【大阪環状線改造プロジェクト「OSAKA POWER LOOP」】
https://www.jr-odekake.net/railroad/osakaloop_kaizou/osakapowerloop/
JR西日本グループでは、大阪環状線のイメージアップとお客様満足度向上を図るため、「安全快適な駅づくり(駅美装・改良)」「駅構内及び高架下の開発・リニューアル」「車両新製」「地域や他交通事業者との連携」を4つの重点施策とし、さまざまな施策を展開しています。大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、地域とともに、大阪を元気にします。
このたび、プロジェクトの一環として、ラッピング列車「OSAKA POWER LOOP」の運行を開始いたします。今回のラッピングのデザインは、関西のラジオ局「FM802」が主催しているアーティスト発掘プロジェクト★「digmeout(ディグミーアウト)」に参加しているうち8名のアーティストが、大阪環状線沿線の街の魅力を鮮やかに表現しました。ぜひ、個性あふれる各車両のデザインの競演を楽しんでいただき、魅力的なスポットがいっぱいの大阪環状線にお出かけください。運転開始:平成26年6月1日(日)
・・・本当は「京橋」で降りるつもりだったのに、電車に気を取られて「桜ノ宮」まで行ってしまいました。ということで、
◆「大阪市水道発祥之地」
534-0027大阪市都島区中野町5丁目都島橋東詰南側
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010015.html
大阪市水道創設施設の概要
着工:明治25年8月1日/通水:同28年11月13日/給水能力:1日51240立方メートル/計画給水人口:630,000人/主要施設:桜宮水源地大坂城内配水池/送配水管:3238キロメートル。「桜宮水源地」は、「柴島浄水場」設置にともない大正9年12月廃止した。この付近がその跡である。
明治28年11月13日、大阪市最初の上水が、ここから送水された。それまで飲料水は、淀川の水か井戸水にたよっていた。そのためコレラなどが流行し酸鼻を極めた。そこで当時の市年間予算の3倍強の経費と3年余の歳月をかけ61万人の給水能力をもつ施設が整備された。この水はポンプで大阪城内配水池に揚水し、自然流下式で給水された。その後大阪市の発展につれて拡張工事が重ねられたが、大正4年9月現在の柴島浄水場の完成で閉鎖された。
◆「毛馬桜ノ宮公園」/扇町公園事務所06-6312-8121
http://www.osakapark140526.osgf.or.jp/kema_sakuranomiya/
大川の毛馬洗いぜきから下流の天満橋まで、延長4.2kmのリバーサイドパークです。右岸沿いには★「造幣局」★「泉布観」などの明治初期を代表する建物が並び、大川の流れに沿ったプロムナードには、桜並木が続いています。開園:大正12年3月1日。都市計画上の位置付けは、桜之宮公園、南天満公園、毛馬公園、★蕪村公園とあわせて、「毛馬桜之宮公園」となっている。南に隣接している★藤田邸跡公園は桜之宮公園の一部である。
大川東岸に鎮座する櫻宮(桜宮神社)の社前一帯に位置しており、櫻宮付近の大川両岸は江戸時代から桜の名所であったが、1885年(明治18)の淀川大洪水で東岸の桜が大打撃を受けて以降、西岸の桜、とりわけ造幣局の桜が有名になった。現在も造幣局の桜の通り抜けは大勢の人で賑わう。
【大阪ふれあいの水辺】
一級河川大川(旧淀川)源八橋下流左岸/毛馬桜之宮公園貯木場跡(大阪市都島区中野町四丁目地内)
http://www.city.osaka.lg.jp/miyakojima/page/0000170628.html
http://www.pref.osaka.lg.jp/kasenkankyo/tokusyoku/fureaitop.html
大阪府が、水都大阪の新たな水辺の魅力づくりのため、一級河川大川(旧淀川)左岸の毛馬桜之宮公園貯木場跡の水辺を活用し、府民の方が水辺に親しみ、くつろげる空間づくりとして、「大阪ふれあいの水辺づくり事業」を進めています。
◆「大阪市立大学漕艇部」桜ノ宮艇庫
534-0027大阪市都島区中野町1-10-6桜之宮公園内
http://www.osaka-cu.ac.jp/ja/education/after_school/extracurricular_activities/club_list/2012_a_boat
・・・むこう岸に「アートコートギャラリー」が見えています。
★1930「銀橋(桜宮橋)」設計:武田五一
http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000000959.html
北区と都島区を結ぶ橋である。銀橋ともいう。これは橋全体が銀色に塗られているためであり、大阪人にはこの愛称の方が馴染んでいる。はじめて橋が架かったのは昭和5年(1930)9月。第一次都市計画事業・天満蒲生線の附属橋梁として完成したこの橋は、戦前では国内最大のアーチ橋であった。橋長187.8メートル、幅員22メートルを誇る鋼アーチ形式。当時としては破格の128万円の工費と3年の工期がかけられた。今は、この橋上を国道1号線が走る。意匠指導は武田五一、橋の両たもとにロマネスク風の昇降口が設けられている。風情があり、橋の景観を高めている。一度訪ねてみてはいかがだろう。桜宮橋が成立する以前、少し上流に澱川橋(淀川橋ともいう)が架かっていた。明治35年(1902)10月に架けられたが、桜宮橋の完成とともに姿を消した。さて、橋名ともなった桜宮。もともとこの付近の堤防は桜の名所で、『摂津名所図会大成』に「西の岸ハ川崎の堤より北につづきて木村づつみ・堀川の樋の口・長柄の辺まで」桜並木が続き、花の時期には「都下の貴賎陸路をあゆみ船にて通ひ諷ふあり舞ふありて終日遊宴す。げに浪花において花見第一の勝地といふべし」と勝されている。また、花見時には、桜宮社頭から対岸へ船渡しがあり「桜の渡し」と呼ばれていた。こうした花見客を相手に農家が酒肴を出すようになり、『淀川両岸一覧』には「その塩梅鄙に似ずとて遊客しばしば賞翫す。なかんずく泥鰌(どじょう)汁をもって名物とせり」と紹介された。桜宮境内の料亭では、夏だけ出された荷葉(はす)飯も名物とされた。桜宮堤下には「青湾」と呼ばれた小湾があった。水が清淡で茶の湯に最適なもので、豊臣秀吉も好んで用い、隠元、売茶翁、田能村竹田など雅人も愛用した。それほど清らかな流れであったのだろう。明治初年にはこの付近の水が飲料水として大阪市中に販売されており、明治28年(1895)になって大阪市で最初の、国内でも4番目となる上水道水源地・桜宮水源地が設けられた。その給水能力は61万人分もあった。市域拡大に伴い柴島上水道が完成すると大正9年(1920)その役目を終えた。
「銀橋」の名前は、周辺がアジア最大の国営兵器工場、大阪砲兵工廠や三菱金属大阪製錬所、造幣廠等の大規模工場が集積する工場地帯だったことが一因かもしれない。交通量の増大により2006年、銀橋の横に★安藤忠雄設計の「新桜宮橋」が架橋された。