【参考】日本ペイント明治記念館
140-0004東京都品川区南品川4-1-15/03-3740-1110
明治13年、茂木春汰・重次郎兄弟が日本で初めてのペンキの製造に成功する。翌明治14年茂木重次郎らにより日本初の塗料工業である日本ペイント株式会社の前身「光明社」が設立され、明治31年には当地に「日本ペイント株式会社」が設立される。当記念館は明治42年に竣工した日本最古の油ワニス工場の建物内に設けられており、昭和56年日本ペイント株式会社創業100周年を記念し、資料館として一般に公開が開始されている。煉瓦造りのこの建物は、品川区内で最も古い洋式建物でもある。
・・・東京にも行きたいなあ。
・・・以前にも紹介したこともありますが、「王仁神社」に寄り道です。
◆「素盞烏尊神社(通称:八坂神社)」
531-0075大阪市北区大淀南3-3-25/06-6451-5810
http://www.kissyan.com/Susano/index.html
創建年代不詳ながら牛頭天王社・祇園社と呼ばれた浦江の氏神。このあたりは古来、大仁と呼ばれ、八阪神社は室町後期より大仁村の鎮守であったと伝わります。大仁の名は朝鮮から渡来した王仁(わに)博士に因むといわれ、境内には「王仁公の所縁の地」と記された「社殿復興碑」があります。王仁博士は3世紀末に論語十巻と千体文一巻を百済より伝えた人。わが国の学問の始祖といわれています。
★「王仁社」に関し、『摂津名所図会』では「犬江殿古蹟(おほえどのこせき)難波旧図、田蓑島にあり。この所斎宮女御御楔の地、今大仁村の北端に古松一株あり。その下に石造の宮の屋根なるもの見ゆる。余は土中に埋もれたり。これ、祓除の地の古称なるか。」と記述し、『摂津名所図会大成』では「大古墳」とある。一本松大明神・正一位稲荷大明神・王仁大明神と呼ばれ、王仁の墓との伝承があるが、井上正雄は大仁の和邇部が誤って伝わったとし、三善貞司は大化2年(646年)に孝徳天皇が制定した大仁墓のことかと、いずれも否定的である。
◆大正15(1926)年「大阪福島教会」/設計:ウイリアム・M・ヴォーリズ
553-0003大阪市福島区福島7丁目19-16/06-6451-1635
http://park19.wakwak.com/~osaka-fukushima/
1908年、米国南メソヂスト監督教会により、大阪市北区上福島北二丁目155番地に講義所として福音宣教開始。昭和元年(1926)建築家のヴォーリズの設計により起工し、同年12月に竣工、昭和2年(1927)に献堂式を行った。その後2回の修繕を経て、戦後の昭和25年(1950)の大修理で装いを一変した。
・・・久しぶりのヴォーリズ建築、シンプルで美しい。
◆1934「ミナミ株式会社(旧川崎貯蓄銀行福島出張所)」/登録年月日:19991118
553-0003大阪市福島区福島5-17-7/06-6451-1371
「糸へん産業」が盛んだった大阪市福島で、南熊三郎が「南商店」を創業したのは昭和10年(1935年)のこと。当時は、無地の生機(生機:きばた…染加工する前の布生地)売りからのスタートでした。その後、染めやプリントの扱いを始め、ボーダー、ジャガードなど、徐々にカットソー生地専門商社としての幅を広げてきました。そして昭和25年(1950年)、ミナミ株式会社を設立。昭和38年(1963年)には現社屋に移り、国内生産のカットソー生地を追求しつづけて今に至ります。1990年からは東京・大阪にて展示会を開催。フランス・パリで開かれる生地の国際見本市プルミエール・ヴィジョンにも毎年出展しています。大阪市福島区にあるミナミ本社ビルは、登録有形文化財に指定されている★「旧川崎貯蓄銀行福島出張所」。明治末期から昭和初期にかけて横浜で活躍した建築家★矢部又吉により設計された西洋古典建築です。古代ギリシャの神殿やヨーロッパの古い街並を思わせる壮麗な建物は、ミナミのブランドメッセージ「Textile & Story」の象徴であり、ロゴマークのモチーフにもなっています。銀行として使われていた時代を経て、昭和38年(1963年)にミナミの社屋となった後、オフィスとしての改修を重ねてはいますが、高さのある広々とした空間や優美なコリント式の柱頭、天上装飾などは今もきちんといかされています。文化財の中で働くことを社員はみな誇りに思っており、また美しく個性的な建物は少なからず日々のものづくりへの刺激やアイデアの源泉にもなっています。
・・・会社をあげて大切に使っておられる様子が、伝わってきますね。