・・・東京駅駅舎の修復は、★「復原」という言葉がキーワードです。「復元」ではありません。
【復原】
「復原」とは、オリジナルの部分等を活用しつつ元の姿に戻すこと、「復元」は、オリジナルの部分は無しに、ゼロから元の姿の物を作り上げること、という違いだそうです。今回の東京駅駅舎の「復原」は、大戦の空襲で崩れ、戦後にオリジナルとは異なる姿に修復した部分を取払い、空襲で残った部分を活かしつつ、1914年の完成時の姿に戻す大工事でした。戦後に修復された姿と一番異なるのは、丸いドームです。
・・・「工事現場」の次は、「遭難現場」首都の玄関口である「東京駅」は、歴史の舞台でもあります。
★日本初の平民出身の首相として知られる原敬が、東京駅で遭難したのは大正10(1921)年11月4日、午後7時25分頃。原は11月5日に京都で開催される政友会の近畿大会に出席する為、7時30分初の神戸行き急行に乗る予定でした。発車5分前、高橋善一東京駅駅長、見送りの面々に取り巻かれ、駅長室から南口の改札に向っているその時、円柱の陰から突進してきた暴漢が原に体当たりしました。周りには警護者がいましたが、あまりに咄嗟の出来事で何が起きたのか分からなかったといいます。追突された原が倒れかかったので、すぐ後ろにいた吉植が抱きとめました。周囲は原が一言も話さないので当身をくらって気絶したのだと思い、駅長室に運ぼうとした時、倒れている暴漢が短刀を持っていたことに気がついたのだそうです。助役室に運ばれ応急処置が試みられましたが、右胸から付けられた傷は心臓にまで達しており、ほぼ即死だったといいます。試みにと口移しで与えられた食前酒を飲み下すと、それっきり原の体の機能は止まってしまいました。
★新幹線中央乗換口の在来線側には白い床面が広がり、そのなかに1ヶ所茶色いマークがあります。ここで1930(昭和5)年11月14日、事件が起きたのです。その朝、ときの首相・浜口雄幸は東京駅へやってきました。岡山県で行われる陸軍特別大演習参観のため、午前9時発の特別急行「燕」神戸行きに乗るためホームを歩いていた時です。銃声が鳴り響き、浜口首相は右翼青年・佐郷屋留雄に撃たれ腹部をおさえてうずくまりました。駆けつけた医師によって応急手当てされたのち、東京帝国大学医学部付属病院で緊急手術。一命は取り留めましたが、翌1931(昭和6)年8月26日に62歳で亡くなっています。
【NEWS】2015.8.31読売新聞より
★東京駅前390mの日本一ビル、27年度完成へ
三菱地所は8月31日、JR東京駅前に高さ★約390メートルの超高層ビル(61階建て)を建設すると発表した。「あべのハルカス」(大阪市、高さ300メートル)を上回り、日本で最も高いビルになる。2027年度に完成する予定だ。建設予定地は、日本銀行本店に近い東京都千代田区の常盤橋地区にある約3万平方メートル超の敷地。現在はJXホールディングスの本店が入るJXビルや日本ビルなどがある。国際NPO(非営利組織)の高層ビル・都市居住協議会によると、世界で最も高いのは、ブルジュ・ハリファ(アラブ首長国連邦)の828メートル。現在のランキングでは、三菱地所の新ビルは世界20位前後にあたる。東京駅前の再開発では、三井不動産と東京建物が八重洲口に、それぞれ高さ245、250メートルのビルを21、23年度に開業させる計画があり、超高層化が進んでいる。
・・・新しいものと古いもの、日本の芸術文化は「二面性・二極性・二重性」に悩み、葛藤しながら進んでいくのでしょう。