続大学ミュージアム(61) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆【近畿大学「中央図書館」】◆

http://www.clib.kindai.ac.jp/main.html


としよ1


近畿大学所蔵の貴重な資料を期間限定で公開

2015年11月11日(水)~17日(火)

近畿大学中央図書館では、毎年テーマを決めて貴重書展を開催しています。第22回目となる今回は、知の円環を目的にあらゆる事物や事柄の知識を編集した百科事典、言葉や文字を収集し分類した辞典・字典類、百科事典と関係性が深い図譜など、一般的に参考図書と呼ばれる書物を約40点展示いたします。普段目にすることのない貴重な原典資料に親しんでいただければ幸いです。


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フィールドワーク近畿大学東大阪キャンパス(12:50中央図書館1階集合)11月15日(日)13:00~14:00

「有岡氏と歩くキャンパス内の樹木案内」講師:植物文化史研究家有岡利幸氏(第47回毎日出版文化賞受賞)※荒天の場合は第2演習室での講演になります

有岡利幸1937年、岡山県生まれ。1956年から1993年まで大阪営林局にて国有林の育成・経営計画業務に従事したのち、近畿大学に職員として勤務。2003年3月に本学を退職し、豊富な知識とユニークな視点から、自著の執筆、雑誌寄稿を精力的に行う。『ケヤキ林の育成法』(大阪営林局森林施業研究会、1992年、第38回林業技術賞受賞)、『松と日本人』(人文書院、1993年、毎日出版文化賞受賞)、『ものと人間の文化史』シリーズ多数(法政大学出版局 1997年~)、『つばき油の文化史 - 暮らしに溶け込む椿の姿』(雄山閣、2014年)などの著述がある。


・・・これにも参加したかったなあ。


としよ3


◆【不倒館(創設者世耕弘一記念室)】◆

http://www.kindai.ac.jp/about-kindai/overview/futokan.html

「不倒館‐創設者世耕弘一記念室」は、本学創設者であり、初代総長の世耕弘一先生が掲げた建学の精神、教育への情熱を形あるものとして、後世に残し伝えていくことを目的に平成21年月12日、開設されました。


としよ4


世耕弘一

http://www.kindai.ac.jp/about-kindai/overview/koichi-seko.html

明治26年、和歌山県の熊野古道沿いの寒村に生まれた世耕弘一は、高等小学校卒業までは首席を通す優秀な子どもであったが、経済的な理由で中学進学をあきらめ、新宮市内の材木商へ奉公に出た。しかし学問への思いは断ちがたく、東京・神田の英語学校の門を叩く。天与の資質と持ち前の勤勉さで、弘一はその年後に日本大学進学を果たし、卒業後は朝日新聞社に就職した。だが、学生時代から弘一の才能と志に注目していた日本大学は、新聞記者として活動を始めたばかりであった弘一に、大正12年、ドイツの名門ベルリン大学への留学の機会を与えた。留学を終えて帰国した弘一を待っていたのは、不況の嵐が吹き荒れ、失業者があふれる日本社会。大学教員のポストが用意されていたが、「国民を飢えさせてはいけない」と政治家を志し、昭和年に衆議院議員に初当選した。以後30余年、権力の不正と戦う“反骨の政治家”として、その清廉潔白な人柄で国民のために手腕をふるい続けたのである。第二次大戦が終わり、動乱の町が復興を始めた頃、世耕弘一は舞台を教育現場に移した。貧しさから一度は進学を断念した彼は言う、「学問が運命を開いてくれた」と。ゆえに「学びたい者に学ばせたい」と近畿大学の創設に情熱を傾けた。

としよ5


その際に掲げたのが、「医学部から文学部まで全学部を揃えたい。全ての日本人が大学教育を受けられる時代を見据えた先駆けモデルとなる大学をめざす」。つまり、「総合大学」と「大衆大学」。世耕弘一が目指したこのビジョンは、ほぼ完璧に現実のものとなっている。そして弘一は、「学問・実際一如の有機的教育の徹底を建学の精神とし、特に魂の啓培に力を注ぎ、堅実な思想を持つ有為な人材養成を目的とする」とした。つまり、「実学教育」と「人格の陶冶」を建学の精神としたのである。そして、「教育の目的は、人に愛される人、信頼される人、尊敬される人を育成することにある」とした。弘一が人生をかけて思い描いた理想の教育、それが近畿大学であり、現在もその精神が受け継がれているのである。

建築学部設計演習建築家展Ⅲ

2015年10/30(金)~20161/22(金)33号館1階ギャラリー

http://www.kindai.ac.jp/architecture/

建築学部の設計演習担当の若手建築家7人によります展覧会を行います。