阪堺電車情報(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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阪堺電気軌道モ161形電車

1928年(昭和)に南海鉄道が投入した車両である。161170が同年に川崎車輛(現・川崎重工業車両カンパニー)で、171176が1931年(昭和)に田中車両(現・近畿車輛)と大阪鉄工所(現・日立造船)で製造された。1927年(昭和)に川崎造船所(現・川崎重工業車両カンパニー)で製造されたモ151形とほとんど同型(ただし、室内の屋根構造等に違いが見られる)の車体をもつ13メートル級(新製時は14メートル超)大型車である。


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戦後に173(初代)・164(初代)・176の戦災車を含む両が制御器を多段式間接制御器(PM-2A)に変更してモ301形の301・303・304になり、一方、モ151形の155・160が改造されて174(2代)・175(2代)として編入され、あわせて空番が詰められて、計15両になった。1976年(昭和51)からモ301形とともにワンマン運転対応改造が施工された。前面に方向幕を設置し、運転台側から向かって右側の扉を閉鎖して扉車とされた。


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161168は車掌乗務も可能な形で改造され、ワンマン化されなかった平野線にも使用された。運行車両数の削減により、モ301形になった車両や151形より編入した車両および廃車や休車となった163・167・169・171・172・173を除いて営業運転に使用されていたが、安全に関わる重要機器に問題が発生したため、165・168・170の3両は休車となっており、現在、営業運転可能な車両は161・162・164・166の両のみである。


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161は阪堺電気軌道開業100周年を記念し、2011年(平成23)に1965年(昭和40)当時の状態に復元され、同年の路面電車まつりにてお披露目された。1963年からの連結器撤去および1965年からのパンタグラフ化等を踏まえている。「ワンマンカー」の表示板を撤去、ワンマン表示は窓へのステッカー貼りに変更し、サボ(行き先板・通常は「貸切」)を使用して運行する。方向幕にはカバーを取り付けて隠すことができるようになっている。ニス塗りのドアや鉛丹色の屋根など、162・163と比べて、より忠実に当時の塗装が再現されている。また、広告枠は正面に前後一箇所ずつの枠であったが、側面に枠づつの計枠になっている。車内においても、側壁や鎧戸といったあらゆる箇所に塗られていた薄緑色のペンキを剥がし、ニス塗りの車体や真鍮装飾等が蘇っているほか、撤去されていた信鈴(合図ベル)が復活した。この改装以降、同車はほぼ貸切専用となり、通常運用に着くのは正月の「大輸送」等になっている。ただし2015年11月19日から11月30日まで、運用開始88年(米寿)記念として平日朝限定で、天王寺駅前・住吉公園間と天王寺駅前・我孫子道間でそれぞれ1往復ずつの通常運用に入った。

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住吉公園駅】

南海本線の駅も1979年まで住吉公園駅を名乗っていた。現在は「住吉大社駅」になっている。南海における住吉大社の最寄り駅である。また、阪堺の住吉公園駅は、第2回近畿の駅百選認定駅である。住吉公園駅の駅番号はHN11である。1913年(大正上町線が住吉神社前駅(後に阪堺線住吉駅に統合)から延伸し、同線の住吉公園駅が開業する。1944年(昭和19年)6月1日 : 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。1947年(昭和22年)6月1日 : 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。1979年(昭和54年)5月9日 : 南海本線の住吉公園駅を住吉大社駅に改称する。1980年(昭和55)6月15日南海本線の高架化が完成する。12月1日分社により上町線の住吉公園駅が阪堺電気軌道の駅となる。2016年1月31日上町線住吉住吉公園間が廃止され、同線の住吉公園駅も廃止(予定)。


・・・お疲れさん、ありがとうございました。