紡績・赤煉瓦建築(21) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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2001「岸和田市立中央地区公民館」設計:壇建築計画

596-0072岸和田市堺町1-1072-423-9615

施工:岩出建設 http://www.iwade.co.jp/solution/culture.html

【堺町】

岸和田城下町の一つで、古城川・岸和田城・三の堀との間の三角形に位置し、堺町の由来は、場所と場所との境から名付けられたと言われます。今日では、各町ごとに法被を統一していますが、その先駆けとなったのが堺町です。昭和26年、堺町は岸和田で初めて統一した意匠の法被を若頭から幼児にいたるまで着用し、町の団結心を示しました。(現在の意匠は昭和39年から)


こなか1


こなから坂

岸和田22基のだんじりのうち、15基が「岸城神社」、6基が「岸和田天神宮」、1基が「弥栄神社」に宮入します。岸城神社に宮入するだんじりは「こなから坂を一気に駆け上がり城に向かって豪快なやりまわしを行います。こなからとは半分の半分、即ち、4分の1を意味し、この坂が4分の1勾配に見えたことから、この名前が付けられたと伝えられます。

・・・市役所横「こなから坂」を上ったところに、目的地「自泉会館」があります。


こなか3


1932「岸和田市立自泉会館岸和田文化事業協会)」

登録年月日:19970507

596-0073岸和田市岸城町5-10072-437-3801

http://www2.sensyu.ne.jp/fontaine/

岸和田紡績(現ユニチカの前身の1つ)の創設者寺田甚与茂氏に贈られた慰労金を基にして、社長を継いだ長男の甚吉氏が建て寺田財閥の社交場などに利用した倶楽部でした。1943年(昭和18)岸和田市に寄贈しました設計は、関西建築界の草分け建築家渡辺節の近世スパニッシュ作品で、1997年(平成9)に登録文化財に指定されています。現在はギャラリーも付設され、文化活動の場として利用されている。ホールでは年数回ピアノやオルガンのコンサートが開かれる。ホールと会議室、展示室は市の内外を問わず、文化活動であれば誰でも利用できます。


こなか4


【南寺田家・寺田甚与茂】(1853~1931

江戸時代から創業した岸和田市の酒造業・寺田家の長男。弟は寺田元吉。質屋店員から一代で巨富を築き、寺田財閥を形成。1881年に国立五十一銀行創立委員となり、頭取も務めた。以後、南海鉄道★岸和田紡績(後の大日本紡績、現・ユニチカ)などの各社長を歴任し、岸和田の近代化推進に貢献した。甚与茂の死去後、長男の甚吉は南海鉄道、岸和田紡績などの社長を務めた。


こなか5


・・・素敵な建築と展覧会、ぜいたくな時間と空間です。