街角ミュージアム(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「エルおおさか」からさらに西へ西へ。

【北浜東郵便局】日本郵政グループ大阪ビル

540-0031大阪市中央区北浜東3-9/06-6941-9684

http://map.japanpost.jp/pc/syousai.php?id=300141291000

★1月24日は郵便制度施行記念日。1871年(明治)のこの日、「郵便規則」が制定され同年日から、東京・京都・大阪間で郵便業務が開始されました。それまでは飛脚便に頼っていましたが、前島密の建議により郵便制度が定められ、まず東京・京都・大阪間で営業が開始されたのです。建議で「国内普(あまね)ク信書物貨往来自由相成候様致度」と主張し、人が住むところ全てが網羅されることに意味があるとた。しかし、明治初期の国の財政基盤が不安定な時期に、予算的な制約があるにもかかわらず、わずか一年半で全国展開が実現した背景には、郵便取扱人を引き受けた各地の名士による、局舎の無償提供やわずかな手当での献身的な協力があったからこそしょう。


ゆうび1


前島密(18351919)

日本の官僚、政治家。号は「鴻爪(こうそう)」。日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られる。「郵便」や「切手」、「葉書」という名称を定めた。その功績から「郵便制度の父」と呼ばれる。信条縁の下の力持ちになることを厭いとうな人のためによかれと願う心を常に持てよ


ゆうび2


《参考》◆【郵政博物館】◆

131-8139東京都墨田区押上1-1-203-6240-4311

http://www.postalmuseum.jp/

「郵政博物館」は、郵便および通信に関する所蔵品を展示・紹介する博物館です。館内は郵便にまつわる歴史や物語をつの世界に分けて展示や映像で紹介する常設展示ゾーン、企画展示ゾーン、手紙ラウンジ、イベントスペース、ミュージアムショップ、ミュージアムゆうびんきょくで構成しています。日本最大となる約33万種の切手展示のほか、国内外の郵政に関する資料約400点を展示しています。さらに「郵政博物館」では「心ヲツナグ 世界ヲツナグ」をコンセプトに、デジタル技術を駆使し、郵便や通信がもたらす人と人との心のつながりを感じていただける体験・体感型のコンテンツを数多く用意しています。「郵政博物館」は、2014年(平成26)日に公益財団法人通信文化協会が運営する博物館として開館しました。その起源は、1902年(明治35)に万国郵便連合(UPU)加盟25周年記念祝典行事の一環として逓信省が開館した「郵便博物館」にさかのぼります。2013年(平成25)月31日千代田区大手町の再開発に伴い逓信総合博物館閉館。2014年(平成26)墨田区押上に移転し、公益財団法人通信文化協会が運営する「郵政博物館」が開館。


ゆうび3


駅逓司大阪郵便役所跡

530-0005大阪市北区中之島二丁目日本銀行大阪支店前

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009900.html

わが国最初の郵便制度が設けられたのは、1871年(明治月のことである。まず大阪-京都・東京間の開設があり、ここにその郵便役所がおかれた(元島原藩蔵屋敷)。さしずめ今日の中央郵便局にあたるものであった。ポストも設置されたが、最初の日間で53通が投かんされ、東京までの所要時間は約75時間であった。

・・・残念ながら「郵便ミュージアム」は大阪にありません。くやしいので、「平野まちぐるみ博物館」を紹介しておきます。


ゆうび4


平野・町ぐるみ博物館

http://www.omoroide.com/index_em.html

★《ゆうびん局博物館》

547-8799大阪市平野区平野西3-1-506-6709-0889

https://www.post.japanpost.jp/cgi-shiten_search/shiten.php?id=12629

平野郵便局は明治日に「住吉郡平野郷野堂」(平野本町丁目)に等郵便所として開設。変遷を経た由緒ある郵便局です。明治時代の封筒や切手、預金通帳など懐かしい丸型ポスト、歴史を映す絵葉書も展示。資料や本の閲覧もできます。


・・・大阪で「郵便」、と言えば忘れてはならない画家がいます。


ゆうび5


郵便配達夫1928作:佐伯佑三/油彩カンヴァス80.8×65.0cm

http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu120/artrip/saeki_gallery_09.html

1928年3月、佐伯は創作の無理がたたり、床に伏せる日が続きました。わずかに恢復に向かった時、偶然に佐伯家を白ひげの豊かな郵便配達夫が訪れ、創作意欲を掻き立てられた佐伯は即座にモデルを依頼します。濃紺の制服に身を包み、椅子に腰かけた郵便配達夫は、左手に火の付いたたばこを持ち、目を見開いて正面を凝視しています。その体は左に大きく傾き、丸みのない直線的なフォルムで固められ、その場で凍りついているかのようです。斜め左上から右下への勢いのある筆の運びは、配達夫の身体のみならず背景の床や壁にも見られ、佐伯の渾身の力を込めた筆跡が心に迫ります。今日、佐伯の代表作として広く知られる《郵便配達夫》。短い画家人生の最後に最高のモデルとして現れたこの配達夫について、妻米子は、後にも先にもその時しか姿を現さず、日が経つにつれてこの人は神様ではなかったかと不思議に思うようになった、と回顧しています。彼は、郵便配達夫を、★「ゴッホの郵便配達夫」と呼び、嬉々としてアトリエに迎えたといわれています。ゴッホにも「郵便配達夫ルーラン」がありますが、佐伯はその複製画を、アトリエの壁に貼っていたこともあったそうです


・・・よし、「佐伯祐三」さんのお墓参りに行こう。