・・・近代建築巡りをしていますと、かなり赤煉瓦建築に出会います。古ければ古いほど味が出て、いいですよねえ。先日の「姫路旅」で立ち寄った「ニッケ印南工場」やカラオケ「煉瓦館」、「姫路市立美術館」も煉瓦造りでした。ということで、これから『紡績・赤煉瓦建築』を特集していきます。まずは、「大日本紡績平野工場」調査のために、「ユニチカ記念館」にやって来ました。
◆「尼崎紡績会社」
明治22年(1889)尼崎における最初の大工場として設立された尼崎紡績会社は、大正5年(1916)この地に新工場の建設を開始し、大正7年(1918)社名が★「大日本紡績株式会社」と改称された年に操業を開始しました。尼崎が工業都市として発展する先駆けとなりました。現在の県立尼崎病院・小田南公園一帯が工場の跡です。現在の「ユニチカ記念館」はこの会社の本社事務所として明治33年に建築された建物です。工場施設(事務所)ですがバルコニーを配した邸宅風の造りとなっています。全てイギリスから取寄せたレンガで造られ、工法もイギリス積みです。
【参考】イギリス積み
煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式。オランダ積みとよく似ていて、違いは端部の積み方のみ。イギリス積みはフランス積みに比べると、丈夫(強度が高い)で経済的(使う煉瓦が少なくて済む)といわれている。最近の研究では、積み方による強度の差はないとの説もある。イギリス積みは、土木構造物や鉄道の橋梁などでよく見られる。日本では時代的にフランス積みよりも後に採用された積み方である。
◆「大日本紡績」
1918年以降は三大紡績のひとつとうたわれた「大日本紡績」として日本の繊維産業を支え続け、1969年「日本レイヨン」との合併によって、「ユニチカ」が誕生しました。現在のユニチカは繊維事業をはじめとする、グループ各社との連動によってダイナミックな活動を推進。歴史の蓄積をグループ全体の財産としていかしながら、未来へ向けて進化し続けてきました。現在、この建物は「ユニチカ記念館」として同社の資料が展示されています。
【参考】レーヨン(rayon)
絹に似せて作った再生繊維であり、昔は人絹(じんけん、人造絹糸)、ステープル・ファイバーからスフとも呼ばれていた。レーヨンは光線(英:ray)と綿 (cotton) を組み合わせた言葉である。パルプやコットンリンターなどのセルロースを水酸化ナトリウムなどのアルカリと二硫化炭素に溶かしてビスコースにし、酸の中で紡糸して(湿式紡糸)製造する。ポリエステルなど石油を原料とした化学繊維と違い、加工処理したあと埋めると土に還る。そのため、レーヨン自体は環境に負荷をかけない繊維とされるが、製造時の二硫化炭素の毒性や、強度が低いことなどが問題となっていたことと、日本においては原料パルプを針葉樹に求めていたため製造は中止された。その一方で、レンチングリヨセル社がN-メチルモルホリン-N-オキシドを溶媒としたリヨセルを開発し、最近では高級品として広がりつつある。日本固有のセルロース繊維としてはキュプラがあり、コットンリンターを原料としたパルプを銅アンモニア溶液に溶かし、細孔から水中に押し出した再生繊維である。これは銅アンモニアレーヨンの一種である。絹に似た光沢・手触りが特徴。洋服の裏地などに用いられる。
・・・開放された窓から心地よい風が、レースのカーテンを揺らします。