★3月まで聖マリア大聖堂は耐震改修工事
2014年のクリスマス礼拝は小聖堂で行われました。聖マリア大聖堂は2015年3月まで耐震改修工事が続きます。教会西側にあった駐車場が2014年初め整備され、教会の歴史、細川ガラシャや高山右近の説明板が設置されました。
◆大阪カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック玉造教会)
540-0004大阪市中央区玉造2-24-22/06-6941-2332
http://www1.ocn.ne.jp/~catholic/
1894年、この玉造の地に聖アグネス聖堂が建てられ、マリー神父が初代主任司祭となって玉造教会が誕生しました。その聖堂は戦災によって焼失しましたが、その後、仮聖堂を経て、ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、1963年3月に、現司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わりました。その大聖堂の西北には、細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されており、細川ガラシア夫人を記念して辞世の句碑が建っています。現在の聖マリア大聖堂は、鉄骨鉄筋コンクリート建て、建坪2450平方メートル、軒高20メートル、青銅板葺きの大伽藍です。(設計★長谷部鋭吉)正面の大壁画と左右にある壁画は、芸術院会員★故堂本印象画伯の筆によるものです。大小およそ100個の窓は、通風窓をのぞき、ベニス工房★羽淵紅州子の作によるステンドグラスで、イエス・キリストの生誕と洗礼、聖母マリアの生涯、そして小聖堂には日本人に福音を伝える聖フランシスコ・ザビエルが描き出されています。大聖堂内陣右側にある大十字架及び聖母と聖ヨハネ像、大聖堂の壁面に掲げられている十字架の道行の14場面、小聖堂の聖アグネスと聖フランシスコ・ザビエルの像は、オーストリアの彫刻家★ルンガルチェ氏の木彫です。大聖堂前広場の両端にある高山右近と細川ガラシア夫人の石像は、カトリック信徒の彫刻家★阿部政義氏の力作です。大聖堂のパイプオルガンは、2400本ものパイプを有するものです。
・・・ぜひ、内部を見学したいものです。
◆大阪女学院(前身:ウヰルミナ女学校)
540-0004大阪市中央区玉造2-26-54/06-6761-9371
1884(明治17)年の創設以来、キリスト教教育を基盤に、初期の頃校長に就任したA.モルガンの残したことば、すなわち「すべてに於いて私たちがめざすことは、なんらかの方法で働く義務を悟り、正直に仕事をすることを誇りとし、日常生活の雑事を越えて、物事を見抜く力のある人間を形成する」ことを建学の目的に掲げ、125年に及ぶ日本の女性教育に取り組んできた。高等教育の分野では、1968(昭和43)年に短期大学(英語科)を創設し、以来、英語教育と教養教育を統合する先進的なカリキュラムを構築してきた。その結果、学生の自己認識、社会認識を育てるとともに、社会に積極的に関わる意欲を喚起するなど、大学における新しい英語教育、教養教育の展開モデルとして大きな成果を挙げ、今日では一定の評価を得るに至っている。長く志した大学(国際・英語学部)の開設は、大学設置をめぐる国の規制が緩和された★2004(平成16)年にようやく実現をみる。根幹に据える「ミッション・ステートメント」のもと、教育の柱として重視するキリスト教教育、人権教育、英語教育と、専門的な職能にかかわる教育によって「新しい世代の女性がさらに自己の存在に目覚め、21 世紀の人類社会が抱える諸課題の解決に、すぐれた英語運用力と専門的能力を駆使しつつ積極的にコミットする、そのようなリーダーシップの担い手として成長する」ことを目標にした教育を展開している。
【参考】玉造地区商店街クーポン付き日めくりカレンダー
http://www.543life.com/tss/shop.html
玉造にある商店街(玉造日之出通り北商店街・玉造日の出通り中商店街・玉造日之出通り南商店街・玉造商店会・玉造幸村ロード)が、★大阪女学院大学・短期大学と連携し、近隣の新日本カレンダー株式会社の協力のもと、2015年版の日々がクーポン券になった日めくりカレンダーを制作・配布し商店街と地域を活性化をさせる産官学連携のプロジェクトです。後援:天王寺区 協力:大阪商工会議所
・・・楽しそうな「日めくり」ですね。私は「碑めぐり」です。
◆「空堀町」の地名は明治5年の町名変更の際、豊臣時代の空堀跡と伝えられてきた生駒町、万年町、立半町、宮崎町などの一定地区をまとめてつけられたものです。
◆どんどろ大師「善福寺」
543-0012大阪市天王寺区空堀町10-19/06-6768-6366
http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000000332.html#a1_2
大阪夏の陣の戦死者を弔うために建てられたお寺で、今も毎月21日の縁日には多くの人がお参りに訪れます。「どんどろ」というのは、天保のころ、大阪城代で弘法大師への信仰の厚かった土井殿(どいどの)がなまってそう呼ばれるようになったと言われています。
★傾城阿波鳴門「どんどろ大師の場」
http://www.joruri.info/movie/01.html
舞台はどんどろ大師の境内です。「右近・左近」に続き「妙天・妙珍」が登場し、妙珍が阿波の十郎兵衛の妻「お弓」を誘うのをころっと忘れていたことで、ちょっとした騒動になります。やがてお弓も出てきて、いろいろ面白いやりとりが展開されます。それがようやく収まった頃「巡礼にごほうしゃ・・・」と巡礼姿の「おつる」が現れ、再びちょっとした騒ぎが起こります。妙珍に「そなた、国はどこじゃえ」と聞かれ、おつるは国は阿波の徳島で、かかさんに会いたいゆえ、西国(巡礼)していると、か細い声で答えます。妙珍「してして、かかさんの名は?」おつる「アーイー、お弓と申します」と、阿波の鳴門の決めセリフ。ここで<聞いてびっくり>と浄瑠璃が入り、お弓がその子が徳島に残してきた我が子だと気付くところから、手に汗握る展開になります。
・・・私でも知っている「浄瑠璃」の定番ですね。