・・・泉南市の続きです。「カフェrojica」は西野紡績工場跡ですが、もとは大正時代に「西野紋羽」として創業した赤レンガ工場で、その後「西野紡績」に名前を変え業種も変更しました。
【壇建築計画事務所】
596-0044岸和田市西之内町27-5/072-444-1605
http://www.dan-kenchiku.co.jp/
西野紡績(カルチャーセンター+貸室新築工事)S造4F 1,200㎡平成5年1月
泉南市には多くの繊維関連の工場があり、活況を呈していた。江戸時代には、木綿の布地を起毛させた「紋羽」織りが樽井周辺で盛んだった。防寒の役目をすることで、明治の軍服の裏生地として使われ、また、明治の終わりから昭和の初めにかけ「紋羽」は足袋の裏生地となって出回ったので、紋羽関連工場が特に盛んだったが戦後衰退して行った。大正時代以降は多くの紡績・織物工場が樽井にあり、昭和40年代まで泉南は繊維産業で栄えていました。また、平成2年まで操業していた★「山玉醤油」は赤レンガ工場で、煙突とともに今も?残っています。
◆「泉南市立樽井小学校」/590-0521泉南市樽井4-29-1
★「山之井神社跡・樽井町役場跡」
1940年に樽井村が1村で樽井町に昇格し、役場を山之井神社跡地に建設した。その後、付近6町村が合併し、樽井町役場は出張所となった。1966年11月には泉南町役場が完成し、一部を残して引越し。1968年3月に樽井町出張所を廃止したが、建物は保存され、現在に至っている。昭和の歴史を感じる、風情ある小さな建物です。
【山之井】(泉南市樽井・男里)
『日本書紀』「神武天皇」の条に見える、「茅渟山城水門(ちぬのやまきのみなと)【山之井水門(やまのいのみなと)】に上陸」の記事は、大和朝廷の国家統一に関連する出来事の投影ではないか、ともいわれています。男里「天神の森」から樽井小学校付近までの一帯は、山之井水門【雄水門(おのみなと)】と伝えられ、『日本書紀』によると、神武天皇の兄の五瀬命(いつせのみこと)が矢傷をうけ、無念のあまり雄々しく叫んだところだとされています。当時、雄水門は北に樽井の高台をめぐらし、西には「天神の森」の砂丘を防波堤にする、理想的な良港だったのかもしれません。大正14年に樽井の有志の方々が「五瀬命遺蹟」記念碑建立と玉垣の建設をおこない、現在まで大切に残されてきました。碑の両側には、右の和歌二首が刻まれています。また男里にも昭和47年「山之井遺跡」碑が地元の方によって建立され、大切にされています。
★「根来街道」と「孝子越街道」分岐の道標(樽井4)
(正面)「すぐ 大川 左 紀州いせきこえ」
(南面)「右 大坂」(北面)「すぐ大坂」
(裏面)「天保十巳亥年十月吉日」
古くからの街道として、泉南市を縦断する根来街道。和歌山県岩出市の根来寺から風吹峠を越え、樽井の浜までの道のりです。浜街道(別名、孝子越街道)は、泉佐野市を起点とし、浜づたいに田尻町、泉南市、阪南市の尾崎・箱作を過ぎ、岬町から孝子峠を越えて和歌山市内に通じる街道です。
【山玉醤油】泉南市樽井4-33
★「喜納工業株式会社」/泉南市樽井4-33
・・・むむむ「ヤマタマ醤油」はすでに廃業されているようですが、「喜納工業」さんとの関係がわかりません。
◆「ヤマタマ醤油」(児玉醸造有限会社)
鹿児島県肝属郡東串良川東4004/0994-63-3691
味噌、醤油、酢の製造販売及び調味料、酒類販売。
明治43年10月、初代正吉の時代に焼酎、味噌、醤油の製造が始まる。昭和34年3月、2代目愛介が有限会社設立。昭和46年8月、3代目正達が焼酎部門を他の焼酎会社3社と協業化し、(現在は5社)小鹿酒造協業組合を設立。平成14年12月、4代目拓隆が代表者となる。
・・・鹿児島「ヤマタマ醤油」と泉南市「ヤマタマ醤油」との関係もわかりません。
・・・「カフェrojica」の隣にあるのが、
◆陶くらぶ「ひより」
590-0521泉南市樽井4-34-27/090-7767-4681
http://www.rinku.zaq.ne.jp/hidamari/
カフェrojicaさんと同じ赤レンガRui敷地内にあります。陶芸に興味があるけれどなかなかきっかけがない・・・ちょっと陶芸を体験してみたいな・・・陶くらぶ「ひより」では、のんびりと個性あふれる作品を自由にお作りいただけます。土のぬくもりに癒されて、心安らぐ場所で一緒に陶芸を楽しみませんか?
・・・紡績工場の事務所だったようで、大金庫がデンと置いてありました。
【大谷金庫】
(株式会社大谷金庫本店)京都市下京区松原通東洞院東入/075-361-9361
弊社は、初代大谷栄之介が明治26年、当時の★東京市京橋区に店舗を設け、金庫及び鉄扉の製造販売を目的に創業。以来、業界に先駆してお客様のご要望にお応えしつつ、父子6代110年余年を経て、国内はもちろん、遠く海外にまで進出してまいりました。その間、昭和35年1月、株式会社大谷金庫本店を設立、現在に至っております。また、創業よりの信条として「まさかの時、役に立つ金庫」の製作に精進して、その真価は既に大正12年9月1日に起こった関東大震災、ならびに戦災時における幾多の完全奏功の実例などの示すところです。
・・・船場「芝川ビル」の金庫も「東京・大谷製」でした。