・・・さらに、美しい紅葉を求めて「蹴上」へ。
【蹴上】
この地が蹴上と呼ばれるようになったのには、2つの説があります。その一つは、源義経が牛若丸と呼ばれていた頃、鞍馬寺で修行をしていましたが、その後金売吉次(架空の人という説もあります)にともなわれて奥州平泉へ向かいます。一行がこの地に差し掛かったとき、そのときたまたまを通りかかった平家の関原輿市重治の馬が、水溜りの水を牛若丸に蹴りかけたことから両者の争いとなり、牛若丸が興市をはじめ家来等9人を多く斬り捨てたという伝説です。もう一つは、蹴上の南に九条山がありますが、ここにはかつて処刑場があり、罪人がこの山に登るのに死ぬのがイヤで、なかなか登ろうとしないのを役人が後ろから蹴り上げて登らせたという説があります。どちらも縁起の良い話ではありませんね。
・・・大好きな「ねじりまんぽ」をくぐって「南禅寺」へ。
◆【野村美術館】◆
606-8434京都市左京区南禅寺下河原町61/075-751-0374
野村美術館は、野村證券、旧大和銀行などの創業者 野村徳七(1878~1945)のコレクションをもとに、昭和59(1984)年に開館致しました。野村徳七は、明治11年に大阪に生まれました。27歳で家業の両替商を継ぎ、有価証券売買の将来性に着目し、証券業をはじめ、金融・海外事業など多数の企業をおこし、野村財閥を築き、戦前は貴族院議員としても活躍しました。一方で、得庵と号して、茶の湯や能楽などに親しみ、南禅寺畔に別邸碧雲荘(現在、非公開)を構え、趣味活動を展開させました。現在、美術館では、得庵のコレクションであった茶道具・能面・能装束をはじめ、得庵の遺作も含めて約1700点を所蔵しています。そのなかには、重要文化財7点(「伝紀貫之筆寸松庵色紙」・「佐竹本三十六歌仙・紀友則」・「清拙正澄筆秋来偈頌」・「宗峰妙超筆 白雲偈頌」・「雪村周継筆風濤図」・「千鳥蒔絵面箱」・「藤原定家筆讃岐入道集」)や、重要美術品9点など指定美術品も含まれています。野村美術館のある南禅寺畔は、哲学の道や永観堂も近く、桜や紅葉の名所としても知られる風雅で静かなところです。そのような環境にある美術館では、得庵コレクションを中心に、春季(3月上旬~6月上旬)と秋季(9月上旬~12月上旬)の年2回、毎回テーマをかえて展示しています。
★没後70年「野村得庵-ある近代数寄者の軌跡-展」
2015年9月5日(土)~12月6日(日)
野村證券、旧大和銀行などの創業者であり、一大金融財閥を築いた野村徳七はまた、得庵と号し、茶の湯と能を嗜む近代数寄者のひとりでした。得庵が美術品を蒐集した歴史を追いながら、美意識の深まりをたどり、あるいは彼の茶会を展示で再現して、その行き着いた境地を明らかにします。会期を前期と後期に分け、全面的な陳列替を行います。
・・・ここは静かです。