・・・「猿飛佐助」のことから「船場物語」を始めることにします。講談や「立川文庫」の小説、ゲームなどに登場する架空の忍者ですが、モデルとなった人物(上月佐助など)が実在したとする説もあるようです。
◆「立川文庫ゆかりの地」/大阪市中央区船場中央3-3
明治37年(1904)に立川熊次郎が設立した立川文明堂は大正期に『猿飛佐助』などの勧善懲悪ものを中心とした小型の文庫本を立川文庫として出版した。これがヒットし大正期の大衆文学の寵児となった。(大阪市顕彰史跡第177号)
★「立川文明堂」は、心斎橋筋と博労町通交差点の西側に、間口3間の店を構えていたということです。立川文庫によると、信濃の鳥居峠の麓に住む鷲尾佐太夫という郷士の息子という設定で、本名は井辺武助です。戸隠の山の中で猿と遊んでいるところを、戸澤白雲斎に見出されてその弟子となります。甲賀流の忍者ですが、甲賀の里で修行したという下りはありません。真田幸村に仕え、真田十勇士の第一として登場。同じ十勇士で伊賀忍者の霧隠才蔵は、ライバルです。大坂夏の陣で徳川方に敗れた後、幸村と共に薩摩に落ちのびたということになっています。
【参考1】今治市立図書館/愛媛県今治市常盤町5-203-2
http://www.library.imabari.ehime.jp/reference/index.html
立川文庫版の原作者が愛媛県今治市出身の山田阿鉄一族であることから、JR
今治駅前に猿飛佐助の銅像が立っています。
【参考2】面河渓/愛媛県上浮穴郡久万高原町
http://www.kuma-kanko.com/modules/gnavi/index.php?lid=34&cid=1
西日本随一の景勝地として知られる石鎚山の南麓に位置する面河渓は、自然の芸術品とも言える奇岩や渓流などの景観を楽しむことができます。多種多様な動植物、それらを育む天然林など、ここでしか味わえない自然が存在します。夏は天然のクーラーが楽しめ、秋には美しい紅葉を楽しむことができます。
【関門遊歩道】面河山岳博物館の地下駐車場の奥から、通天橋まで川沿いに整備された約600mの遊歩道です。両側に切り立った奇岩が迫る関門や、神秘的な空船橋など、短い散策路に見どころが集まっています。
○関門/面河川で最も幅の狭い峡谷である関門は、別名・猿飛岩とも呼ばれており、大正時代に忍者ブームを起こした立川文庫のヒーロー・猿飛佐助の名前の由来となったといわれています。面河山岳博物館のそばには★「猿飛佐助発祥の地記念碑」もあります。
◆『風神の門』著:司馬遼太郎1962
1961年(昭和36年)から1962年4月まで『東京タイムズ』に連載された。単行本は1962年に新潮社から刊行され、現行は新潮文庫(新版全2巻)で多数重版され、春陽文庫全1巻と『司馬遼太郎全集.2』(文藝春秋)にも収められている。戦国時代の忍者・霧隠才蔵こと服部才蔵が主人公となっている。真田十勇士を題材にした作品であるが、猿飛佐助と霧隠才蔵以外の十勇士は殆ど描写されていない。また、作品に登場する忍術は一貫して合理性を持たせて描写されており、忍術ものとしては荒唐無稽な描写が少ない作風となっている。「明治末期~大正年間に立川文庫の作者達が創った」とする説を紹介し、「猿飛佐助の命名は、玉秀斎を中心とした作家グループ達が行った」との説を補筆している。それを司馬さんは「半ば真実かもしれない」と理解を示した上で、「すでに江戸時代には大阪の庶民の間で語り継がれていた」とする岡本良一の異説を紹介し、『淡海故録』および『茗渓事蹟』を出典に、「三雲新左衛門賢持の子、三雲佐助賢春が猿飛佐助である」と実在説を支持している。
★『猿飛佐助』著:織田作之助1945(青空文庫作成ファイル)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/1325_19602.html
千曲川に河童が棲んでいた昔の話である・・・・
◆船場センタービル(管理事務所)6号館4階
541-0055大阪市中央区船場中央2-3-6-401/06-6281-4500
第二次世界大戦後、御堂筋、四つ橋筋、堺筋をはじめとする街路の新設拡張など都市基盤の整備がめまぐるしい勢いで進められた。なかでも船場地域は東西方向の川の流れに沿った恵まれた構造から、御堂筋を中心に南北方向の都市軸を持つ構造へと変容を遂げた。このことで繊維卸売業者が集中していた丼池繊維問屋街も活況を呈し、近畿地方はもとより西日本全域を代表する商業地域に。御堂筋(淀屋橋~本町)沿道は建設ラッシュを迎え、軒高のそろった街並みが出現。そして1970年、大阪万国博覧会の開催に合わせ、御堂筋に面した地下鉄本町駅から堺筋本町駅を超えて東西にのびた船場センタービルが完成。ショッピング店、飲食店、事務所などが入り、船場の新しい顔になった。
○昭和45年の開業から43年が経過し、外壁の老朽化が進んでいる事から、外壁のリニューアルが行われる事になりました。改修計画は白っぽいアルミパネルで建物を覆い、パネルに開けた穴から内側の壁の色が見えることで伝統的な着物柄の小紋模様が外壁一面に浮かび上がって見え、明るくスタイリッシュなイメージに変える計画です。工事費は19億2千5百万円。また夜間はLEDでライトアップされる。
○船場センタービル外壁リニューアル工事は、大阪市中央区船場中央1~4。規模は延べ17万0324平方㍍の商業施設。設計は石本設計事務所、施工は熊谷組。製造は旭ビルウォール。竣工15年5月予定。外壁上部をアルミパンチング、低層部をグラフィックコンクリート素材とし、外壁デザインは1号・2号館を鮫、3号・4号館は波、5号・6号館は鱗、7号・8号館は格子、9号・10号館は麻の葉模様となる。外壁リニューアル工事で、1号館から5号館までが完成いたしました。夜はライトアップで昼とはちがうイメージをお見せします。
○石本建築事務所は「施主から船場のイメージを一新し活性化したいと要望があり、船場に相応しい織物のような柔らかいラインで包むことを提案し、着物のデザインを建築に取入れた」と説明、グラフィックコンクリート開発者のサムリ・ナーマンカ氏は「着物に使われているパターンは非常に価値があり残ってきたデザイン。それを自分の中で理解し、新しいものを創り出すことに大きな意味を持っている」と述べている。
【参考】Samuli Naamanka(サムリ・ナーマンカ)
形態表現とクリエイティブな最新技術を繊細に融合させる、多才なインテリアデザイナーとして知られています。彼は、プロダクトデザインやインテリアデザインと同様に環境デザインも専門としており、その中でも、コンクリート製品の開発において刷新的な業績を成し遂げています。その成果として、グラフィックコンクリートデザイン技術とコンクリートの染色技術の特許開発が挙げられます。
1969年フィンランド、キーミンキ生まれ。フィンランド、エスポー在住・勤務。2004年にグラフィック・コンクリートの開発によりThe Finnish façade foundation(フィンランド外装財団)によるエレベーション・ビルディング賞を受賞し、翌年2005年にはAssociation of Interior Architects SIO (インテリア・アーキテクツ協会)のファニチャーデザイン・オブ・ザ・イヤーを獲得。2008年2月にストックホルム家具見本市においてNordiska design prize(ノルディスカ・デザイン賞)受賞。
・・・5月の完成(竣工)が待ち遠しいですね。