・・・「姫路旅」の最大目的は「姫路市立美術館」、「姫路城」のすぐ近くにもかかわらず一度も入ったことがないなんて情けない、しかも「竹内栖鳳展」が開催されているのですから。
◆【姫路市立美術館】◆
670-0012兵庫県姫路市本町68-25/079-222-2288
http://www.city.himeji.hyogo.jp/art/
姫路市立美術館は、姫路の文化の高揚と郷土作家の育成を担う美の殿堂として昭和58年開館しました。常設展示、国内外の名品を集めた特別展示はもとより、教育・普及のための各種イベントの開催など多彩な活動を繰り広げています。
明治時代の建物(明治末~大正2年建築・旧陸軍第10師団の兵器庫、被服庫)を保存活用。世界文化遺産・姫路城の東隣にあり、緑の芝生に囲まれた赤レンガの建物はとってもおしゃれです。夜間はお城と共にライトアップされ、昼間と異なった景観を見せています。また敷地内には彫刻などが配置され、散策しながら、芸術鑑賞を楽しむことができます。なお当館の建物は、第1回兵庫県緑の建築賞(昭和60年)や環境色彩10選公共の色彩賞(昭和63年)を受け、平成15年には国の登録有形文化財になりました。
また、使用されている赤レンガを調査したところ、「大阪窯業」や「岸和田煉瓦」で生産されたものであるということもわかったそうです。詳しくは、HPをご覧ください。
★生誕150年記念「竹内栖鳳展」
2015(平成27)年2月7日(土)~3月29日(日)
姫路市立美術館の日本画の所蔵作家と言えば、上村松園、橋本関雪、小野竹喬、池田遙邨、村上華岳、濱田観などの名が挙がりますが、実は彼らは皆京都で竹内栖鳳に学んだという共通点があります。他にも錚々たる門下生を輩出し、東京画壇と双璧の京都画壇を担ったのは、作家としても教育者としても抜きん出た存在であった竹内栖鳳でした。栖鳳は1864年(元治元)京都に生まれました。時代に即した新しい絵画を模索していた明治初期、若き栖鳳は円山四条派をはじめ、数多くの伝統的な流派の画技を習得します。彼の変幻自在な表現は、時に「鵺(ぬえ)」と揶揄すらされました。急速に変わりゆく新しい時代に即応した日本絵画を追求する栖鳳は、西洋の美術表現に触れるために1900年(明治33)に渡欧します。そして「恋しい人に逢ったよう」とまで憧れたヨーロッパの芸術に大きな感化を受けます。帰国後、それでもあくまでも従来描いていたような絵画を作りたいと考えた栖鳳は、日本画の改良には実物に戻った研究、光線の研究が必要との結論に達します。こうして栖鳳は西洋の美意識を導入した近代的な日本画の創出に取り組んでいきます。帰国後に雅号を「棲鳳」から「栖鳳」、つまり西洋の「西」という文字を使うに至った栖鳳の意欲の結実した作品が、《スエズ景色》や《羅馬之図(ろーまのず)》です。幼少からの絶え間ない修練に裏打ちされた圧倒的な筆技を下地とし、新たな表現技法を貪欲に吸収した栖鳳は、伝統と革新の双方を体現した画家といえます。本展では、栖鳳の生誕150年を記念して★113年ぶりの公開となる油彩作品をはじめ、名品、初公開作品を展示し、栖鳳の多様な表現の世界を見ていくことにいたします。栖鳳が過去より継承したものは何であったのか、そして未来へつなげていったものは何であるのかを、あらためて探ります。
・・・続いて「兵庫県立歴史博物館」へ。