大阪再発見(9) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ひとまず「博覧会」「国際見本市」についてはこれくらいにして、「3代目大阪府庁舎」にもどりましょう。


もどり1


本館耐震改修等工事

http://www.pref.osaka.lg.jp/otemaemachi/honkan-taishin25-28/index.html

87年が経過した大阪府庁舎本館は、耐震性能の向上と老朽化した内装・設備の更新のため、2013年(平成25)11月から2016年度平成28)まで、耐震改修工事等を実施しています。工事期間中は、本館(東館)の建物まわりや地下部を掘削するため、敷地を仮囲いで囲い、工事エリアとして使用しています。今後、工事の進捗によって、庁舎への出入口が一部通行止めになるなど、来庁者の皆さまにはご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いします。

・・・もう少しの辛抱ですね。現在閉鎖されている「南門」壁面に、「アンモナイト」を3つ確認しましたが、もっとあるかもしれません。


もどり2


・・・さて、「本館」横に「大阪府公館」があるのですが、気になりますよねえ。

1924大阪府知事公館」】/設計:大阪府営繕課


NEWS2008.2.8日経ネットより

橋下知事「公館を廃止」売却なら32億円、「財政再建が最優先」

●2008年2月7日、大阪府橋下徹知事は知事公館について「府が保有することには反対だ」と廃止する考えを示した。売却や新館の建設など新たな土地の利用策を、来週発足する知事直属のプロジェクトチームで検討する。府の試算では、売却すれば土地だけで約32億円となる見込みという。知事公館は府庁本館の西隣にあり、敷地面積は約2700平方メートル。1923年に完成した鉄筋コンクリート2階建てで、歴代知事が表敬訪問を受けたり、叙勲の式典などに使用。太田房江前知事は普段、公館で執務していた。橋下知事は「一にも二にも財政再建。更地にして売るのがいいのか、新館を建てるのがいいのか、プロジェクトチームで検討する」と述べた。橋下知事は選挙中、公館を取り壊して新館を建設し、約8億円の賃料を支払って複数の民間ビルに入居している部署をまとめるアイデアを提案していた。耐震性が問題となり補強工事を実施する予定の府庁本館についても、橋下知事は「就任後に見回ったが、資料を置く場所もなく空調設備も悪い。知的生産行為を行う環境ではない」との考えを示し、改善策をプロジェクトチームに検討させるとした。「建て替えは念頭にない」という。


もどり3


2013年10月29日(火)大阪府公館」を一般開放をします。支援学校の生徒たちによる、大阪府公館の美観維持にかかる剪定等実習の成果・実習を見学することができます。



201512月3日(木)9日(水)

http://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=22477

大阪府では、府内の福祉施設で働く障がいのある方の工賃(賃金)の向上に向けて、さまざまな取組みを行っております。この度、「障がい者週間」にあわせ、大阪府公館において、障がいのある方が販売経験を通してスキルアップを図るとともに工賃の向上を目的とした「府庁マルシェ」を開催しますので、お知らせします。「府庁マルシェ」では、障がいのある方が心を込めて作ったお弁当やパン、雑貨の販売を行います。お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください


もどり4


NEWS2015.12.4大阪日日新聞より

障害者の手作り販売府庁マルシェ多彩な品ずらり

大阪府内の障害者が手作りのパンや雑貨などを販売する「府庁マルシェ」が12月3日、大阪市中央区の府公館で始まった。アクセサリーや衣類などさまざまな製品が並べられ、来場者が買い物を楽しんでいた。この日は8事業所が出店。丹精を込めた製品を事業所の通所者やスタッフがアピールし、買い物客が熱心に品定めをしていた。手提げかばんを購入した松井一郎知事は、機織りを実演していた事業所の女性に「大事に使います」と声を掛けた。会場には府内の障害福祉施設の製品の購入や販売活動をPRするボランティア「こさえたんサポーター」の受付窓口も設けられ、松井知事が登録。「こさえたん」は福祉施設の製品をPRするための愛称で、「作る」を意味する大阪弁の「こさえる」が元になっている。府主催の府庁マルシェは、製品の普及啓発と障害者の賃金アップが目的。土、日曜日を除き、9日まで開かれる。午前11時~午後2時。期間中は計36事業所が出店する。


もどり5


・・・「大阪府公館」前の道を西へ進むと

【大阪英語学校跡】

http://www.city.osaka.lg.jp/chuo/page/0000002121.html

明治維新後、大阪では「舎密局」に始まった洋学校と理学校が合併し、大阪開成所が開校した。洋学教育の最先端校である。開成所は第4(のちに第3)大学区第1番中学、第3大学区開明学校と改称され、1874年(明治7)4月に大阪外国語学校となった。外国語を集中的に習得させることを目的に、当時7大学区あった大学区に1校ずつ外国語学校を設置するという政府の方針に伴うものである。12月には大阪英語学校に改称。この学校では、単に語学だけではなく、文系理系の幅広い分野の一般教養科目の授業を外国語で行った。英語学校は、1879年(明治12)まで続いたが、その後、頻繁に校名が変遷し、やがて第3高等学校に至る。1889年(明治22)には京都に移転し、現在の★「京都大学」へと発展する。