郷土ミュージアム(25) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【参考】「河内長野市立郷土資料館

586-0042河内長野市日東町16-170721-63-8410

http://www.city.kawachinagano.lg.jp/kakuka/syougaigakusyuu/furusato/gyoumu/1285825495113.html

当資料館は、南海高野線三日市町駅の東方約1kmの海抜200mの丘陵上にありました。もともと大師山と呼ばれたところですが、昭和5年にこの地から銅鏡や鍬形石などの石製腕飾類などが多量に出土し、古墳であることが分かりました。昭和44年に、この丘陵地域が宅地開発され、この古墳もなくなりましたが、この時の再調査で、古墳は4世紀後半につくられた全長約52mの前方後円墳であることが分かりました。この調査の結果に河内の最深部に位置しているということもあって大いに注目されました。また、当館周辺で、弥生時代後期の高地性集落【大師山遺跡】が見つかり、各種の弥生土器、石皿などの石器、鉄鏃などが出土しています。現在、これらの遺跡はなくなってしまいましたが、ここから出土した資料を展示し、その他の市域から出土した考古資料、河内長野の歴史に関する資料を調査・保管・展示するために、当館が昭和47年に開館しましたが、平成221128日(日)をもって、一般公開を終了・閉館しました。同地域にある河内長野市立東中学校の外周フェンスには、遺跡説明モニュメントが設置されています。


ながの1


・・・「ふれあい考古館郷土資料館を統合し、平成23年4月1日にふるさと歴史学習館」が開館しました。


ながの2


◆17【ふるさと歴史学習館(愛称:くろまろ館)】◆

586-0036河内長野市高向2230-50721-64-1560

http://www.city.kawachinagano.lg.jp/static/kakuka/kyousha/history-hp/index.htm



ながの3


学習館では、河内長野の歴史や文化遺産を総合的に学習することができます。「くろまろ館」という愛称で呼ばれていますが、このくろまろとは「高向玄理(たかむこのくろまろ)」といって歴史上とても有名な人物なのです。高向玄理は聖徳太子の時代に日本初の国費留学生に選ばれ、隋(現在の中国)に渡り、留学中に隋が唐になったこともあって、留学は32年にも及びました。帰国後、玄理は国博士に任命され、中大兄皇子らとともに新しい国づくりを行いました。また、中国や朝鮮半島との外交を任されるなど、飛鳥時代の中央政界で大活躍した人物です。このふるさと歴史学習館があるところは「高向(たこう)」で、玄理のふるさとと考えられることから、河内長野を代表する歴史上の人物であるとともに、館の愛称にもなっています。


ながの4


・・・河内長野市の地場産業として、ユニークな私設(企業内)ミュージアムがありますので、紹介しておきたいと思います。


ながの5


◆【つまようじ資料室】◆

586-0037河内長野市上原町885(株)広栄社内0721-52-2901

http://www.cleardent.co.jp/siryou/

ようこそ、広栄社のつまようじ資料室へ。広栄社では「三角ようじ」を普及させ、地場産業を復権させたいという思いから、1990年にこのつまようじ資料室を設置いたしました。つまようじといえば「丸いもの」と、ほとんどの人はそう思っているでしょう。しかし、欧米をはじめ世界中では、二等辺三角形の三角ようじが主流なのです。なぜ?そう思われる方には一度この「つまようじ資料室」を覗いてみてください。この資料室は、2009年には「大阪ミュージアム」の登録物として認定されております。世界の「つまようじ」事情を知っていただき、「つまようじ」の歴史にもふれてみてください。

◆【すだれ資料館】◆

586-0086河内長野市天野町1014-10721-53-1336

http://www.sudare.com/

日本文化として継承されてきた簾は、昔ながらの工程で製造される伝統的工芸品として存在する一方で、現代建築のインテリアデザインとして利用され、それに伴う工業生産品として新たに需要を拡げています。当「すだれ資料館」は、これまで我が国で継承されてきた伝統的な製法による簾や、同じ竹文化圏である中国、韓国に伝えられた歴史的に価値のある簾の資料を収集することで、簾文化のたどった道筋とその可能性を検証し、日本文化としてはぐくんだ簾を世界のインテリアデザインとしての普及をめざし開館しました。