スペイン村へ(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆鳥羽水族館

517-8517三重県鳥羽市鳥羽3-3-60599-25-2555

2015年5月、開館60年を迎える鳥羽水族館。開館以来年々増えた飼育生物の種類数が約1200種となり、日本動物園水族館協会に加盟する日本の水族館の中でトップになったことから「感動を与え続ける水族館」に加え「飼育種類数日本一」をキャッチフレーズに、日本で最も多くの種類の生きものを飼育する水族館としても打ち出していくことに致しました。鳥羽水族館は1955年5月15日に開館しました。これまでの長い歴史の中では世界初スナメリの飼育下での繁殖成功や日本初ラッコの赤ちゃん誕生の他、世界各地で地道な調査研究活動を続け、ジュゴンの飼育下での長期飼育世界記録達成や世界初のオウムガイ3世誕生など様々な生きものの飼育実績を上げてきました。それとともに開館時には50種ほどだった飼育種類数も徐々に増え、1994年(平成6)にはそれまでの空間が約4倍となった新鳥羽水族館が完成し飼育種類も700種を超えました。その後も日本初のアフリカマナティーの飼育展示や水の回廊ゾーンの増設に伴い種類数を増やし、2011年(平成23年)に1000種類の大台を突破、そして開館58年の2013年、飼育種類数が約1200種まで到達しました。2013年夏には変わった生きものたちを集め飼育展示する「へんな生きもの研究所」がオープンし、今後、鳥羽水族館は「日本で唯一飼育するジュゴンからへんな生きもの研究所の小さな変わった生きものまで約1200種類もの生きものを飼育する飼育種類数日本一の水族館(約1200種30000点を飼育)」をキャッチフレーズとしてさらに充実した飼育・展示をめざしていきます。



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鳥羽水族館創立者「中村楠雄」

創立の歴史は「ミキモト真珠島を訪れる観光客が船で真珠島に渡る際、対岸の丸幸水産の生け簀を見学に来た」それがきっかけで、合資会社丸幸商店が日本で26番目の水族館として1955年(昭和30年)5月15日にオープンさせた。専属の職員は5名で、丸幸水産の社員も運営に駆り出される手作り水族館から始まったという。前館長の中村幸昭は、渋沢敬三から「よい水族館に育て、利益が上がったら学術研究、社会教育に還元しなさい」と言われ、この言葉を胸に刻み今日の水族館に発展させた。

橋寛憲

http://www.geocities.jp/hashi_shiki/index.html

1997年愛知県立芸術大学デザイン科卒。同大学在学中から針金による作品制作を始め今に至る。名古屋市近郊のギャラリーを中心に作品を発表。初個展は1999(ギャラリー泉)。作品のモチーフは生物を中心に、他に自動車やバイク・カラクリなど多種類あり、大きさも数センチ~3メートルと幅広く制作する。現在は主に生き物のオブジェを制作。自然を再現(あるいは複製)したいと考えている。2004年9月、鳥羽水族館内に作品「タマカイ」設置


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・・・鳥羽水族館の最大の見ものは「スナメリ」だと思います。


◆スナメリ

http://www.aquarium.co.jp/topics/index.php?id=307

スナメリはアジアの沿岸海域、特にインド、中国、インドネシア、日本の沿岸に生息する。長江では淡水に生息する特異的な個体群が見られる。生息域の北端は日本沿岸海域で、西端はインドの西岸からペルシア湾内まで続いている。日本沿岸では、銚子沖、瀬戸内海などでの生息が確認されている。大都市近郊の伊勢湾や三河湾などでも生息が知られるが、個体数は少ない。生息域は海岸に近い水深50m以内の浅い海域で、海底が滑らか、もしくは砂地になっている場所を好む。東シナ海や黄海において、例外的に海岸から150km以上離れた海域での目撃例があるが、これも水深の浅い海域である。成体は全身が明るい灰色である。生まれた直後は背の隆起付近は灰色で大部分は黒いが、4ヶ月から6ヶ月で全身灰色になる。成体の体長は1.5-2m、体重は50-60kgであり、クジラ類では最も小型の種の一つ。雄は4歳半から9歳で、雌は3歳から7歳で、それぞれ性成熟する。魚類、甲殻類、頭足類など食べられるものは何でも食べる。


てつ3


・・・水槽掃除のスタッフも見ものですね。


旧「森の水辺」ゾーン【閉鎖期間】2014年9月1日~2015年3月下旬

http://www.aquarium.co.jp/topics/index.php?id=334

リニューアル工事のため、記の期間は全面閉鎖させていただきます。また、工事期間は変更になる場合があります。ご迷惑をお掛けいたしますが予めご了承ください。ドキドキ!わくわく!を感じていただける新たなゾーン「奇跡の森」として生まれ変わります。お楽しみに!


