★豊中市市民会館の看板や部材を展示「おみおくり展」
取り壊しが進む豊中市立市民会館(曽根東町3-7-1)の看板や部材などを展示した「おみおくり展」が、市民ギャラリー(本町1-1-5)で開かれている。2014年2月4~9日。市民会館で実際に使われていた電飾看板や階段の手すり、開館当時の広報誌や新聞といった印刷物、出演した人のサイン色紙など約160点が展示されている。美術家で、今回の展示会の企画・構成を担当した★伊達伸明さんは、「築40年あまりたつ市民会館の素材は、長年いろいろな人の音を吸収しており、素材自体が意味を持っていて美しい」と話している。企画展は8日と9日には床板と外壁タイルを使った工作ワークショップを開催する。会館は1968年に開館。コンサートや落語、発表会、式典などの会場として市民に親しまれてきたが、2011年に老朽化のため休館となり、2013年10月から解体工事が進んでいる。市は跡地に、★文化芸術センター(仮称)の建設をすすめている。約1300席の大ホールをはじめ、約200席の小ホール、展示室、会議室、練習室、郷土資料などを展示したスペースなどを設置予定。
・・・情報のほとんどが終了してから知ることばかりで、悔しくて仕方がありません。事前にキャッチするためには、もっともっとアンテナをのばし活動範囲を広げなければなりません。
【伊達伸明】
http://www.sendaicf.jp/atan2013/
1964兵庫県生まれ、大阪府★豊中市在住。1989京都市立芸術大学美術学部工芸科漆工専攻卒業、1991京都市立芸術大学美術学部大学院工芸専攻修了。学生時より楽器や音に関わる作品制作を行う。2000年からは取り壊される建物の部材を素材にしたウクレレを製作し、肌感覚から建物を記憶する「建築物ウクレレ化保存計画」をスタート。現在までに寺院や学校、一般住宅など65物件の建物をウクレレ化した。各地での個展やトークイベント、ワークショップなどのほか、水戸芸術館(2002年)、兵庫県立美術館(2005年)国立民族学博物館(2005年)、大阪市近代美術館心斎橋展示室(2006年)、大阪歴史博物館(2011年)、アルコミュージアム(ソウル/2011年)などで建築物ウクレレを展示。ウクレレ以外では「未来への素振り」(小山田徹との共同展示/京都芸術センター/2010年)、「池上遊覧鉄道」(岡田毅志との共同制作/総社市池上邸/2011年)、「一弦さん」(楽器は語る/国立歴史民俗博物館/2012年)、2012年より仙台にて「亜炭香古学」プロジェクトを開始。2014年から2015年にかけて、ダンス公演「とつとつダンス part.2 愛のレッスン」に出演するなど、活動は多岐にわたる。
★伊達伸明選展「豊中市立市民会館おみおくり展のおみおくり展」
2014/06/09~2014/06/26 於:GALLERYwks.
取り壊される建物から、そこに関わった人々の思い出の”痕跡”を見つけ出し、それを材料にウクレレを制作する「建築物ウクレレ化保存計画」で知られる伊達伸明。2014年2月、自身の地元である★豊中市の市民ギャラリーで、解体された市民会館の建物の一部分や施工時の資料、市の広報誌などを展示に用いた「豊中市民会館おみおくり展」を企画、開催した。それを再構成し続編として開かれていたのが今展だ。会場には「豊中市立市民会館」の立体看板文字をメインに、実際に使用されていた市民会館内の案内板や注意書きのパネル、写真資料などが展示されていたのだが、ほかに「豊」、「中」、「市」の3つの看板文字が大阪城をはじめとする大阪市内の名所、観光地を巡るという愉快なシチュエーション写真の数々も展示されていた。これらは今展のために制作されたもので、はじめは擬人化する意図はなかったそうなのだが、「豊」「中」「市」の3文字が豊中市を飛び出し、ぶらりと周遊してまわる「3人」というイメージでどれも人間味に溢れ、物語を喚起するから実に楽しい。先に開催された展覧会の内容をなぞるだけではなく、アーティストならではの発想とセンスが新たに発揮された展示。輪をかけてあじわい深く感じられる記憶の「おみおくり」だった。
・・・「おみおくり」の「おみおくり」だなんて、素敵ですよね。
【参考】思い出の校舎、ウクレレに変身/大阪市最古の小学校
