街角ミュージアム(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「茶屋町」です。

http://www.chayamachi.com/machi/?page_id=2

もとは西成郡北野村の一部。大阪市編入から3年後の1900年(明治33年)に実施された大字改編以降、現在に至るまでこの地名で1924年(大正13年)まで北野を冠していた。地名の由来は、能勢(池田街道筋に「鶴乃茶屋」「車乃茶屋」「萩乃茶屋」と呼ばれた茶屋があったことによる。

2008年(平成20年)末から翌年初頭にかけて発掘調査が行われ、その結果、1世紀ごろはこの辺りは大阪湾の干潟があり、淀川や大和川からの土砂が運ばれ、自然堤防が形成され、5世紀中頃にはこの辺りで人が活動をしていたことがわかっている。江戸時代までは大阪市街地から離れた旧中津川沿岸に近い野原であり、茶屋町の形成が始まったのは18世紀後半からとされる。1874年(明治7年)に鉄道が開業し、梅田停車場(現在の大阪駅)が設置されたことにより周辺の開発が本格化する。1875年(明治8年)には西成郡第三区第八番小学校(のちの梅田東小学校)が開校している。明治10年ごろに西天満にあった綱敷天神社御旅所が土地の寄進を受けて当地に遷座した。1889年(明治22年)に現在の1、2丁目辺りに 9階建て、高さ39mの「凌雲閣」が建設された。1、2階は五角形、3階より上は八角錘台形で、いちばん上は丸屋根の付いた展望台となっていた楼閣で、通称「北の9階」と呼ばれた。「南の5階」と呼ばれた「眺望閣」とともに大阪のシンボルタワーとなったが昭和初期に取り壊されている。昭和時代末期には都心部のドーナツ化現象が進み、住居人口が減少して就学人口も減少。1990年頃から茶屋町の再開発が始まり、まず毎日放送が吹田市の千里丘陵から移転し、梅田ロフトが開業したことを発端とする。1992年(平成4年)にはちゃやまちアプローズが完成、2005年(平成17年)10月20日にはNU茶屋町が、2006年(平成18年)3月31日にはアーバンテラス茶屋町が、2010年(平成22年)4月23日にはチャスカ茶屋町が、2011年(平成23年)4月29日にはNU茶屋町プラスが、それぞれオープンしている。


りょう1


凌雲閣跡碑旧梅田東小学校

530-0013大阪市北区茶屋町1-40

阪急梅田駅東側にあった大阪市立梅田東小学校の跡地。校舎と体育館が、道路を挟んで建っていた。門の脇には、かつてこの地にあった有楽園凌雲閣の跡碑がある。1889年(明治22)月に完成し、高さは諸説あるが、30mから50m程度で、1、2階が角形、3~8階が角形、最上階の階が丸屋根の展望台で、螺旋状に通路が走っていたという。当時としては、格段に高層建築であり、「南の階」と呼ばれた「眺望閣」とともに大阪のシンボルタワーとなり「北の九階」とも呼ばれたが、昭和初期に取り壊された。梅田東小学校は、1989年の閉校後は生涯学習や研修の場「梅田東学習ルーム」として活発に利用されていたが大阪市が土地の売却を決定、2011年月に閉鎖となった。土地は2011年11月に入札され、大阪工業大学などを運営する学校法人常翔学園が90億円で落札。跡地には教育関連施設の建設が予定されている。


りょう2


鶴乃茶屋跡

530-0013大阪市北区茶屋町8-11茶屋町画廊前

明治の初め頃、梅田の東側は、春には菜種の花が一面に咲く美しい野原であったといわれ、大阪三郷の人々の憩いの場所となっていた。このあたりを茶屋町と呼ぶのは、同町を縦断する池田街道筋に、「鶴乃茶屋」・「車乃茶屋」・「萩乃茶屋」と呼ばれる3軒の料理茶屋が賑わっていたのに由来するという。なかでも鶴乃茶屋は、豪商松並竹塘が羽の鶴を放し飼いにしたのがその名の由来と言われる。茶屋町のルーツを示す重要な碑。

梅田芸術劇場茶屋町アプローズ

530-0013大阪市北区茶屋町19-106-6377-3800

http://www.umegei.com/

ちゃやまちアプローズは、茶屋町にある超高層ビル「アプローズタワー」内の複合商業施設群の総称。26から34階が、ホテル阪急インターナショナルの客室として構成されるほか、関西学院大学、高砂熱学工業なども。梅田芸術劇場は、メインホール(1階)とシアター・ドラマシティ(地下1階)がある。梅田芸術劇場は、舞台芸術を通じて大阪に文化を発信していく、大いなる情熱と夢を抱いて、2005年月に開場いたしました。前身となる梅田コマ劇場、シアター・ドラマシティの二つの劇場を、梅田芸術劇場メインホール/シアター・ドラマシティとして一体運営化し、都市生活を豊かに彩る世界中の優れたライブ・エンタテイメントを提供することを目指して、数々のステージをお届けして参りました。そして、これまでに劇場にご来場、ご観劇いただきました大勢のお客様のお陰を持ちまして、2015年に10周年を迎える運びとなりました。


りょう3


菜の花句碑梅田芸術劇場前広場

「菜の花や 月は東に 日は西に」という、与謝蕪村の句が刻まれている。この句は1774年(安永3)京都東山での連句の発句。江戸時代から明治頃まで、茶屋町・鶴野町一面は菜の花畑で有名だった。

CHASKA茶屋町

530-0013大阪市北区茶屋町7-20

http://www.chaska-chayamachi.com/

建築家安藤忠雄氏が設計した、店舗、集合住宅、ホテルの複合施設。地上23階、地下2階建て、テナントには「MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店」やウェディングホテル、ナガサワ文具が入居している。


りょう4


アルモニーアンブラッセ大阪

http://harmonie-hotel.jp/osaka/

世界的に有名な建築家が設計し、大阪の景色が一望できる「天空のチャペル」といった特長ある施設を持ちながら、リーマンショックの影響で開発が一時ストップした大阪梅田のホテル。ブライズワードはこのホテルに、ホテルでは珍しいワンフロア貸切りのウエディングスペースを設置し、客室にはゆったりと過ごしていただけるような優雅な空間設計を施しました。そうした“ウエディングホテル”と“スモールラグジュアリーホテル”という2つのコンセプトをもった「アルモニーアンブラッセ」として2010年に開業しました。オープン以来連続でミシュランガイドの3レッドパビリオンを獲得するなど、贅沢で快適なホテルとして高く評価されています。

イルミネーション工房大阪工房

547-0035大阪市平野区西脇1-1-2ミヤコ三愛ビル

http://www.led-art.jp/ex-mt/2010/04/post-101.html

同ビル新築工事におきまして、最上階にテナント入居されるホテル&ブライダルの「アルモニーアンブラッセ大阪」(株式会社ブライズワード)のチャペルドシエル(天空)のテラス部分に、蓄光石の樹脂舗装によって、天の川のデザイン施工を行いました。鋭角三角形のシャープなフォルムのチャペルの大きなガラス越しに、天の川のある天空を感じていただき、眼下に大阪の美しい夜景をご覧いただける特別な空間です。斬新なビルの外観と、MBS本社とLOFTにはさまれた人通りの多い場所のため、新しい大阪のランドマークとなることでしょう。


りょう5


・・・新しいものと古いものが見事に調和している街です。