生駒山は大昔から神や仙人のようなお方が住む山と周辺から仰ぎあがめられ、巨巌や奇石、幾つかの窟から成る魁偉な姿の般若窟は、寺伝によれば、役行者が梵文般若経を書写して納め、弘法大師も若いころ修行された。
今から三百数十年前、伊勢に生まれ、江戸永代寺に入った宝山湛海律師(1629~1716)は歓喜天に対する修法に優れ、江戸の大火で焼失した永代寺八幡宮の復興では思わぬ所から金や資材が集まる祈祷の効験を発揮、人々を驚かせた。その後、京都に歓喜院を建て、独立した。しかし、ある日訪れた円忍律師の教えを受け、堺・神鳳寺(現、大鳥神社)で律師に戒を授かり、真の仏法とは何かを求めることに目覚めた。そして、道場だけの行に飽き足らず、大和葛城山麓の山林で千日不出の木食行を続け、その千日目近く、我が行を完成するにふさわしい山として「生駒山の存在」を、念ずる不動明王に暗示された。延宝6年(1678)10月10日、湛海は数人の弟子と生駒山に入った。村人や郡山藩家老らの援助と協力で翌年正月、五間四面の仮本堂が出来、湛海は念願の八万枚護摩を果たした。寺は当初、大聖無動寺と号した。
・・・「岩谷の滝」、修行の雰囲気がムンムンしています。「カエル様」も鎮座していて、有り難いことです。
【生駒ケーブル(近鉄生駒鋼索線)】
●宝山寺線:鳥居前駅~宝山寺駅間/0.9km
●山上線:宝山寺駅~生駒山上駅間/1.1km
宝山寺線は日本最初★営業用ケーブルカーで、生駒聖天と呼ばれている宝山寺への交通であり、山上線は生駒山上にある遊園地「生駒山上遊園地」への交通となっている。
宝山寺線は、2つのケーブルカーが並ぶ複線だが、運用上はそれぞれが分離された単線並列形態で、それぞれ宝山寺1号線・宝山寺2号線と呼ばれている。山上線は1つのケーブルカーからなる単線で2つの途中駅がある。通常は宝山寺1号線と山上線だけが運行され、正月などの多客期には宝山寺2号線も同時に運行されるほか、宝山寺1号線の点検時も宝山寺2号線が代わって運行される。通常、宝山寺1号線の点検は毎週木曜日に実施される。
宝山寺線は沿線がマンションも建つなど住宅地化されているため、ケーブルカーとしては珍しく立派な通勤通学路線として機能している。住宅地を通過するために踏切も3箇所存在し、そのうち1箇所(鳥居前3号踏切)は自動車が通過可能である。また、山上線にも歩行者専用の踏切が2箇所存在する。なお、運賃は鋼索線特有の特殊運賃が適用されている。生活路線であるにもかかわらず、乗車券の磁気化は行われておらず、自動改札機も無い。
【梅屋敷駅】
周囲に民家は少なく、主に宝山寺および宝山寺奥之院の参拝の為に設置された駅であり、宝山寺駅よりも宝山寺に近い。運賃や運転本数の点では宝山寺駅で下車するよりも不便になるが、宝山寺駅から下車し参拝すると本堂まで参道の階段を登らなければならないので、この駅から下った方が楽である。
その後、湛海は聖天(大聖歓喜天)を山の鎮守に仰ぎ、益々の修行と理想の密厳浄土建設を目指した。また、仏像彫刻や仏画制作の基本知識や技術にも優れ、本堂の本尊はじめ多くの作品を今に伝えている。生駒の伽藍は約十年でほぼ完成、名を寳山寺と改めた。湛海は、さらに苦修練行、十万枚護摩を数限りなく積み重ね、生きながら悟りの境地に入ることをめざした。「生駒に優れた験者あり」~。うわさは関白近衛家熙の耳にも入り、家熙は湛海の祈祷で腫れ物が治った。効験が家熙を介して時の東山天皇、将軍徳川家宣にも聞こえた。天皇、将軍から「求子の祈祷」「世継ぎの安泰祈祷」が相次ぎ、湛海はその期待に応えた。住友家はじめ多くの商売関係者や庶民もお参りするようになった。寳山寺は以後、大いに栄え、「生駒山」「生駒の聖天さん」と、現生利益を求める多くの人々の信心の寺となった。
・・・大きな岩盤に「弥勒菩薩」様が、スゴ~イ。