続大学ミュージアム(9) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「1934JR奈良駅(設計:増田誠一、柴田四郎)」はもちろん素敵なのですが、今の「2010JR奈良駅」も奈良って感じでいいですね。

駅舎ファサードの基本コンセプトは『「奈良らしさの表現」―青丹よし―』であり、3階のホームの側壁には五色のカーテンウォールが設置され、「青丹よし」を現代的に表現している。ホーム部分には寺社の伽藍をイメージした飾り鉄柱を設置、サーモンピンクに塗られている。飾り柱の上には、垂木をイメージした装飾も設置されている。また、2階部分外装は白壁を意識した白塗り、1階部分外装は近隣のなら100年会館のような瓦をイメージした黒タイル張りとなっている。内装は、改札内は無装飾であるが、改札外部分は天井には格天井を意識した装飾が、また柱は吉野杉で美装されており、一部柱には組物を思わせる装飾が施されている。また、柱からは釣灯篭を思わせる照明も吊るされている。



【参考1】2003年(平成15)日まで使われていた代目駅舎は1934年(昭和)に完成したもので、周囲の景観に配慮して方形屋根に相輪を持つ和洋折衷様式が採用されている。大阪鉄道局建築課が京都帝室美術館懸賞設計に応募し落選した設計案を再利用したものだった。高架化に伴い取り壊される予定であったが、その歴史的価値から反対の声は根強かったこともあり、曳家によって元の位置から18m移動された上で保存され、奈良市総合観光案内所として利用されている] 。また、旧駅舎のホールにはなら・シルクロード博覧会に出品されたサモトラケのニケのレプリカ像が飾られていたが、駅舎移設に際して奈良市立一条高等学校に寄贈されている。地上駅時代は乗り換え跨線橋で東西を結んでおり、東西箇所に改札口があった。


ぶつ1


【参考2】明治期の転車台を検出JR奈良駅構内遺跡奈良県立橿原考古学研究所

JR奈良駅構内より国鉄当時の転車台を良好な状態で検出した。転車台は蒸気機関車などを方向転換するために用いられる。直径約14m、残存高72㎝、基底部幅1.38mを測る円形で、回転軸装置等の施設は取り外されていたが、煉瓦積みの土台部分は良好に残存していた。明治23年以降に造られ、大正10年には使用されなくなったものである可能性が高い。本事例は明治期の転車台の数少ない事例として重要である。


ぶつ2


・・・「1970近鉄奈良駅(設計:坂倉準三)」は地下駅ということもあって、地上はモダンなビルになっています。奈良公園へのアクセスは、こちらが便利ですね。


ぷつ3


・・・「奈良」の次は、「京都」の大学ミュージアムへ。


ぶつ4


◆特急はるか

1994年日に開港した関西国際空港へのアクセス列車のつとして運行を開始した。空港連絡特急列車の意味合いで、関空特急(Kansai Airport Limited Express/Kansai A.P Ltd.Exp)という名称が与えられている。この使い分けの例として、新大阪駅天王寺駅では、関西空港行きを「関空特急」、京都方面行きを「特急」として区別している。また、「JR時刻表」の編成表にも「関空特急[電車]はるか」と記載されている。南海電気鉄道の「ラピート」のライバルであるが、「ラピート」の停車駅拡大と同様、本列車群も当初の空港アクセス専業に加えて、ラッシュ時間帯に運行される列車は停車駅を増やしたこともあって、通勤特急の色合いが強くなっている。JR西日本の在来線特急列車としては唯一、日本語と英語の二か国語で車内自動放送が行われている。運行開始に先駆けて列車名が一般公募され、約35,000件の応募の中から選出された。最終的に空港アクセス列車であることから「空」をイメージできるもの、また「古都」である京都駅発着であることから「日本らしさ」、「はんなりと」といった日本的なイメージを持ったもの、としてそれに相応しい列車名を付けたとPRされた。なお応募件数1位は「流星」(315件)、2位は「はばたき」(311件)、3位は「いずみ」(和泉・泉も含む、307件)で拮抗しており、「はるか」は171件であった。

・・・今回はじめて、天王寺から「はるか」で京都に行きました。「はるか」の顔が、こんなに無表情(何の飾りも文字もない)だと思いませんでした。さらに、シート頭部カバーに付いているポケットは検札時「切符入れ」、車掌さんに確認しました。居眠りする時は活用してください。


ぶつ5


1977「京洛東山三十六峯四季」/原画:西山英雄、制作ルイ・フランセン

京都駅開業100年を記念して中央コンコース改札口上部に陶板レリーフ「京洛東山三十六峯四季」(原画)設置。そして、平安建都1200年(1994)記念行事として京都駅改築に伴って、ここに移設・復元しました。ルイ・フランセンさんのレリーフは、JR大阪駅にもありましたね。


・・・明治製菓・大阪工場のチョコレート大看板、京都への「行き」に気がついたので「帰り」に撮影しましたが、うまく写せませんでした。残念。