・・・「ガラス」はとても身近な素材にもかかわらず、あまりにも知らないことだらけ(遠い存在)です。
【ガラスの定義】
非常に難しく、これまでもいくつかの定義が発表されています。「目に見えて触ることもできるから固体である」「構造論的にとらえると、ものすごく冷えた液体である」等さまざまな議論がされてきました。今では★「ガラスは液体のような性質を持った固体のようなもの」と定義されています。非常にあいまいですが、「ガラス」という素材は、いまだにはっきりと解明されていない、秘めた可能性を持つ素材であると言えます。
【セントラル硝子販売株式会社】HPより
http://www.cgsweb.co.jp/company/glassstory.html
●ガラスの主な原料
地球上の砂や岩石にふくまれている「珪酸」という物質です。珪酸は二酸化珪素(SIO2)やシリカ(SILICA)とも呼ばれています。珪素が結晶化してできた石英は岩石の中によくみられる鉱物で約4~10億年前に作られたといわれています。石英が変化した★珪石や風化して粒上になった★珪砂は産出量が多く、ガラスの原料に使われています。一般的なガラスは珪酸にソーダ灰や石灰を混ぜて製造。その他混ぜる物質を変えて、クリスタルガラスや耐熱ガラスなど様々な種類のガラスが作られています。
●ガラスの語源
板硝子協会によるとオランダ語のGlasに由来。日本語にはガラスを意味する言葉がたくさんあり、インドから中国を経て来た言葉に瑠璃(るり)と玻璃(はり)とか呼ばれ、また、16世紀に入りビードロやギヤマンなどとも呼ばれていた。それぞれ、ポルトガル語のvidro、オランダ語のdiamant(★ダイヤモンド)に由来しております。なお、ギアマンは主にカットグラスをさす場合に使われました。しかし、時代とともに、ガラスが一般的に使われるようになり、硝子と書いてガラスを意味したのは、原料に「硝石」を使うことから当てたもので、これをガラスと読ませたのは明治の初年、官営の★品川硝子製造所で使ったのが、初めてのことだと云われています。
【株式会社トウチュウ】HPより
http://www.tochu.com/sand/introduction.html
愛知県・知多半島の良質な砂に着目し、私どもの会社が鋳物砂の開発に成功したのは、昭和8年3月のことでした。以来、産業界の良きパートナーとして、トウチュウは素材としての砂の可能性を見つめながら、わが国の産業の発展に大きく貢献してまいりました。また創業期からの鋳物砂の生産に加え、鋳鉄の一貫製造にもいち早く着手。その後も、普通鋼、ステンレス鋼、耐熱鋼を、近年ではアルミダイカスト部品の製造など、自らの活躍フィールドを大きく拡げながら、おかげさまで今日の発展を見ることができました。私どもは単に良質な★珪砂を安定供給するだけでなく、納入先で使用済みになった鋳物砂の処理方法や再利用の研究など、これまで以上に資源の有効利用や環境保全にも真剣に取り組んでまいります。
・・・さらにガラスの歴史を調べてみますと、
【古代ガラス】(★MIHO MUSEUM古代ガラス色彩の饗宴2013より)
http://www.miho.or.jp/japanese/member/shangrila/tpshan31.htm
今から4500年ほど前、北メソポタミアで生みだされたガラスは、鮮やかな色彩と美しい輝きで人々を魅了し続けてきました。古代メソポタミアの粘土板文書や古代エジプトの文献からは、遥かアフガンからもたらされる聖なる青い石、★ラピスラズリなどの貴石への憧れを動機に、ガラスの技法が進化していったことがうかがえます。ガラス容器が作られ始めた3500年ほど前から、様々な色ガラスが生みだされました。ラピスラズリの紺碧やトルコ石の青緑、カーネリアンの深紅やアメジストの赤紫を再現する色ガラスが実用化されます。製作技術は次第に高度化し、ついにはモザイクガラスやゴールドサンドイッチガラスのように、天然の貴石を超えるほどの美に到達したのです。
【銀化ガラス】
http://chikyu-to-umi.com/kaito/bin/bin.htm
ローマ時代や、その後のササン朝ペルシャ時代などに作られたガラスを一般に『ローマングラス』と呼んでいます。ガラスが砂や土中に長年置かれた場合にガラスの成分の珪酸や酸化アルミなどが周囲の鉄、銅、マグネシウム分などと★化学変化を起こします。これがガラスの「銀化」という現象です。表面の変化は極薄の被膜ですが、時代を重ねるに従ってまるで雲母のように多層の膜が形成されます。各部、各層に光があたるとありとあらゆる色の煌めきを発するようになります。実に多種の色がありますが、銀色が多いので一般には『銀化ガラス』と呼んでいます。銀化より少ないですが金化と呼ばれる金色もあります。しかし、どれにしてもルーペで見れば実に千差万別の色が含まれていることが判ります。『地』の産物であるガラス原料に『人』の技術を加えた上に更に、『天』の時が加わった『天地人』の協力無くしてはこの時間の芸術品は生まれません。19世紀からあらゆる試みがなされましたが、銀化を★人工的に作り出すことは出来ませんでした。また1500年も2000年も脆いガラスが完全な姿で残っていることも希有の条件と言わねばなりません。
