・・・私が「ストライプ」好きだということを以前書きましたが、
◆「永谷園」
105-0003東京都港区西新橋2-36-1/03-3432-3105
●5月17日『お茶漬けの日』
「お茶づけ海苔」がおかげさまで60周年を迎えたことを記念し、2012年日本記念日協会に登録・制定しました。弊社のルーツは、江戸時代にお茶の製法を発明し、煎茶の創始者として京都にて“茶宗明神”として祀られている★永谷宗七郎(宗円)にさかのぼります。弊社創業者の永谷嘉男は、永谷宗七郎からつながる由緒あるお茶屋の家系です。『お茶漬けの日』は、その永谷宗七郎の偉業をたたえ、命日の5月17日に制定しました。
●弊社創業者、永谷嘉男の「おいしいお茶づけを、家庭で手軽に楽しめたら」という思いから、★1952年に発売。弊社の前身であるお茶屋で数多くのアイディア商品を生み出してきた嘉男の父・武蔵との共同作業によって生み出された商品で、今から60年以上前に発売されました。「お茶づけ海苔」は、抹茶・塩・砂糖などの調味料、あられ、海苔だけでシンプルに作られています。発売当時から現在まで、ほとんど変わらぬ味で、60年という長きにわたりご愛顧いただいております。発売当初は「江戸風味お茶づけ海苔」でした。1956年、商標登録に伴い「永谷園のお茶づけ海苔」に変更して以来、大きなリニューアルはなく現在に至ります。「お茶づけ海苔」の、漢字やひら仮名のバランスにもこだわったパッケージで、デザインはお茶づけから連想した“江戸の情緒”をイメージし、歌舞伎の★定式幕になぞらえた「黄・赤・黒・緑」の縞模様となっています。
★1738「永谷宗七郎」が煎茶の製法発明
http://www.nagatanien.co.jp/enjoy/backstage/
「永谷園」の起源は、江戸時代中期、山城國宇治田原郷字湯屋谷で製茶業を営んでいた永谷宗七郎(後に入道して永谷宗円と名乗る)にさかのぼる。宗七郎は煎茶の製法を発明し、日本茶の歴史に大きな功績を残した人物である。
●もっとおいしいお茶を作りたい
ときの将軍は、八代・徳川吉宗。その頃よく飲まれていたのは「煎じ茶」。ところがこれが、色は赤黒く香りも味も薄い、決しておいしいとはいえない代物だった。一方、抹茶はというと、その販売は一部の茶師(茶の生産・販売をなりわいとする者)によって厳しく管理されていたので、庶民にとって高嶺の花だった。永谷宗七郎はお茶の生産に携わる者として使命を感じた。「もっとおいしいお茶を一般の方にも飲んでもらいたい。そうだ、つくればいいのだ。」そして、宗七郎は15年もの歳月をかけ、さまざまな研究を重ねた後に今でいう「煎茶」の製法を完成させた。それまでよく飲まれていた煎じ茶は、若葉・古葉を残らず摘み取り、灰汁で煮た後、よく絞って粗く揉み、日乾や風乾で仕上げる方法をとっていた。宗七郎の完成させた製法は、まずその年の新しい葉だけを摘み取り、それを蒸し、その後に指で揉みながらホイロ(乾燥炉)の上で乾燥させるというもの。つまり、加熱して酵素の働きを殺すことにより、褐色化が抑えられ、緑色のままの茶葉になったのだ。こうしてできたお茶は、美しい薄緑色をした、芳しい香りとわずかな甘みのあるおいしいお茶だった。特にその色合いがそれまでの煎じ茶に対して印象的であったことから、「青製煎茶」と呼ばれた。
●このお茶を天下に広めさせたまえ
宗七郎は完成したばかりの煎茶をひっさげ、販路を求めて大都市江戸に向かった。江戸への道中、富士山に登り、「このお茶を天下に広めさせたまえ」と祈ったと伝えられている。
江戸到着後、宗七郎は煎茶を多くの茶商に売り込む。従来の煎じ茶とは異なることから大方の反応は鈍かったが、その中で煎茶の価値を認めたのが日本橋の茶商・山本嘉兵衛(現在の山本山)であった。嘉兵衛はこのお茶を「天下一」と名付けて販売し、たちまち江戸中で評判となる。これにより山本家は大いに隆盛し、永谷家に謝礼として明治時代まで毎年小判25両を贈り続けたという。また、宗七郎は自ら開発した新製法を独占せず、惜しみなく多くの人に伝授し、青製煎茶は次第に全国の生産地に広がっていった。さらに幕末になると、煎茶は生糸と並ぶ日本を代表する輸出品として欧米各国にも受け入れられていった。1778年、宗七郎は98歳でその生涯を閉じた。宗七郎の偉業は後世に語り継がれ、地元の宇治湯屋谷では「茶宗明神」として祀られている。現在でも茶宗明神には毎年多くの茶業関係者が参拝に訪れている。こうして、宗七郎が富士山の頂で祈った「このお茶を天下に広めさせたまえ」という思いは、場所を越え、時間を超え、たくさんの人々に届いたのであった。
★1970「さけ茶づけ」完成
1970年、まずは九州地区でテスト販売されることになった。九州ではあまり鮭を食べる習慣がなく、「九州で売れれば全国で売れるはずだ」という判断であった。セールスはサンプルを携え取引先を一軒一軒回ったが、「サケ?アルコールのことかい?」などと言われたり、★フリーズドライの技術も一般には知られておらず説明に苦労したりと商談は難航した。しかし、発売後は状況が一変する。★北島三郎さんを起用したCMのインパクトに加え味のよさが評判となり、店頭では商品が飛ぶように売れていった。九州で成功を収めた「さけ茶づけ」は順次販売エリアを拡大し、翌年には全国的なヒット商品となった。「さけ茶づけ」を皮切りに、「梅干茶づけ」(1972年)、「あさげ」(1974年)、「すし太郎」(1977年)など、永谷園を代表するロングセラー商品が続々と誕生。おいしさにこだわった妥協しない味作りと、消費者の興味を喚起するインパクトのあるCM。この両輪が回って、永谷園は一気に成長軌道に乗る。「さけ茶づけ」は、永谷園がヒットの方程式を確立した記念すべき商品となった。
★2005「サッサッ」
小気味よい音。おなじみのお茶づけ海苔の袋からは、なんと永谷園の「ブランド・ステートメント デザイン」が飛び出す・・・。こんな、ユニークなサウンドロゴが登場した。テレビCMの冒頭を中心に展開され、CMでの永谷園らしさを、より際立たせている。「お茶づけの永谷園」から幅広いイメージが膨らんでいく、印象深いサウンドロゴだ。
★『東海道五十三次』錦絵(歌川広重)カードの付録や、それを応募券として指定枚数(15枚)を郵送すると抽選で貰うことができる景品のカードセットがあった。1997年(平成9年)に終了。
・・・土日にしか開いていないのは承知していましたので、「生家」の場所に来たというだけで満足して帰るつもりでした。