・・・「一休寺」からの帰り道、
◆同志社大学「京田辺キャンパス」
610-0394京都市京田辺市多々羅都谷1-3/0774-65-7010
http://www.doshisha.ac.jp/index.html
1986年、京田辺キャンパスは文化・学術・研究の一大集積地、★関西文化学術研究都市の一角に開校しました。なだらかな丘陵地に広がる790,000㎡もの広大なキャンパスで、約9,000人が学生生活を送っています。学生たちが集まるラーネッド記念図書館前の芝生は、レンガ調で統一された学舎と美しく調和し、活気と自由な気風に満ちています。理系学部の学びの拠点として、学部棟、機械実習工場や各種実験棟など、最先端の実験設備・機器がそろうほか、同志社ローム記念館および情報メディア館など、情報教育設備も整えられています。また、各種競技場から合宿施設まで、充実したスポーツ環境を完備。近隣には学研都市キャンパスがあり、生命科学・医学領域を中心とした研究活動を展開しています。2010年に開設された多々羅キャンパスは、外国人留学生や地域住民との交流拠点であるとともに、多数のスポーツ施設を有しており、新たな課外教育活動の場として期待されています。この地には、仁徳天皇や継体天皇の宮に関わる伝承、「竹取物語」にちなんだ地名や逸話も多く残されています。室町時代には南山城で最も繁栄し、一休禅師ゆかりの酬恩庵一休寺など、京都市内とは趣の異なる歴史・文化が今も色濃い地域です。その一方で、関西文化学術研究都市の一角として、最先端の学術研究施設や企業、研究者が数多く集まる場所でもあり、知的ネットワークの拠点として着実な成果を上げています。豊かな自然の中で存分に研究に集中できる環境を備え、これからの大学の理想を形にしたキャンパス。その中で学生たちはじっくりと学問に取り組み、人と人との温かな交流を育んでいます。
★「筒城宮伝承地」
http://kyotana.be/object/detail/59/
同志社大学京田辺キャンパス内に「筒城宮址の碑」がある。1960年、遷都1450年を記念して、組織された「筒城宮跡顕彰会」により建立されたものである。この辺り(興戸・多々羅・普賢寺など)は、第26代天皇、継体天皇の筒城宮があったとされる場所である。『日本書紀』によると、継体天皇は樟葉宮にて即位した後、511年10月に皇居を筒城宮に遷し、7年間この地で過ごしたという。2011年は、筒城宮がおかれてから1500年を迎える。継体天皇は、応神天皇5世の孫で、近江国高嶋郷三尾野(滋賀県高島市)で誕生。幼少の頃に父が亡くなり、母の故郷である越前三国(福井県丸岡町高田高向へ移り住む。しかし、当時の武烈天皇に後継者がなかったため、507年、武烈天皇の姉、手白髪皇女を皇后として、樟葉宮(枚方市樟葉)にて58歳で即位。5年後の511年10月、皇居を筒城宮に遷し、7年間この地で過ごした。その後、弟国宮(乙訓)へ移り、その後ようやく大和に入った。晩年、九州で磐井の乱(527年)があり平定に苦心したが、後継を安閑天皇に禅譲し、531年、その即位と同時に崩御した。
◆【歴史資料館】◆京田辺キャンパス知真館2号館1階/0774-65-7255
http://www.doshisha.ac.jp/education/center/historical_museum.html
本館は、国内外での学術的な調査研究活動によって収集された多数の考古・民族・民俗資料、古文書・浮世絵などの歴史資料を収集・展示しています。また、キャンパス内での発掘調査で出土した、古代から近世に至る各時代の膨大な資料の整理・研究も継続しています。今出川校地とその周辺は、室町幕府の「花の御所」や江戸時代の公家屋敷があった地域にあたり、京田辺校地には★田辺天神山遺跡(京都府指定史跡)や★下司古墳群など随所に遺跡が保存されています。2011年度には、共同研究の成果をもとにした「京都の中の同志社」に関する企画展・講演会を同志社社史資料センターと開催しました。
http://hmuseum.doshisha.ac.jp/
・・・さて、広いキャンパス内を散策します。