★茶室「一滴庵」特別公開/10月24日(土)、10月25日(日)
敷地内にある茶室棟を特別に公開します。3室ある茶室の内、「一滴庵」と名付けられた三畳の小間は、名席として知られる大徳寺玉林院の★「蓑庵」の写しであり、七畳広間は表千家家元にある★「啐啄斎好み」の写しとなっています。いずれも京都の数寄屋の名工と称された★笛吹嘉一郎が手がけたものです。この機会にぜひご覧ください。公開期間中、呈茶を行います。合わせて茶室棟を内部よりご覧になれます。
【参考】「竹中工務店」
541-0053大阪府大阪市中央区本町4-1-13御堂ビルディング
江戸時代前期の1610年に、織田信長の元家臣であった初代竹中藤兵衛正高が尾張国名古屋にて創業。神社仏閣の造営に携わる。やがて明治時代の到来により、ヨーロッパ型の建築技術を導入すると、当時開港し、都市化し始めた神戸へ進出。数々の建築物を施工し、その名を知られるようになる。
「工務店」という言葉を作り、社名としたのは同社が初めてである。「設計と施工は切り離せない」の考えから「工務」を掲げ、お客様ありきの仕事であるという考えから「店」を用いている。これまでに施工した建築物は5大ドーム球場(札幌・東京・ナゴヤ・大阪・福岡)を始め、全国有名美術館や商業施設、さらには病院、オフィスビルなど多岐にわたり、施工実績の多さでは国内随一を誇る。また、完成工事高で比較しても国内トップクラスの業績を維持している。自社の施工した物件を「作品」と呼ぶことでも知られている。スーパーゼネコンの中でもBCS賞(建築業協会賞)を最多受賞しており、設計や品質に対する評価が高く、特命受注の比率も高い。創業は名古屋だが、設立の地が神戸ということ、現会長の竹中統一が同じ神戸の甲南大学出身ということもあり、近畿の小学校、中学校、高等学校、大学(公立・私立を問わず)の新築や増改築工事の大半が同社による設計・施工である。創業以来、社長には常に創業家の人物が就いてきたが、2013年3月より宮下正裕が初めて創業家以外から社長に就任した。アトリエ系建築家の出江寛、早川邦彦、菊竹清訓、柳澤孝彦、鈴木了二、有馬裕之等、同社設計部から多くの建築家を輩出している。コーポレート・メッセージは「想いをかたちに 未来へつなぐ」。
【参考】玉林院「蓑庵」
603-8231京都市北区紫野大徳寺町74/075-491-8818
大徳寺境内の南西にある塔頭の玉林院は、武将・山中鹿之助の菩提所として知られている。境内には、大徳寺保育園(1955-)が開かれている。江戸時代、1742年、鴻池了英によって建てられた表千家5世・如心斎好みの「南明庵」(重文)は、西の茶席「蓑庵(さあん)」(重文)、東の「霞床席(かすみどこせき)」から成る。造りに、侘び茶の神髄があるといわれる。ここでは、茶事に基づいた仏事を行う。「簑庵」は、壁の「藁ずさ」が浮き出ており、あたかも蓑のようであることから名づけられた。「すさ壁」は、赤土、油、長すさを混ぜて塗られている。本来は壁の亀裂を防ぐ目的がある。また、当時の玉林院の和尚・大龍の号を「簑庵」したことから、その意味も込められている。三畳中板台目切。中板は客座(2畳)と点前座(1畳)の間にある。中板(1尺4寸、42cm)を挟み、ここに出炉を切る。中柱は赤松皮付のゆがみ柱(曲柱)、躙口正面に台目畳の広さの床、脇南に火打構の給仕口の下座床になる。点前座に風呂先下地窓、二重の隅棚、南東隅に茶道口。天井は床前半通を白竹竿縁の長杉板張、窓側掛込み天井、点前座は蒲天井になる。了瑛、茶人・妙心斎好みという。四畳半の「霞床席」(重文)は、床中央の筆返しの二重棚に、富士の大幅のみが掛けられる。棚が、あたかも霞たなびくように配置されていることから、霞床席と名付けられた。格天井、内法下に張付壁などは書院風、床は板床、框に煤竹、面皮の床柱、吹寄桟の欄間障子。草庵とて書院風が融合している。いずれの茶室の基坦にも楽焼の赤楽の色瓦が敷いてあるという。楽当主の作といい、見えない細部に贅を尽くす。妙心斎好みという。ほかに「洞雲庵(とううんあん)」は、桑山宗仙(千利休の息子・道安の門人、片桐石州の師)の建立したものを、昭和19年(1944)に再建したもの。桑山左近好み、即中斎好みの三畳、八畳。
・・・とてもいい気分なので、裏山?に上ってみました。
・・・「カエル様」が私を呼んでいたようです。会えてよかったね。