近松門左衛門(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「道路工事」関係にまで「寄り道」してしまいました、「近松」にもどりましょう。


こうじ1


生國魂神社】

543-0071大阪市天王寺区生玉町13-906-6771-0002

http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000000206.html

神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして日本総鎮守の神社。八十島祭に代表される宮中祭祀の神社として、延喜の御代には難波大社とも尊称された。1585年(天正13)豊臣秀吉の大坂城築城により、現在地に遷座。爾来、本殿は幣殿とひとつの屋根で葺きおろし、その上につの破風を据えた他に類例のない「生國魂造」という建築様式を継承し、桃山時代の威風を現代に伝える。明治4年には逸早く官幣大社に列せられ、また、毎年月11日・12日には生玉・天満・住吉と続く、大阪三大夏祭りの魁「生國魂祭」が盛大に齋行される。


こうじ2


・・・神社・寺は、まさしくミュージアムですね。よ~く観察すると、とてもおもしろい。


こうじ3


浄瑠璃神社

http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000000248.html

生國魂神社に境内社は11社あるが、それぞれ祭りが催される。浄瑠璃神社は文楽関係物故者を祭神とし、毎年春分・秋分の日が例祭日である。大阪文楽協会から多数参拝して、文楽の発展と加護が祈願され芸道の神として崇敬されている。

『曽根崎心中』

初演:元禄16年(1703年)5月7日/於★竹本座

1703年(元禄16)4月7日、醤油屋平野屋の手代・徳兵衛と天満屋の遊女・おはつが、大坂・曽根崎の天神の森で心中しました。近松は、すぐにこの事件を浄瑠璃化し、近松最初の「世話物(世話浄瑠璃)」が誕生します。上演は、事件のちょうど1ヶ月後のことでした。


こうじ4


〈生玉社前の段〉では、田舎から来た客と大坂三十三観音をめぐり、生玉神社で休憩するというシーンからはじまります。大坂三十三所の観音廻りをしていたおはつは、徳兵衛と生玉神社で偶然出会います。徳兵衛は、平野屋の主人から縁談を勧められたものの、おはつのことを思い断ったこと、既に結婚の支度金2貫目(約320万円)を受け取っていた故郷の継母から、金を取り返してきたことをおはつに語ります。しかし、友人の九平次に貸したその金が、まだ返されていませんでした。ところが、ちょうどその場に来かかった九平次は、借金などしていない、証文も偽物と徳兵衛を罵ります。九平次は、最初から徳兵衛を騙すつもりだったのでした。喧嘩となって人々の前で打ち叩かれ、徳兵衛は面目を失います。

初演当時、大きな評判を得て、多くの改作物を生んだ本作ですが、その後、原作の上演は途絶えていました。しかし、昭和28年(1953年)になって、歌舞伎で本作が復活されます。続く昭和30年(1955年)、文楽でも『曽根崎心中』の復活上演が行われました。この復活上演時には、近松の原文へ、カットや改変が加えられています。現在上演されている『曽根崎心中』は、その時の改変台本によるものです。なお、平成年(1990年)には、近松の原文通りに『曽根崎心中』を上演するという、意欲的な試みもなされています。


こうじ5


・・・道頓堀「竹本座跡」へ。

NEWS2013.3.28朝日新聞デジタルより

近松門左衛門の名作を初演し、人形浄瑠璃文楽の基礎を築いた大阪道頓堀の竹本座の跡地に、地元の有志らが展示パネルを設置し、2013年3月27日、完成除幕式を催した。今年は劇場の創設者・竹本義太夫の300回忌にあたる。有志らは「食い倒れの街だけではない道頓堀の魅力を発信したい」と、跡地を隠れた観光スポットにしていきたい考えだ。 竹本座は義太夫節の始祖である初代・竹本義太夫が1684年に旗揚げした。座付き作者の近松の手による「曽根崎心中」などヒット作を立て続けに上演した。江戸時代の道頓堀は竹本座や中座など「道頓堀五座」が軒を連ね、劇場文化の発信地としてにぎわった。展示パネル(横48センチ×縦110センチ)は2枚。説明文に加え、当時の竹本座の絵や義太夫の肖像画が描かれている。QRコードを携帯電話やスマートフォンで読み取ると、英語、中国語、韓国語でも説明文を読むこともできる。この日の除幕式には、設置を進めた、地元商店主らで作る上方文化再生実行委員会のメンバーのほか、文楽の技芸員(演者)も参加した。式では技芸員の操る人形がロープを引っ張り、パネルを覆う白い布を外した。技芸員の桐竹勘十郎さんは「竹本座は人形浄瑠璃に関わる人間にとっては聖地のような場所。竹本座が隆盛を極めていた歴史を伝えるパネルを作ってもらい、本当にうれしいです」と話した。上方文化再生実行委員会の鳥居学事務局長は「道頓堀は日本の芸能文化の発祥の地です。観光客の人たちにパネルの前で足を止め、日本文化の奥深さを知って欲しい」と設置に込めた願いを説明した。

《竹本座》

http://www.bunrakuza.com/takemotoza/index.html