「高槻」の地は、戦国時代、三好長慶や高山右近が拠点としていました。安土桃山時代には、高槻領主高山右近がキリシタン大名だった影響でキリスト教が広がり、日本で最初の「復活祭」が行われたところです。明治時代には隠れキリシタンの里として発展しました。
2003年(平成15)4月1日、大阪府下で2番目に「中核市」に移行。大阪府下では堺市以来7年ぶり。
大阪府の中でもサッカーの町として力を注いでおり、2012年よりJリーグのガンバ大阪がホームタウンとしている。
大阪府内で「市バス」を運営しているのは、大阪市と高槻市のみ。
【参考】けやき(欅/槻)
ニレ科の落葉高木。山野にみられ、高さは約30メートルにまで達し、よく枝分かれする。葉は卵形で先がとがり、縁にぎざぎざがある。春、淡黄色の小花を新しい枝につける。材は良質で、建築・家具などに使用。槻(つき)のき。つきげやき。
◆いましろ大王の杜(今城塚古代歴史館、史跡今城塚古墳)
569-1136高槻市郡家新町48-8/072-682-0820
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daio/1327400070525.html
今城塚古墳は、6世紀前半に築かれた、二重の濠をそなえる淀川流域最大の前方後円墳です。学術的には、継体大王(聖徳太子の直系の曽祖父)の真の陵墓といわれています。10年間にわたる発掘調査では、日本最大級の埴輪祭祀場や、墳丘内石積、石室基盤工といった当時最先端の土木技術などの、貴重な発見が相次ぎました。2004年(平成16)から始められた史跡公園としての整備工事は2011年(平成23)に完了し、同年4月1日に一般に公開されました。同時に古墳の直ぐ近くに「今城塚古代歴史館」もオープンしました。
祭祀場は埴輪まつりのステージです。外濠に向かって突き出す長さ65m、幅10mの張出は、古墳の完成後に内堤に付け足された、埴輪まつりのステージです。家や人物、動物など200点以上の形象埴輪が配置されていました。大王の死にかかわっておこなわれた儀式の様子を再現するために特設された埴輪祭祀場は、今城塚の最大の特徴です。
◆史跡「新池ハニワ工場公園」(埴輪製作遺跡)
569-1044高槻市上土室一丁目
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/shisetsu/1327317816926.html
高層住宅群の一画に再現された古代のハニワ工房と窯跡群。史跡新池ハニワ工場公園は、新池東側の丘陵上に展開する最古・最大級のハニワ工場跡を整備し、マンガ陶板や復元ハニワを通して、楽しく古墳時代やハニワづくりのようすが学べるところです。
http://haniwapark.hokkaido-potato.com/index.html
史跡新池埴輪製作遺跡は、5世紀中頃から6世紀中頃までの約100年間操業していた、日本最古最大級の埴輪生産遺跡です。3棟の大形埴輪工房と18基の埴輪窯、工人集落などが丘陵上約27,000平方メートルの発掘調査で確認され、大王陵級の古墳の埴輪生産システムを具体的に知ることができる貴重な遺跡です。ここで作られた大量の埴輪は太田茶臼山古墳(5世紀中頃、茨木市・現継体陵)や史跡今城塚古墳(6世紀前半、郡家新町)といった巨大古墳をはじめとして、土保山古墳や昼神車塚古墳などの三島の有力者の墓に立て並べられました。また同時に確認された7世紀の集落跡からは、新羅土器(しらぎ どき)も出土していて、『書紀』欽明天皇二十三年条にある新羅人の子孫が住むという「摂津国三島郡埴廬(はにいほ)」そのものにあたると考えられ、『日本書紀』の記述を裏付ける遺跡でもあります。
・・・さすが「中核市」どのミュージアムも見応えがありました。