蕨市へ(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・まずは明るいニュースから、

NEWS2015.9.3ナショナル ジオグラフィック日本版より

絶滅種のカエルを13年ぶりに再発見、エクアドル

http://news.mongabay.com/2015/09/good-news-stunning-extinct-toad-rises-again-in-ecuador-photos/


わらび1



2002年に目撃されたのを最後に絶滅したと見られていたヤセヒキガエル属の1種(学名:Atelopus bomolochos)が、南米エクアドル、クエンカ近郊の森で生きていることがわかり、関係者を喜ばせている。しかも驚くべきことに、新たに見つかった集団には、彼らの絶滅の原因とされていたツボカビの兆候が見られないという。再発見の意味は重い。なぜなら、このカエルは一帯に蔓延しているツボカビに、中南米で初めて感染が確認された種だからだ。


・・・「かえる友の会」関西支部(絶滅危惧種)を名乗るからには、いつか「本部(蕨市)」を訪問しなければと思っていたところ、ちょうど「三菱一号館美術館(丸の内)」で「河鍋暁斎」の展覧会もあり、ようやく行く機会をつくることができました。


わらび2


埼玉県蕨市

http://www.city.warabi.saitama.jp/

全国の市の中で最も面積が狭く、区町村を含めても番目(区は特別区のみ)に狭い。人口密度は全国の市町村で最も高いが、東京23区全体(14,818 人/km²)より高くはなく、市区町村では15番目である(2015年5月1日現在)。2000年代前半時には東京特別区より高かった時期もあった。主に住宅地からなるが江戸時代には蕨宿が置かれ、中山道の宿場町として非常に栄えていた。この地で1946年(昭和21年)から開催されている成年式が成人式のルーツといわれている。全国的に珍しい有料公衆便所条例が存在したが、2009年(平成21年)11月現在、無料に変わっている。

「蕨(わらび)」という地名がいつごろ生じたのかは不明であるが、文献上の初出は1352年8月17日(観応3年6月29日)付の「賀上家文献」で、「蕨郷上下」と記されている。蕨市役所付近には古来の日本住宅など多く残されており、旧中山道沿いに栄えた当時を偲ばせる建物も多い。

中仙道蕨宿公式サイト

http://www.warabijyuku.com/

江戸時代の五街道の一つで、本州中部の内陸側を経由する路線である。「中道」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。

蕨駅開設と蕨宿335-0004埼玉県蕨市中央一丁目23-1

明治26年に蕨駅が開設されましたが、蕨宿は鉄道建設に反対、賑わっていた町から離れた現在の蕨駅の場所に建設されました。そのため、蕨宿は現在でも伝統的な家々が残る貴重な場所として残されています。

蕨双子織と機神社335-0002埼玉県蕨市塚越3-2-19(塚越稲荷神社)

http://www.city.warabi.saitama.jp/hp/page000006300/hpg000006216.htm

江戸時代後期以降には、大規模な綿織物生産がさかんになりました。蕨の機(はた)織りの先覚者である「高橋新五郎翁」は、現在の塚越稲荷神社境内にある「機神社」に「機神様」として祀られています。新五郎翁は、文政9年(1826)7月7日(旧暦)の霊夢のお告げにより、それまでの高機(たかはた)に改良を加え「青縞(あおじま)」を織り始めたところ、江戸の市場を圧倒する人気を得、江戸の大丸、三越、白木屋などに直送されるほどの人気でした。その後、普段着などにする「双子織(ふたこおり)」を世に出し、綿織物生産地・蕨は、全国的に知られるようになりました。いつのころからか、この7月7日を機業創始の日として、同業者が集まって「機神社」に参拝するようになったのが「機まつり」の発祥となりました。


わらび3


◆「和樂備神社

335-0004埼玉県蕨市中央4-20-9/048-431-2549

中山道蕨宿の総鎮守。室町時代からある神社ですが、明治時代に蕨にあった神社を合祀して、和楽備(わらび)神社と命名したということです。社殿は平成9年に再建されました。蕨では一番大きな神社です。隣接する城址公園とともに、かつての蕨城の名残り。

全国に先駆けた成年式

http://www.city.warabi.saitama.jp/hp/page000001400/hpg000001357.htm

昭和21年、全国で初めて成年式(成人式)が蕨第一国民学校(現:蕨市立蕨北小学校)にて行われました。現在は蕨城址公園に「成年式発祥の地」の記念碑があり、蕨市では現在でも成年式と呼んでいます。

◆「三学院

335-0001埼玉県蕨市北町3-2048-443-1515

http://www.city.warabi.saitama.jp/hp/page000001400/hpg000001372.htm

金亀山極楽寺と号し、真言宗智山派。本尊は平安後期の慈覚大師作と伝えられる十一面観音。1591(天正19)徳川家康から寺領20石を寄進する旨の朱印状を与えられ、以後徳川歴代将軍より同様の朱印状が与えられています。


わらび4


子育地蔵尊
1694(元禄7)に三学院の秀鑁が中心となり多くの人々の協力を得て建立されました。高さは2.4メートルあり、蕨市最大の地蔵尊です。昔より人々に親しまれており、火伏、開運、子育の霊仏として今なお人々の信仰を集めています。以前は毎月4のつく日に縁日が開かれにぎわっていましたが、今は8月24日に地蔵尊縁日が開かれており、多くの人々に親しまれています。

★「旧埼玉県知事公舎

(有)大熊板金335-0004埼玉県蕨市中央4-24-22

http://ohkuma-bankin.com/natural-slate/natural-slate.html

弊社地元の蕨市三学院には、旧埼玉県知事公舎を移築したといわれる応接間があります。
移築の経緯や時期さらに建築時期などは不明ですが木造平屋建ての洋館で、外観細部に凝った意匠もあり、当社の会長(実父)が修行時代にはすでにここにあった事から、昭和初期に移築されたのではないかと推定されます。建築時代はさらに遡るはずですから大正時代に作られたことは間違いないでしょう。


わらび5


・・・「蕨市」は伝統のある町ですから、見所満載です。これから「中山道」を巡りつつ、「河鍋暁斎美術館」をめざします。