◆「大宇陀(町)福祉会館」
633-2164宇陀市大宇陀拾生1873/0745-83-3811
http://aknv.city.uda.nara.jp/matuyama/susume/susume22.html
もと町役場の建物で、棟札から明治36年の建築であることが分かっている。入母屋造り、平屋建、桟瓦葺、平入の建物で、正面中央に切妻造りの玄関が張り出している。大正4年の「奈良縣風俗誌」に略平面と正面図があり、当時の建物の様子を示している。土木事務所他、様々な用途で利用されていたが、現在は「福祉会館」として利用している。
◆株式会社「森野吉野葛本舗」【森野旧薬園】◆
633-2161奈良県宇陀市大宇陀区上新1880/0745-83-0002
http://www3.pref.nara.jp/miryoku/masumasu/2510.htm
周囲に多雨な山が多い宇陀松山は、薬草が集まる町でもあった。現在もなお。薬舗や吉野葛の看板を掲げた店舗を数多く目にする事ができる。松山と薬草との関わりの歴史は、江戸時代に開園した★「森野旧薬園」で垣間見れる。江戸時代中期、当時の森野家当主・初代森野藤助通貞によって開園された。通貞は若い頃より薬草木を愛好し、自宅の敷地内で栽培・研究をしていた。そのことが、漢方薬の自給自足と農事振興の施策をとる当時の幕府の目に止まり、通貞は幕府の採薬使であった植平左平次とともに近畿一円、美濃、北陸地方の山野からも薬草を採取、幕府に献上した。その報賞として幕府より得た貴重な薬草を自家の薬園に植えたのが、「森野薬園」のおこりである。明治以降は海外からの新薬が日本に入るようになり、国内の薬園は次々と廃園となったが、それは江戸の小石川植物園と並ぶ日本最古の薬草園として貴重であり、大正15年(1926年)に国の文化財史跡に指定された。約600m2の山肌に多数の薬草木が生育しており、来園者の目を楽しませている。春はカタクリ、夏はオニユリ、秋はサフラン、冬はフクジュソウなどが美しい。歩道もしっかりと整備さているので、「これも薬草?」とじっくり学びつつ歩くことができる。江戸時代の末頃、宇陀松山地区には1000軒の家があり、その中でも薬を取り扱う家が一番多かったという。記録では、日本で作られた生薬を取り扱う和薬店が12軒、薬用酒を取り扱う薬酒店が12軒、薬剤を調合する合薬店が23軒もあった。「森野薬園」があることも含め、松山が薬のまちとして知られる理由はここに見られる。
・・・軽い気持ちで見学をお願いしたのですが、まさか「山登り」になるとは驚きです。
・・・薬草の知識はまったくありませんが、景色だけでも十分に楽しめました。絶景です。
・・・次は「神楽岡神社」へ。