続大学ミュージアム(64) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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★「相愛大学図書館」

http://www.soai.ac.jp/library/index.html


・・・訪問が「お昼休み」時間だったので、「学食」で昼食をとらせていただき、少しキャンパスの散策です。


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★「相愛大学図書館」

http://www.soai.ac.jp/library/index.html

相愛大学図書館には、春曙(しゅんしょ)文庫と名付けられた、貴重図書コレクションがあります。「春はあけぼのやうやうしろくなりゆく・・・・・・」で知られる枕草子は、言うまでもなく、清少納言の著した中古文学の傑作です。本学の「春曙文庫」は、この冒頭部分にちなんで命名されました。特に清少納言・枕草子関係の諸文献のコレクションでは、全国屈指であり、日本文学の専門家などが各地から閲覧に訪れることからも、その充実ぶりがうかがえます。「春曙文庫」は、「相愛学園創立100周年」の記念事業の一環として1988年に設立されました。その母体は、枕草子研究の第一人者として知られた故田中重太郎博士(本学人文学部教授)のコレクションです。田中博士が心血を注いで集め、愛蔵されていた貴重な枕草子の資料に加え、元学長今小路覚瑞先生の蔵書、従前より図書館が収集してきた資料などをひとつに収めたのが、「春曙文庫」です。枕草子関係資料の他、源氏物語や徒然草、古今和歌集などの古典や、折口信夫関連を中心とする近代文学の資料などを保存、展示するための施設が、号館(教育研究棟)1階にある貴重図書資料室です。貴重図書資料室では、毎年春と秋の回、定期展観を催しています。まさに、本物の古典にふれて学べる理想の環境が、相愛にはあります。

http://www.soai.ac.jp/library/syunsyo.html

春季貴重図書資料展【貴重図書資料室】/(金)~18(木)

※秋季貴重図書資料展【貴重図書資料室】11/(月)~20(金)


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田中重太郎】(19171987

京都市出身。立命館中学校教諭などを経て1959年に相愛女子短期大学(現相愛大学)教授。のちに駿台予備学校京都校などで講師も勤めている。『枕草子』研究で知られ、1947年に日本古典全書(朝日新聞社)の校註を行った際より「草子」や「草紙」は元の意味に即して「冊子」と書き表すべきであるとして「枕冊子」の表記にこだわり続けた。『枕草子』の写本が4系統存在する中で、田中自身は江戸時代に北村季吟が『枕草子春曙抄』を刊行してから大正期まで流布本の主流であった能因本に代わって昭和初期に池田亀鑑が本文解釈上の優位性を提唱した三巻本を善本とする立場より日本古典全書でも底本に三巻本を採用したが、1953年に『校本枕冊子』を刊行した際は当時の学界で依然として広く支持されていた能因本(三条西家旧蔵本)を底本として採用。1972年より『枕冊子全注釈』(角川書店)全5巻の刊行を開始した際も『校本枕冊子』の本文に対する注釈を補完する観点と、過去に日本古典全書で三巻本の注釈を行った経緯より能因本を底本に採用した。『全注釈』の刊行開始より11年目の1983年に第4巻が刊行された後、最終巻を残して1987年に逝去。享年71(満69歳没)。第5巻は鈴木弘道が田中の遺稿を基に作業を継承したが、鈴木も完成を待たず1992年に逝去し最終的に中西健治の手で完成、1995年に第1巻発売より23年を費やして完結した。田中が生前に収集した『枕草子』関連の資料群を始めとするコレクションは現在、相愛大学図書館で春曙文庫として所蔵されている。


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【枕冊子】

日本の古典には、もともとどういう書名だったのか明らかではないものがたくさんありますが、『枕草子』についても書名の表記が異なるものがあります。田中重太郎は『枕冊子』(日本古典全書、朝日新聞社、第24刷1973年)の「解説」で、「清少納言枕冊子は古来つぎのやうに呼ばれてゐる」として、「清少納言枕草子」「清少納言草子」「清少納言記」など種類の呼称をあげていますが、この中に「清少納言」と「枕草子」もあがっています。そして田中自身は「原義に即してもつとも正しいと考へられる」『枕冊子』を書名として採用しています

現在出版されている『枕草子』を読む場合のある種の「不便さ」は、まずいろいろな本文があるということ。清少納言が書いたままのものは残念ながら現存していない。最も古いものでも鎌倉中期の書写である。そもそも何度かに分けて書かれたものらしいので、書き直しや増減もあったと考えられる。さらに、長い間にわたって手から手へと書き写されてきたために、さまざまな伝本が現在存在している。伝本によって、章段の有無や長短があったり、配列が前後していたり、文章自体が異なっていたり、いろいろの相違があるが、先人たちの研究の成果として、三巻本系統・能因本系統・前田家本・堺本系統、の四つの系統に大別分類されている。現在のところ、このうち三巻本系統が、ついで能因本系統の本がやや原型に近いかと考えられており、このどちらかの本文を用いる書物が大部分である。しかもどの系統とも、決して完全でも純粋でもない

はるはあけぼの

三巻本春はあけぼの。やうゝしろく成り行く山ぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる

能因本春はあけぼの。やうゝしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる

前田本はるはあけぼの。そらはいたかくかすみたるに、やうゝしろくなりゆくやまぎはの、すこしづつあかみて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる

堺本(高野辰之氏旧蔵本)春はあけぼのの空は、いたくかすみたるに、やうゝ白くなり行く山のはの、すこしづつあかみて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたるもいとをかし


しゅん4


大阪エンタテインメントデザイン専門学校

(旧ふれあい港館ワインミュージアム

559-0034大阪市住之江区南港北1-10-1206-6654-8815

http://oaed.jp/

世界各国の貴重なワインを収集していたが、非公開のまま貯蔵されていたものもあった。また、毎年恒例で『ぶどう収穫祭』を開催してエントランス斜面に栽培されていたぶどうを収穫して来場者に振るまっていた。1995年に約59億円をかけて開設され、大阪市の外郭団体「社団法人大阪港振興協会」が運営していた[3]が、赤字続きで紆余曲折を経て2008年月に閉鎖。残存施設は2011年に7億1000万円で学校法人上田学園に買収され、大阪総合漫画芸術工科大学の学舎となる予定であったが、同法人は2012年、文部科学省への認可申請を取り下げている。その後、2014年月より★「大阪エンタテインメントデザイン専門学校の校舎として用いられることになった。


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◆【大阪総合漫画芸術ミュージアム】◆

http://oaed.jp/about/museum/

本校の学生や卒業生はもとより、国内外のプロ・アマを問わず、これからのコンテンツ産業を担うクリエイターの作品も展示。さらに、マンガ・アニメーション・ゲームの資料の収集や研究を行うとともに、国際的なコンテンツの発信拠点としての役割も担っています。

・・・残念ながら、今日はお休みでした。