクト」進行中、桃谷駅全体をリニューアルします!

https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/07/page_7415.html

JR西日本グループでは、平成25年度から「大阪環状線改造プロジェクト」をスタートし、これまで、森ノ宮駅のリニューアル、各駅のトイレ改良、新型車両323系の開発、高架下商業施設「ビエラ森ノ宮」および「ビエラ玉造」の開業、発車メロディ導入など、大阪環状線のイメージアップとお客様満足度向上を図るため、さまざまな施策を展開してきました。このたび、桃谷駅の美装改良・開発計画が固まりましたので、概要をお知らせします。


ももだ1


★「桃谷成蹊」改良コンセプト

駅周辺の丘陵地帯が★桃の名所であったことに由来する桃谷駅においては、故事成語の「桃李成蹊(とうりせいけい)」になぞらえ、駅南口(天王寺方)から駅構内店舗エリア、改札口、新設する北口(鶴橋方)を抜けて高架下エリアに至る駅の南北動線を「一本の小道」と見立て、美しく快適で利便性の高い「道」をつくることをめざした改良を行います。

※注釈「桃李成蹊とは」(出典:大辞泉)

「桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自(おのずか)ら蹊(みち)を成す」の略。桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。


ももだ2


《駅情報》2016.2.25

大阪成蹊大学芸術学部×大阪環状線改造プロジェクト工事用仮囲いアート企画/3月3日桃の節句に、「桃谷アートミュージアム」を開始します

https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/02/page_8376.html

このたび、「桃李成蹊」を建学の精神とする大阪成蹊大学(芸術学部)とJR西日本がコラボレーションし、工事用仮囲いアート企画「桃谷アートミュージアム」を開始しますので、お知らせします。開始日時:平成28年3月3日(木)15時※注釈3月3日は、今回のアート作品にも登場する桃谷駅前商店街キャラクター「ももたん」の誕生日です。15時過ぎより、大阪成蹊大学芸術学部の学生とJR西日本社員、「ももたん」が、「桃の節句」にちなみ、桃谷駅ご利用のお客様に桃谷駅シンボルフラワーである桃の花(切り枝)をお配りします(男性のお客様にもお配りします)。※注釈:展示期間は、おおむね3月末までです。4月以降、工事の進捗に合わせて順次撤去します。

http://univ.osaka-seikei.ac.jp/osesc/event/jr_momodani/index.html

1)産学連携に至った経緯

「大阪環状線改造プロジェクト」が進める桃谷駅改良コンセプトと大阪成蹊大学の建学の精神「桃李成蹊」が同じであることをきっかけに、産学連携授業をカリキュラムに取り入れている大阪成蹊大学芸術学部の門脇英純教授からお声掛けいただき、実現したものです。大阪成蹊大学芸術学部造形芸術学科ビジュアルデザインコースの学生32名が8グループに別れて、桃谷駅の工事用仮囲いを活用した「桃谷の魅力を伝える」ポスター企画を検討しました。

2)課題設定

「大阪環状線改造プロジェクト」事務局が、学生にポスター制作の課題を設定しました。・「桃谷(駅)」の魅力をわかりやすく伝えるもの・駅に足を運びたくなる、見に行ってみたくなるもの・JR西日本の既存のイメージを超えるもの。

・・・せっかくなので、森村泰昌さんの生まれ故郷でもある「生野(鶴橋)」を散策してみましょう。


ももだ3


【桃谷商店街】

544-0034大阪市生野区桃谷1~544-0033生野区勝山北1

http://www.momodani.jp/

駅から疎開道路(太平洋戦争時に爆撃の延焼を防ぐために建物を疎開して造られた道路)まで続きます。創業50年以上を誇るイカ焼き発祥の店「桃谷いかやき屋」が有名です。大阪デザイナー専門学校★学生さん制作「ももたんの商店街CM」もあります。

【つるのはし跡】

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000030556.html

『日本書紀』の仁徳天皇14年の条に「猪甘津に橋わたす。すなわちその処を号けて小橋という」(為橋於猪甘津即号其処曰小橋也)と記されていますが、これが文献上、日本最古の橋です。湿地帯の河内湖はよくツルが飛来したので、いつしか「つるのはし」と呼ばれました。大正12年(1923)に現平野川が開削され、昭和15年(1940)に旧平野川が埋め立てられて廃橋となりました。


ももだ4


【猪飼野保存会】

猪飼野の地名は、昔このあたりでイノシシが飼われていたことにちなむと言われています。猪飼野村内の鎮守、御幸森天神宮は、仁徳天皇が高津宮からたびたび御幸されたために建てられたと言います。ヒヒの血で染められたとのいわれがあるラシャ地に竹と虎の刺繍が豪華な見送り幕を持つ地車は、明治20年制作で戦後2度の改修を経て現在に受け継がれています。通常6本の擬宝珠(ぎぼし)が8本あること、獅噛みにかませているように見えるお札が特徴です。また、電気で光る仕組みの獅噛みは眼光が鋭くなる効果がありますが、猪飼野で初めて試みられたものです。


ももだ5


NEWS》2015.5.30大阪日日新聞より

猪飼野だんじり新調 「地域結束の象徴に」

130年前から大阪市生野区の猪飼野地区に伝わるだんじりが34年ぶりに全面修復され、夏祭りを前にこのほど完成した。中高生から80代の長老まで、まちぐるみで受け継いだ“宝”が31日の「入魂式」でお披露目される予定だ。まちの活性化に取り組む猪飼野保存会では「地域結束の象徴に」と新たな希望を託している。保存会によると、猪飼野の地名は、四足獣を食用とすることが禁じられていた明治維新以前、「ヤマクジラ」という隠語を使ってイノシシを養殖したことからその名が付いたという。旧村が集まる地域だが、戦後は★コリアタウン(御幸通商店街)が形成され、観光地としてもにぎわう。地域に残る資料によると、だんじりが製作されたのは1887年(明治20)で、1981年(昭和56)の改修まで使用された初代の見送り幕は、その鮮やかさを表現するため、ヒヒの血で真っ赤に染め、金の刺しゅうを施したという言い伝えが残っている。記録では戦後51(昭和26)年と81年の2度改修。「大阪型幕式地車」と呼ばれ、棒に肩を入れ、みこしのように持ち上げる「担ぎ上げ」が特徴で、大阪では福島区の海老江と並んで知られている。また、眼光鋭い魔よけの獅噛(しがみ)も特徴で、先代に倣う赤地に勇壮な竜虎が描かれた豪華な飾り幕も新調するなど、約半年がかりで完成させた。村の鎮守、御幸森天神宮に入庫するだんじりは、地域にとって大きな求心力。「だんじりを残してくれたお陰で地域の結束がある」としみじみ話すのは地車修復事業実行委員長の川野恵弘さん(68)。世代間交流のツールにもなっており、保存会会長の村井公一さん(65)は「だんじりがあるから、隣の家を行き来できる。都市部でこんなことはない」と胸を張る。日頃から、祭りの担い手である中高生や20代の若手が、だんじりばやしの太鼓とかねの練習に来ることは年長者たちを喜ばせる。「譜面がないので耳で覚え、肌で感じてもらうしか思いは伝わらない。若い人が魅力を感じて集まってくれている」と村井さん。伝統は生き生きと受け継がれている。31日には、御幸森天神宮から先人たちが眠る霊園を墓参し、往復約2キロをえい航する予定だ。