・・・「マイドームおおさか」が気になって、寄り道します。まずは、
◆大阪商工会議所(中央支部)
540-0029大阪市中央区本町橋2-8大阪商工会議所ビル2階/06-6944-6433
1878年(明治11)7月に設立の願書が府に提出され、8月に大阪商法会議所設立
設立の儀願書を提出した有志15名:中井由兵衛、白木保三、斉藤慶則、磯野小右衛門、芝川又平、藤田伝三郎、井藤儀兵衛、妹尾平次郎、山本忠、高田伝蔵、金沢卯右衛門、沢田世範、広瀬宰平、中野梧一、五代友厚(初代会頭1878~1885)
1891年(明治24)大阪商業会議所へ改組、会員選挙実施
1954年(昭和29)商工会議所法制定を受け、大阪商工会議所へ改組
1971年(昭和46)中之島から現住所へ移転、経営情報センター設立
2001年(昭和13)★大阪企業家ミュージアムがオープン
2003年(平成15)4月に大阪工業会を統合
http://www.osaka.cci.or.jp/wakasj/
大阪商工会議所ビル南隣りには、大阪商工会議所の会頭3人の銅像が設置されています。3人の会頭は、それぞれ大阪の近代化や国際化に多大な功績があった方々で、向かって左から初代会頭の五代友厚、7代会頭の土居通夫、10代会頭の稲畑勝太郎です。銅像の奥にある若宮商工稲荷神社は、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が大阪の商工業発展を祈念して奉祀した「商工稲荷神社」と内本町の大阪商工会議所移転建設用地内にあった「若宮稲荷神社」のご神体と合祀され、新たに建立されたものです。
○大阪商工会議所創立100周年記念モニュメント「とびたつ」1978/作:松岡阜
【松岡阜】東京美術学校彫刻科を卒業。平櫛田中に師事し、写実的な作風を受け継いだ。1955年、行動美術協会に入会。1956年、行動美術賞を受賞した。代表作は阪神甲子園球場の正面入口に建つベーブ・ルース記念碑のレリーフ(1949年制作)。2005年、ルースの生誕地であるアメリカ合衆国メリーランド州ボルティモアに「スポーツ記念館」が開館し、ルースの生家が移設された際、阪神球団は松岡が保管していたオリジナルからレプリカを作成し寄贈した。なお、同レプリカは記念館に展示されている。
★大阪企業家ミュージアム http://www.kigyoka.jp/
541-0053大阪市中央区本町1-4-5大阪産業創造館B1/06-4964-7601
◆1987「マイドームおおさか」/設計:日建設計
540-0029大阪市中央区本町橋2-5/06-6947-4321
http://www.mydome.jp/mydomeosaka/
大阪の中心に立地し、来場者に便利な“都市型展示場”。大阪の中小企業の振興発展を目的に造られた。隣接する大阪商工会議所・シティプラザ大阪(ホテル)と連絡通路で結ばれ、展示、会議、宴会(パーティー)などを含めた一体的なイベントの開催が可能。展示場は3層構成で、3階展示場は高さ15mのドーム型天井を持ち、各種試験・セミナー・ファッションショーなど多目的に利用できる。
◆大阪府立貿易専門学校発祥の地・大阪府立貿易館跡
府立貿易専門学校は、戦後不足していた国際ビジネス人材の育成のため1948(昭和23)に「大阪高等貿易講習所」として設立された。その後「大阪府立貿易専門学校」と改称し、帝塚山(旧・大阪女子大学跡地)に移転。50年間でおよそ2,200名の卒業生を輩出したが、民間の教育機関が整備され府立の学校としての役割を終えたとして、2004(平成16)年3月に廃校となった。
★西町奉行所跡
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009649.html
【碑文】大坂城惣構跡・西町奉行所跡・史跡大阪府庁跡(初代)
文禄三年(一五九四)豊臣秀吉は 大坂城と城下町を大きく取り囲む、延長八キロメートルに及び城壁を築いた。これは大坂城惣構と呼ばれ、町を防御し城の守りを更に固めるために作られた軍事施設で、小田原城や伊丹城など、ごく一部の城にしか見られない珍しいものである。昭和六十年十二月、当地を発掘調査した結果、地下四メートルのところから溝で囲まれた建物や広場がみつかり、惣構の一部が砦になっていたことがわかった。この惣構に沿う東横堀川に本町橋がかっている上でとりわけ重要な場所とされ、慶長十年九年(一六一四)大坂冬の陣において豊臣方の侍大将塙団右衛門が、この橋を渡って徳川方に夜討ちをかけたことで有名である。江戸時代になると、大坂は幕府が直接支配するところとなり、ここには浜の御蔵と呼ばれる米蔵や代官所が建てられた。やがて大坂城で使う味噌を醸造するところとなり、春屋(大豆を細かくつぶす所)麹室(発酵をさせる所)土蔵(味噌を貯蔵する所)などが設けられた。これらを御塩噌蔵とよんだ。享保九年(一七二四)には妙知焼といわれる大火により、このあたりはすべて灰燼に帰した。この焼け跡に移ってきたのが、★西町奉行所(敷地は九六○○平方メートルに及ぶ)である。明治になると大阪鎮台営所(軍司令部)大阪裁判所として使用されたが、すぐに初代大阪府庁となり、庁舎は奉行所の建物がそのままつかわれた。明治七年になると大阪府庁は西区江の子島に移転。更に大正十五年、東区大手前之町に移され現在に至っている。なお当地は★初代大阪府庁跡として、昭和四十五年二月二十日、大阪府文化財保護条例により、史跡第一号に指定された。 昭和六十二年九月・大阪府教育委員会
・・・西町奉行所跡の碑は、建物の正面(東)と駐車場側(北)にも建てられています。
【碑文】西町奉行所は、享保九年(一七二四)からこの地におかれ、庶民との関係が深かった。明治時代には市内随一の楽園★大阪博物場がここに設けられた。
・・・「大阪博物場」については、またの機会に特集したいと思います。
【参考】東町奉行所跡
大阪合同庁舎第1号館/大阪市中央区大手前1-5-44
・・・「マイドームおおさか」に展示されている作品の紹介です。
○1992「FLY-1」作:内田晴之
○1996「ごきげんよう」作:マイケ・フレース