・・・なんと、楽しみにしていたカエルちゃんには会えませんでした。


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・・・子どもたちは「アシカショー」が大好きです。


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マリンギャラリーシェルズコレクション

http://www.aquarium.co.jp/kannai/gallery.html

美しい芸術品のような貝殻は、古くから世界各地で装飾品や貨幣などに使われ、現在も海の宝石としてコレクターたちの心をとらえて止みません。鳥羽水族館は、約1万3千種という世界有数の貝のコレクションを所蔵しており、その中でも世界一高価な貝としてギネスブックにも取り挙げられているリュウグウオキナエビスや世界最大の巻貝アラフラオオニシをはじめ、世界3名宝と呼ばれるオウサマダカラ、シンセイダカラ、サラサダカラ、日本3名宝と呼ばれるテラマチダカラ、ニッポンダカラ、オトメダカラなど、約1000種2000点の貝を展示しています。鳥羽水族館所蔵コレクションの中心となっているのが寺町コレクションです。京都の画家で貝類の収集家であった、故寺町昭文氏は、約50年の歳月をかけて約7000種類の世界の貝類を収集されました。このコレクションは量・質共に世界第1級のコレクションで、鳥羽水族館が永久保存することを条件にゆずり受けたものです。

私の貝類コレクションについて寺町昭文

御挨拶申します。御挨拶と申しましても、別にとりたてて申し上げるべきことは無く、何よりもここに展示された貝が私に代わってすべてを語ってくれていることと思います。幼少の頃から、野や山の花に心からの憧れを持っていた私でした。偶然、海の土産にと母から与えられた浜の打上げ貝の一箱、これが異常に私の関心をひき、野山の花にも劣らぬ不思議な美しさへの愛着が、私の幼な心に芽生えた貝に対する関心の初めでしょう。時は東京大震災の年、折から胸を病んで紀州塩津の海辺に療養の半年間、つれづれのままに浜の貝を漁ったのが貝の採集の始まりでした。浜といっても僅か半町位の狭い砂浜、嵐で打上げられたり、漁船の網からの落ちこぼれや付近の磯で集めた貝が300種余り、これが私の貝の採集の発端となり、翌年は紀州の湯崎、引続いて沖縄と私の本格的な貝の蒐集に踏み出し、爾来50余年、今に至った次第です。思えば夢の内に生を受け、夢の内に消えて行くこの世の短い生に、ふと迷い込んだ貝の道でした。見る程に捨て難い貝への愛着に深入りすればする程、道は無限です。色の美しさ、形の面白さから、果ては分類、生態、形態、種と種との関連の探求と、踏み込めば踏み込む程、限りない貝の世界でした。貝と苦楽を共にした 50年、貝の蒐集と採集を通じて知り得た人生の荒波、人の心の裏表、温情や理解、誤解の数々、これもすべて貝に終始した私にとっては、いずれも貝を通じてのことでした。私のコレクション発足の最初の夢は、日本産貝類の完璧な蒐集、今にして思えば身の程知らぬ若気の野望、ようやく成し得たことは日本産貝類の蒐集の骨格、それも至って不完全な骨格程度、お願いしたいのは、今後この骨格を基礎としての肉付けの蒐集と研究の継続です。いかなる学問も数々の研究者の苦心の集積の上に成り立つもので、一代で止まればそのコレクションはすでに死物にも等しい。寺町の名は消えても新しい後継者の手に移り、取捨補充されていってこそ永久に生きるものと思います。従って、お願いしたいのは、寺町コレクションの名は今回限りにしていただいて、寺町の名に煩わされることなく、新しい名の下に新しい後継者の手によって、このコレクションの完成に向かって努力していただき、寺町の名などは古い記憶の片隅に残れば充分と思います。もの言わぬ貝を相手に黙々と50年、貝と同様、口下手な私、ましてやそれを文にすることおや・・・。この拙文をそえて御挨拶にかえます。



・・・カエルちゃんは見れませんでしたが、「寺町コレクション」をじっくり観れたので、よかったよかった。