・・・「あべの発見」が「松虫」「正圓寺(天下茶屋の聖天さん)」でとまっていました。今回は、
《昭和町》
http://www.city.osaka.lg.jp/abeno/page/0000001309.html
町名は、この地域の土地区画整理に当たった阪南土地区画整理組合の土地造成が、昭和4年に完成し、それを記念して年号の昭和を町名としたことに由来する。地下鉄が開通し駅名にもなった。
【寺西家「阿倍野」長屋・町家】
545-0021大阪市阿倍野区阪南町1-50-25/06-6624-7618
1932年(昭和7)に建築された寺西家長屋は、2003年(平成15)12月1日に★長屋として全国初の国の登録有形文化財として登録されました。この長屋は、都市ガスによるガス風呂が設置されるなど近代化の先駆けといえます。4つの飲食店からなる長屋です。年に一度開催されているイベント「どっぷり昭和町」でも有名です。
《参考》大阪府登録文化財所有者の会(略称:大阪登文会)
http://www.culture-h.jp/tohroku-osaka/index.html
平成17年9月4日設立されました。現在、正会員95名、特別会員19名の構成です。平成8年10月に国の登録文化財制度が発足した。平成26年5月1日現在、全国の登録文化財建造物は9645件を数え、近く10000件を突破しようとしています。このうち大阪府には★558件が存在し全国平均205件を大きく上回り、府民の登録文化財建造物に対する関心の高さが察せられますが、まだまだ十分ではありません。登録文化財は、国宝や重要文化財と呼ぶ指定文化財のように、行政が厳選した比較的古い時代の少数の物件について、許可制による強い規制と手厚い保護によって保存するのではなく、近代の歴史遺産を中心として、住民生活に身近で密着したものまでを含めて、住民、所有者が自主的に保存・活用する多くの物件を国の登録台帳に登録し、所有者から国への届出制による緩やかな保護措置で★未来に継承していくものです。西欧では早くから、登録的な制度によって多くの古い町並み等を残し、世代を超えて愛着のもてる個性的で落ち着いた都市景観を形成しており、住民自らが住みよいまちをつくることこそが、観光集客にもつながることを物語っています。ところが残念なことに日本では、高度経済成長の過程で価値ある多くの美しい歴史遺産を失ってきました。長い風雪に耐えて受け継がれてきた歴史遺産を大切にすることは、資源を節約する心の育成や啓発につながり、まちづくりにおいては、伝統文化の継承・発展による歴史と文化が生きづく元気な大阪の再生、さらには、市民との交流や観光振興にも十分貢献できるものと考えます。われわれ登録文化財の所有者は平成16年秋から、文化財保護行政部局の意見を参考に、まず府内の登録文化財所有者が相集い、所有者相互の親睦を図るとともに、登録文化財を所有することの誇り、責務や悩みなど、様々な情報交換や情報発信等によって、府民の登録文化財への関心を高めることが、更なる登録の促進にも寄与すると考え、「大阪府登録文化財所有者の会」を設立しました。その後、京都、愛知、和歌山、秋田でも登録有形文化財所有者の会が設立されました。今後は、全国の所有者の会への発展を目指すとともに、日本の歴史・文化の一端を国内はもとより、世界に発信、交流できれば幸いと考えています。
【南大阪教会】
545-0021大阪市阿倍野区阪南町1-30-5/06-6622-2011
http://www.h5.dion.ne.jp/~mochurch/
南大阪教会は1926年に設立され、2年後に現在地に建物を建築しました。その3年後には地域の子どもたちの教育のために南大阪幼稚園を設立しました。1970年には現在「別館」とよばれている幼稚園園舎・教育館・伝道師住居を建築しました。1981年には、新しい会堂を建てました。戦前の会堂は老朽化すると同時に収容能力が限界に達したため、新しい建物が必要とされたからです。この時、塔は修復して残されました。この塔は現在でも大阪の貴重な近代建築の一つとして雑誌などに紹介されています。
1928年(昭和3)に大阪基督教会創立50周年記念事業の1つとして企画され、設計監督を担ったのが若き建築家★村野藤吾で、これが処女作です。村野藤吾(1891~1984)は九州・唐津市生まれで、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業。その後、大阪の渡辺節建築事務所(代表作・綿業会館)に入って、活動の主な拠点は大阪でした。代表作としてはかつての心斎橋のそごう百貨店や大阪新歌舞伎座、意外な作品としては梅田曽根崎警察署前の換気塔などがあります。旧会堂と教会塔は無事に戦火をくぐり抜けましたが、時間の経過とともに傷みが激しくなり、旧会堂を取り壊すことになりました。そのさいに藤吾は「私の長男」と呼んで強い愛着を示したというエピソードがあります。また昭和56年(1981)に新会堂が建築されましたが、それも藤吾の手によるもので、当時、藤吾は90歳。これが宗教建築最後の作品となりました。つまり、南大阪教会は、村野藤吾の処女作(教会塔)と最晩年の作品(新会堂)とが一望できる貴重な建築物ということになります。
【サッちゃんの歌碑】
阪田寛夫(1925~2005)は日本の詩人、小説家、児童文学作家です。大阪市住吉区天王寺町(現・阿倍野区松崎町)生まれで、熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、★南大阪教会に通いました。その後、帝塚山学院小学校、大阪府立住吉中学校、東京帝国大学文学部に入学。卒業後、朝日放送に入社し、ラジオ番組プロデューサーとして活躍しますが退社。『音楽入門』で小説家としてデビューして1974年に小説『土の器』で芥川賞を受賞。その後も評伝『わが小林一三-清く正しく美しく』で毎日出版文化賞、小説『海道東征』で川端康成文学賞などを受賞しました。童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」「ともだち讃歌(リパブリック讃歌)」「誰かが口笛ふいた(フランスの行進曲Le Regiment de Sambre et Meuse)」などの作詞者としても知られています。「サッちゃん」は昭和34年(1959)に書かれた童謡で、阪田寛夫が園児だった時に、1年上のクラスに「さちこ」という園児がいましたが、この「さちこ」さんに対する親しい思いを、後にこどもの詩という形に結晶させたものです。
サッチャンはね サチコっていうんだほんとはね
だけど ちっちゃいから じぶんのこと サッチャンて よぶんだよ
おかしいな サッチャン・・・
《参考》「お経」作:阪田寛夫
電車馬車自動車 人力車力自転車 交通地獄通勤者
受験地獄中高生 合唱練習土曜日 空腹帰宅晩御飯
・・・この「お経」もいいですね。