船場物語(38) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「金光教玉水教会」のすぐ斜め前にあるのが、



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【42】1935「江戸堀コダマビル」/登録年月日:20071002

大阪市西区江戸堀1-10-2606-6445-6020

http://www.sankei.com/west/news/150117/wst1501170016-n1.html

児玉竹次郎の本宅として建てられた近代建築。現在の靱本町に児玉竹平商店を構えて綿布商として大成した人物で、第二次世界大戦の大阪空襲で店の方は焼失してしまったが、鉄筋コンクリート造だった本宅は、裏が江戸堀川だったことも幸いして戦火を逃れることができた。児玉邸を設計・施工した岡本工務店は、大阪教会の工事を担当するなど、建築家・W・M・ヴォーリズの作品をいくつか手がけたことで知られる工務店で、外観にはヴォーリズが得意としたスパニッシュ様式の影響を見て取ることができる。しかし窓まわりには青海波や肘木といった和風のモチーフもみられ、和洋折衷のユニークなデザインだ。住宅内部の間取りは伝統的な和風で、間口が狭く奥に長い鰻の寝床状の敷地に、襖で仕切られた続き間の和室が並んでいた。児玉家が宝塚に新しく居を構えて移り住んだことから、戦後は賃貸に出し、一時は会員制の倶楽部の会館などとして使われていたが、1972年に竹次郎の孫に当たる竹之助氏がビルを管理するようになってから、積極的な活用がはじまった。テナントビルを基本としながら、当時まだ珍しかったイタリア現代美術を扱う画廊を自らはじめ、大阪のアートシーンで重要な役割を果たした他(画廊は閉廊)、自身も楽器を演奏することもあり、1階を改修して本格的な音響特性を備えたレッスンホールを設けた。数多くのプロの演奏家が、コンサート前のリハーサルにここを利用しているという。更に2006(平成18)年、宝塚の実家の蔵に残されていた様々な生活雑貨や台所用品を整理し、3階を改修して「大正・昭和の家庭用品展示室」として公開をはじめた。古い建物はどうしてもメンテナンスに手間がかかるものだが、竹之助氏は地下に工房を設け、鉄製の窓の金物など、替えが効かない部品は自ら修理もしたという。長く使われる建築にはオーナーの個性があらわれるものだが、江戸堀コダマビルの場合は、文化を愛する児玉氏の半生がそのまま空間化したかのような、一種の文化サロンとなっている。


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【43】1926「京町ビル」/設計:岡部顕則(岡部建築事務所)

550-0003大阪市西区京町掘1-7-106-6441-1573

西船場の四ツ橋筋に面して建っているテナントビル。4階部分の3連アーチ窓が特徴。1階部分はグレーの石貼り。2階から上褐色タイルと窓周りのグレー2色の縦ラインが素敵です。



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鉄筋コンクリート造り5階建、地下1階ですが、5階の更に上に見える切妻の部分はのちに増設された建物だそうです。

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【44】1936「安田ビル本館(第1ビル)」

550-0003大阪市西区京町堀1-8-31/06-6443-3741

http://ameblo.jp/yasuda-kyomachibori/



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その昔、安田ビル1明治銀行、地下にカフェがあったそうです。現在は、ギャラリーや建築事務所が入るテナントビルです。第3ビルは、京町堀1-9-5になります。その昔、安田正商店だったそうです。