仏塔(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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五重塔

仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、五重の屋根を持つものをす。下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それぞれがつの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表している。仏塔は、古代インドにおいて仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために紀元前世紀頃から造られ始めたストゥーパに起源をもつ。古代インドのストゥーパは饅頭形(半球形)のものであったが、この形式が中国に伝えられると、楼閣建築の形式を取り入れて高層化するようになった。こうした楼閣形の層塔は朝鮮半島を経て日本へ伝えられた。木造の層塔は★日本に多く残っており、中国、朝鮮半島における遺例はごく少ない。

三重塔

仏教考古学論攷」によりますと、日本の三重塔は「天台宗に圧倒的に多く、これは天台教理の円融三諦思想によるものとあります。完全にとけあっている三諦(つの真理、3つの見方)。隔歴(きゃくりゃく)三諦に対する言葉。空中の三諦は天台宗において展開され受継がれてきた独自の思想で円融三諦とは働きに応じて三諦の区別はあるがその本体は一つで三者が互いに円満し合い融通し合って一諦がそのままただちに他の二諦であるという意味だそうです。

多宝塔

寺院建築のうち仏塔における形式のひとつで現代の寺院建築用語・文化財用語としては、一般に、平面が方形の初層の上に平面が円形の上層を重ね、宝形造(四角錐形)の屋根を有する二層塔婆を「多宝塔」と呼称する。宝塔という呼称もあり、現代の寺院建築用語・文化財用語では円筒形の塔身に宝形造(四角錐形)の屋根を有するものを「宝塔」と称して「多宝塔」と区別している。ただし、「宝塔」はもともと塔婆一般の美称であり、これらの呼称の区別は便宜的なものである。また、多宝塔は主に★「真言宗系の寺院で見られるのも特徴である。


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法隆寺iセンター(再掲)

636-0116奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺1-8-250745-74-6800

http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/

奈良法隆寺をはじめとする斑鳩の里を案内しますまた、歴史街道の情報や、奈良大和路の観光情報を提供します建物は斑鳩の里の民家をイメージさせる瓦葺き二階建てで、屋根の勾配に【むくり】と呼ばれるふくらみをもたせています二階部分の【むしこ窓】も印象的です

●シンボルオブジェは、法隆寺金堂の入側柱を国産のヒノキ材を使用し、実物大で再現しています。実際の法隆寺では、組物は上方にあり、見ることが難しい位置にありますが、このオブジェでは柱の下方をカットして、匠の技をより間近に見ることが出来るようにしています。


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宮大工棟梁「西岡常一の世界」

宮大工棟梁として法隆寺の昭和大修理や、薬師寺金堂復興などに多大な功績のあった故・西岡常一氏の仕事を通して、古代から伝えられてきた技術や、木の文化をパネル展示や、VTR映像で分かりやすく解説します。

西岡常一(1908年9月4日~1995年4月11日)

宮大工。奈良県斑鳩町出身。祖父西岡常吉、父楢光はともに法隆寺の宮大工棟梁であった。彼も祖父の薫陶を受け棟梁となる。法隆寺金堂の復元や法輪寺三重の塔、薬師寺金堂、同西塔などの再建を棟梁として手掛け、また途絶えていた「ヤリガンナ」などの道具の復活を行う。飛鳥時代から受け継がれていた寺院建築の技術を後世に伝えるなど「最後の宮大工」と称された。文化財保存技術者、文化功労者、斑鳩町名誉町民


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◆【法隆寺】◆(再掲)

636-0115奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-10745-75-2555

http://www.horyuji.or.jp/

★国宝「五重塔」飛鳥時代

塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた★「塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。


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【参考】五重の塔は耐震設計の教科書プラント地震防災アソシエイツより)

http://pedpa.co.jp/library/tower.html

五重塔は、独立した5つの層が下から積み重ねられた構造をしています。各層が庇の長い大きな屋根を有していること、塔身の幅が上層ほど少しずつ狭くなっていること、中央を心柱が貫通していて、5層の頂部でのみ接していること、5層の頂部に長い相輪が取り付けられ、心柱の先端に被せられていることなど、他の建築物に見られない特徴を有しています。これらの構造的特徴の全てが、五重塔の耐震性に深く関っています。


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塔の内部を見ますと、各層は軒、組物(柱上にあって軒を支える部分)、軸部(柱のある部分)より構成されています。上層の軸部から柱盤を介して軒の地垂木に伝えられた鉛直荷重は、軒荷重と共に組物に伝えられ、組物の繋肘木(力肘木ともいう)から軸部に伝えられ、そして当該層の荷重と合わせ、下層の軒の地垂木に伝えられていきます。鉛直荷重の伝達の仕組みは軒、組物(以下、軒・組物部という)と軸部では異なり、軒・組物部ではいくつかの梁(地垂木、尾垂木、繋肘木など。以下、梁等という)を介して、軸部では柱を介して伝えられていきます。したがって、軒・組物部は、梁としてのたわみにより、軸部に比べ、鉛直荷重に対して柔らかい構造になっています。木材には、繊維方向(柱の軸方向)よりも繊維に直角方向の方が圧縮荷重に対して縮みやすい(弾性係数が小さい)という性質がありますので、この性質によっても柔らかさに違いを生じています。

五重塔には、剪断変形、曲げ変形、並進運動、回転運動、ロッキング運動、連成振動、非線形振動、ホイッピング、がた、摩擦、塑性変形など、耐震設計の多くの要素が含まれています。ロッキング運動による免震、大屋根による制振、心柱による落下防止なども理に適ったことであり、新鮮な驚きです。

日本の伝統的木造建築は、鉛直荷重は基本的に柱の軸力で受ける構造になっており、大きな鉛直荷重を梁から柱に伝えるときは肘木が用いられ(梁に作用する圧縮力を分散する効果がある)、ほぞなどの局部に曲げがかかるようなことがなく、鉛直荷重に強いのが特徴です。五重塔には、水平方向の地震荷重を鉛直荷重に変換し、剪断力を低減する工夫が、二重、三重に施されているといえます。

しかし、腐食などで木材の劣化が進めば、地震時に発生する大きな鉛直荷重に耐えることが困難になります。五重塔が千年以上にわたって美しく荘厳な姿を保ち続けてきた裏には、地道な補修作業と解体修理があったようです。

こうして考えてきますと、五重塔はまるで耐震設計の教科書のようであります。

木製仏塔の技術は中国から韓国に、韓国から日本へと伝わってきました。同じ形式の塔は、戦禍などの影響もあって、両国にはほとんど残っていないようです。世界の文化遺産が、地震国の日本において、優れた耐震性をもって現存してくれているのは、ありがたいことであります。