05年に取り壊された大阪市最古の小学校★旧愛日小学校(中央区)の校舎の一部が同窓生の依頼を受けた造形作家の手でウクレレに生まれ変わった。友と過ごした教室の床や壁、階段の手すり――。思い出が刻み込まれた楽器は、跡地にできた再開発ビルにある「淀屋橋odona(オドナ)」に2008年9月半ばまで「歴史の証人」として展示されている。「この階段で遊んだよね」「授業中の子どもたちの顔を思い出すわ」ウクレレが飾られているオドナ2階の大阪市情報展示コーナー「アイ・スポット」には、卒業生や元教諭たちが三々五々訪れては、思い出話に花を咲かせている。愛日小は1872(明治5)年、地元の人々の寄付で創立された。1958年度には1200人あまりが在籍したが、児童数が減り、90年に開平小学校に統合され、閉校になった。校舎は29(昭和4)年に建てられた鉄筋3階建て。閉校後も市の施設として利用されたが、05年夏に再開発ビル建設のため取り壊された。「愛着ある建物をなんとか形として残せないか」。最後のPTA会長で自身も卒業生の丸山悦治さん(61)が同年5月、歴史ある建物の廃材からウクレレをつくる造形作家・伊達伸明さん(43)への依頼を提案。伊達さんは「建築物ウクレレ化保存計画」を進めており、京大の「法経第1教室」の廃材でウクレレを作った経験もある。旧愛日小の同窓生から計約15万円が寄せられた。伊達さんは「たくさんの仲間が触れた部分や誰もが覚えている場所」から材料を選んだ。ネック部分には階段の手すり。ヘッドには正面玄関の床のタイルがはめ込まれ、ボディー表面は教室の床板。裏面は1階の天井にあった星座早見版といった具合だ。今回の作品は38本目だが、楽器づくりの費用を募金で集めたのは初めてだという。「学校を大事に思う多くの人の気持ちが伝わった。その分、制作は緊張したし、やりがいがあった」と満足げだ。卒業生たちの思い出がこもったウクレレは、懐かしい音を奏でるという。「愛着のある建物はなくなってしまったが、こういう形で思い出が残った」と丸山さん。オドナでの展示が終われば、旧愛日小の歴史資料を保管する★開平小に寄贈する。
・・・今頃からだけど、追いかけたいと思います。「建築物ウクレレ化保存計画」(青幻舎)古本を探しています。
★豊中市立文化芸術センター/平成28年度(2016年度)オープン
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunka/center_keikaku/
豊中市は、ホールと美術★博物の展示スペースなどを複合させた文化芸術センターを、平成28年度中に開設するための整備に着手しました。取り組みにあたっては、市民のみなさまの生涯学習と地域文化の振興に寄与することを目的とし、地域に密着した文化芸術の拠点をめざします。市民のみなさま一人ひとりが文化芸術創造の担い手として活動し、交流できる場となるよう取組みを進めてまいります。
・・・これは、絶対に訪問しますよ。
◆5【池田市立歴史民俗資料館】◆
583-0029池田市五月丘1-10-12/072-751-3019
http://www.city.ikeda.osaka.jp/soshiki/kyoikuiinkai/rekishiminzokukan/shisetsu/1415930388439.html
池田市域の豊かな歴史、文化を紹介する施設として、1980年(昭和55)に開館しました。年間を通じて常設展、企画展(年4回入れ替え)、特別展(毎年秋に開催)を行い、池田市域の考古学、歴史学、美術、民俗学など、幅広い資料をご覧いただくことができます。主な所蔵品は、猪名川流域を代表する池田茶臼山古墳の出土資料や娯三堂古墳出土資料、中世に活躍した国人・池田氏の居城であった池田城跡出土資料など。池田市にかかわりのある貴重な古文書、和本、書画など歴史資料。
池田は自然豊かで大阪市内にも近いという良好な住環境を有しており、数多くの芸術家が居住しました。関西画壇の中心人物のひとり、鍋井克之は昭和5年(1930)に現在の住吉1丁目に転居し、同44年に亡くなるまで創作活動の拠点としていました。鍋井のほかにも日展の胡桃沢源人・融紅鷥夫妻、二紀会の森本健二、山本直治などが石橋に住み、小西謙三、古家新らは室町に居を構えました。戦後日本の画壇の第一線で活躍していた作家たちが、池田市内で交流を重ねていき、そのなかで、地域の芸術発展に積極的にかかわる必要性を感じていたようです。