・・・街は「ミュージアム」、お薦めの「街角」を紹介していきます。
【天満橋】
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000023738.html
天満橋・天神橋・難波橋は江戸時代以来、大坂の町にとって最も重要で、最も親しまれてきた橋である。当時としては最大級の橋で、この三橋は浪華の三大橋と呼ばれた。江戸時代には、ともに公儀橋に指定され、幕府の直轄管理となっていた。大坂の市街地を南北に結ぶ三大橋は市民の生活にも密接に関わる橋となり、都市発展に重要な役割をはたした。東西の町奉行所が、天満橋の南側にあり(のち西町奉行所は本町橋の東北詰へ移転)、谷町筋から東側には様々な役所があった。橋の北側には役所の倉庫や町与力の屋敷があり、天満橋はこれらの役人の通勤経路や役所間の連絡にも利用されたと考えられ、官の性格が非常に強い橋であったと言えよう。明治になり、天満橋・天神橋はほぼ同じ経過で架け替えが行われた。明治18年7月初めの大洪水によって両橋とも流失し、その復旧事業として、両橋ともに鉄橋に架け替えられた。この鉄橋の主要部材は天神橋と同じく、全てドイツ製であったが、鉄製の高欄、照明柱、橋名額は両橋とも国産品が用いられた。橋名額は現在も北詰の公園内に保存されている。現在の天満橋は、昭和10年に重厚なゲルバー式鋼桁橋に架け替えられたものである。この桁の形状に対して当時の担当者が「のびのびとした、鳥が翼を広げたような形」と表現したように、景観上バランスのよい桁橋である。戦後、自動車交通の発達により天満橋は、交通上のネックになり、昭和45年に高架橋が建設された。在来の天満橋の上に重ねる型式とし、設計荷重としては旧市電の軌道敷部の荷重と高架橋のそれと置き換えるように考えられた。さらに、平成元年に旧橋部が改装された。
※「松村組」 http://www.matsumura-gumi.co.jp/corporate/history/
【如春】1970作:山中靖三(1917~1986)
「天満かさね橋」完成記念、昭和45年は大阪万国博覧会が開催された記念すべき年でもあります。山中氏は近代大阪の彫刻界のパイオニアで、新槐樹社委員、大阪彫刻家会議副会長。本像は和の情緒を堅実な人体造形に内包させていると解説されています。
【大阪マーチャンダイズ・マート】設計・施工:竹中工務店
540-6591大阪市中央区大手前1-7-31/06-6943-2010
京阪本線が1963年に淀屋橋駅まで延伸した際、現在のOMMビルの場所にあった天満橋駅は天満橋筋を挟んだ西側に移転・地下化した。旧駅の跡地活用を検討していた京阪電鉄は大阪市の共同出資を得ることとなり、大阪市、京阪、竹中工務店などが出資する第三セクター
「大阪マーチャンダイズ・マート」を1966年に設立。この会社によって1969年、OMMビルが竣工した。横幅の長い壁のような外観が特徴的で、米国シカゴ
にあるマーチャンダイズマートビルをモデルにしている。
《NEWS》2015.6.5産経WESTより
京阪電鉄がOMMの全株式取得/大阪・天満橋の大規模再開発へ
京阪電気鉄道が京阪天満橋駅前の複合施設「OMMビル」(大阪市中央区)を運営する大阪マーチャンダイズ・マート(OMM)の株式55%を新たに取得したことが4日、分かった。取得額は約25億円。これで京阪電鉄はOMMの全株式を保有することになった。今後、ビルの建て替えなども含め、周辺一体での大規模な再開発を検討する。OMMは昭和41(1966)年に大阪市や京阪電鉄などが出資する第三セクターとして設立され、OMMビルの賃貸・管理業務を行っている。京阪電鉄によると、5月29日付で竹中工務店や関西電力、大阪ガスなど6社が持つOMMの株式計55%を買い取った。それまでに20%を保有していた京阪電鉄は今年2月、筆頭株主だった大阪市から25%を約11億円で取得している。OMMビルは44年、大阪の主要産業だった繊維の卸売業の近代化のために国内初の本格的な立体卸売りセンターとして建てられた。地上22階・地下4階建ての高さ78メートルで、当時は大阪で最も高いビルとして話題を呼んだ。現在でも多くのアパレル関係企業が入居するほか、京阪電鉄の本社や飲食店などが入っている。OMMビル周辺には京阪天満橋駅上の商業施設「京阪シティモール」やホテル京阪天満橋など京阪グループが運営する施設がある。京阪電鉄の加藤好文社長は「全株式の取得で(今後の事業に向けた)絵が描きやすくなった。創業の地である天満橋の街全体での大きな再開発をやりたい」と強調。「天満橋はビジネス街や大阪城など観光地に近い。オフィス、ホテルの需要は大きく、収益が見込める。OMMビルの建て替えなども含め、どんなバランスでやるのかを検討する」としている。
【マーキュリー(Mercury)、メルクリウス(Mercurius)】作:Giambologna
万国博美術館に特別出展されたイタリア・ルネッサンス期の巨匠ジャンボローニャの国宝「マーキュリー像」を2倍に模したもので、ビルのオープン3周年を記念して建立されました。マーキュリーは商業神であり、プレートには「商都大阪の飛躍発展とその国際性と文化性の高揚を念じ」たとの由緒書きが書かれています。
【垂直都市】1968作:猪熊弦一郎
明るい空間に鮮烈なインパクトを与える猪熊弦一郎さんの作品は、万国博美術館の「現代の躍動」部門に出展されたもの。OMMビルの竣工に際して、竹中工務店から寄贈されたものです。
《OMMビル地下2階噴水広場》
※「SAMURAI展~神風~」@ART Lab OMM
http://samurai-cut.wix.com/samurai#!gallery/c22j5
【風わたる】作:田村能里子
http://tamuranoriko.yukigesho.com/index.html
1944年(昭和19)愛知県名古屋市生まれ。1966年(昭和41)武蔵野美術大学油絵実技専修科卒業。1999年(平成11)大阪OMMビルの壁画を制作。インド、中国、タイなど通算8年間滞在し、アジア、西域の人々をモチーフとした素描、油彩画を中心に制作。 世界的な壁画作家として活躍中。
【野坂徹夫】
http://www.gallery-tsubaki.net/artists/tetsuo_nosaka.html
1949青森県上北郡野辺地町に生まれる。和光大学人文学部芸術学科卒業、青森市在住。
※及川恒平
http://www.kohe1.sakuraweb.com/utatoe/utatoe/utatoe.html
《天満橋八軒家浜》
http://www.city.osaka.lg.jp/chuo/page/0000069440.html
天満橋付近は江戸時代、8軒の宿があったことから八軒家浜と呼ばれていたんだ。京都と大阪を結んで淀川を行き来した三十石船の船着場として栄え、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場しています。船着場としての歴史は古く、仁徳天皇の伝説に登場し、難波宮の頃は「万葉集」で、「難波津」と詠まれました。平安時代から鎌倉時代にかけては「渡辺の津」と呼ばれ、★熊野詣の出発点としても栄え賑わいました。現在はのんびりとクルージングを楽しめる港として復活し、人々の憩いの場となっているよ。
【永田屋昆布本店】
540-0032大阪市中央区天満橋京町2-10/06-6941-4961
創業:明治6年(1873)。永田屋昆布は、北海道で採取された良質の昆布を厳選し、弊店の古い伝統を生かし、独特の風味を加え作りました味覚の逸品です。
・・・素敵な冊子を店頭でいただくことができます。感謝、感謝です。