★ローマ時代の古いガラスではなく、大正、昭和のガラスビンが海底の砂泥に30~50年浸かっていると、ローマ時代の銀化ガラスと同様な銀化現象を起こしている"海の恵みの銀化ビン"が確認されました。
・・・夏が終わる前に、ぜひ「海」に行きたいものです。石や貝殻ではなく、ビンやガラス片を探しに。
【日本におけるガラス】
日本で発見されている最も古いガラスは、弥生前期(西暦紀元前3~1世紀)と考えられている小さなガラス・ビーズです。これが国内で作られたものか、海外から輸入されたものか、今のところ分かっていません。弥生中期~後期(紀元前1~後3世紀)には、各地でガラス製の玉(丸玉、勾玉、管玉など)が出てきます。これらも日本で作られたものかどうかよく分かりませんが、弥生後期の遺跡から、ガラス炉跡と思われるものが発見されていますから、ガラスの溶融が行われていたかどうか(ガラスの溶融は当時としては難しい技術でした)は別として、2000年くらい前から、日本でガラスの成形・加工が行われていたことは間違いないところでしょう。古墳時代(3世紀末~7世紀初)に入ると、明らかに輸入品とわかるガラス器などが多く発掘されるようになります。
飛鳥・奈良時代(7~8世紀)になると、さらに多くのガラス製品が、上流階級で使われるようになります。有名な★正倉院に納められている数々のガラス製品に、その当時の状況を見ることができます。カットを施したガラス器などは輸入品ですが、小さなガラス製品、たとえば魚や小尺(ものさし)の形をした飾り具などは国産品と思われます。同じく正倉院にある古い文書(8世紀前半のもの)には、ガラス玉の製造のための原材科・燃料などの記録が残されていて、この時代に大量のガラス玉が日本で作られていたことが分かっています。
平安時代(8世紀末~12世紀末)に入ると、ガラスの遺品はほとんど見られなくなります。平安時代の文学、「源氏物語」や「枕草子」などには、ガラスの杯や壺が出てきますから、貴族社会ではガラスがよく使われていたのだと思います。また、玉などは依然として作られていたのかも知れませんが、★記録がまったく無いので、その状況は分かりません。さらに、鎌倉時代・室町時代も同様に★「ほとんど空白の時代」です。
日本のガラスの新しい歴史は、天文18年(1549)、フランシスコ・ザビエルが来日し、後に山口の領主、大内義隆にガラス器、鏡、めがねなどを贈って★キリスト教布教の許しを求めたことに始まるようです。その後、海外との交流の結果、多くのガラス製品が輸入され、また、日本でも盛んにガラスが作られるようになりました。
・・・どうして「空白の時代」があるのか気になりますよね。
【NEWS】平成25年3月21日滋賀報知新聞より
ミホ・ミュージアム春季展「古代ガラス―色彩の饗宴」
甲賀市信楽町のミホ・ミュージアムは、春季特別展「古代ガラス―色彩の饗宴―大英博物館の名宝・特別出展」を開催している。6月9日まで。今から4500年前、北メソポタミアで生み出されたガラスは、鮮やかな色彩と美しい輝きで人々を魅了してきた。古代メソポタミアの粘土板文書や古代エジプトの文献からは、遥かアフガンからもたらされる聖なる青い石、ラピスラズリなどの貴石への憧れを動機に、技法が進化していったことがうかがえる。ガラス容器が作られ始めた三千五百年前から、様々な色ガラスが生み出された。ラピスラズリの紺碧やトルコ石の青緑、カーネリアンの深紅やアメジストの赤紫を再現する色ガラスが実用化された。製作技術は次第に高度化し、ついにはモザイクガラスやゴールドサンドイッチガラスのように、天然石を超える美に到達した。同展では、大英博物館から特別出展される古代ガラスの世界的名宝十点に、国内の優れたガラスコレクションをあわせて約二百点を紹介する。色と技法を切り口に、古代の作品と本物の貴石や現代の技法で復元した作品を並べて比較し、最新の化学分析の成果を踏まえながら古代ガラスの謎に迫る。
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ファラオ頭部(前1400年―前1350年エジプト)同館蔵
・・・この「ファラオ」観てみたい、ということで、
・・・「MIHO MUSEUM」に行ってきました。