立体彫刻(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・紹介が抜けていた作家さんです。



流政之】(1923~)「雲の砦」自作再見

ニューヨークの世界貿易センター(WTC)ビル前の広場のために作った。完成は1975年。構想から7年ぐらいかかっている。当時、「世界最大級の石の彫刻」と言われた。初めて日本で彫刻の個展を開いたのは55年。その後、作品を買ってくれたロックフェラー3世夫人などが応援してくれて、64年に米国での暮らしを始めた。第2次大戦中は海軍の零式戦闘機パイロット。軍人がアーティストとしてアメリカで世に出るなんて、その後ないんじゃない。WTCの仕事は、国際コンペで指名された。審査では「日本にはそんな技術があるのか」と聞かれて。厳しかった。日本には、外国に匹敵する歴史的彫刻家がいなかったから。当時、110階建ての建物なんてない。それと張り合うわけですよ。だから、えらく心配だった。困ったなと、ダウンタウンで1杯飲んでいたら「どうせ地上からは、半分より上は見えない」と気づいた。どっしりした石が、ちょっとねじれて浮かび上がる緊張感。相反するものが一つになっている。私にとって基本形となった作品でしょうね。表したかったのは「永遠に変わらざる平和」。実はあの形は、初の個展に出した、第2次大戦の日本とアメリカのパイロットを追悼する木彫「飛」(55年)に全く似ている。平和を願った時、頭にちらついた。世界経済の中心WTCに平和を祈るものを作ったのは、ちょっとからかったんだ。経済は闘いだから。そこが、平和の原点になるとは・・・。2001年9月11日、飛行機によるテロ攻撃では「雲の砦(とりで)」は壊れなかった。それを知った時は「さすがだ」と。中には鉄骨が入っているから強度はあった。でも、救助に使う重機を運び込むため壊された。残っていたらすてきだったけど、「ここにナガレの彫刻があった」と繰り返し繰り返し語られることで、人の記憶には残るでしょう。04年、個展を開いた札幌市の北海道立近代美術館に、新たに作った半分の大きさの「雲の砦Jr.」を設置した。いつか、もう一回作るとなれば、作ろうと思う。その時のために、日本に置いてある原型ですね。2012年6月

1923年長崎県に生まれ、幼少時代は東京で過ごす。1936年京都に移り、1942年立命館大学法文学部へ進学。その後中退し、海軍予備学生出身の零戦搭乗員として終戦を迎える。その後、世界各地を放浪、独学で彫刻を学び現在に至る。現在、高松市郊外の庵治半島の北端近くにアトリエを構え住む

李禹煥】「リ・ウーファン1936~

大韓民国慶尚南道に生まれ、日本を拠点に世界的に活動している。日本の現代美術の大きな動向である「もの派」を理論的に主導したことで有名である。直島に安藤忠雄とのコラボレーションによる李禹煥美術館が開館した。多摩美術大学名誉教授。



みなみ1


・・・「井上武吉(1930-1997)」さんは、私が在学中・武蔵野美術大学で教えておられたこともあり、故郷「室生」を訪問させていただき「室生山上公園芸術の森」や「道の駅・宇陀路室生」を巡りました。

http://www.city.uda.nara.jp/sanzyoukouen/

http://www1.kcn.ne.jp/~ongaku_m/tourist/miti/monument.html

【井上武吉】奈良県生れ。武蔵野美術学校卒業。1955年1960年自由美術家協会に出品。1963年サン・パウロ・ビエンナーレに出品。1974年1979年滞独後1984年まで滞仏。1950~1951武蔵野美術大学教授。自己の原風景を郷里室生とそこで過ごした幼年期に求め、昆虫などの具象的イメージから内面を表象する「My Sky Hole」へと展開し、抽象彫刻に新たな面をもたらした。

・・・ですから、この大阪教育大学の「高台」に作品が設置されているのは、とてもジ~ンときます。


・・・「小田襄19362004)」さんの作品については、ぶつかる危険があるからなのでしょうが、まるで工事中ですね。もったいないので、設置場所を検討していただきいものです。

小田襄昭和42~44年イタリア政府留学生としてローマで制作、ユーゴ、チェコなどの国際彫刻シンポジウムに招待参加。パリ、ミュンヘン、ミラノ、バルセロナなど欧米各地で作品を発表。国内各地の野外彫刻展でも多くの賞を受けた。国際的な金属造形作家として知られ、ステンレスなどの金属を用いた幾何学的・構成的な抽象彫刻を発表、“形の持つ純粋性”を追求した。多摩美術大学教授、日本美術家連盟理事長を務めた。


・・・そして、目的の「多田美波」さんの作品が見えてきました。


みなみ2


・・・「多田美波(1924~2014)」さんの作品が「墓標」に見え、「湯原和夫(1930~)」さんの作品が「ひつぎ」のように思えました。


みなみ3


【湯原和夫】昭和5年9月30日生まれ。昭和33年新制作協会展で新作家賞。42年現代日本彫刻展で受賞。44年サンパウロ-ビエンナーレに出品。47年中原悌二郎賞優秀賞。ステンレススチールをもちいて,密度のたかい空間表現を追求する。東京出身。東京芸大卒。作品に「不快な門」「作品―16'」など。19972002金沢美術工芸大学大学院教授


みなみ4


柏原キャンパスに新たな彫刻モニュメントを設置

本学柏原キャンパスには彫塑など様々な美術品が野外に展示されていますが2011年6月1日(水)新たな作品が加わりました。彫刻モニュメント「手鏡」が大学会館東側噴水池西側の広場の植え込みに設置されました。戦後関西美術界の鬼才といわれた池田遊子(1909~2006年)作の高さ3・5m幅1・6m重量約400㎏堂々たる作品です。「自然と人間との共生」を念願とした遊子の代表作です。「自然に恵まれた柏原キャンパスに展示し彼の芸術ビジョンについて学生たちに広く鑑賞してほしい」と所有者の財団法人天門美術館(枚方市山之上北町池田方彩館長)から寄贈を受けました。仲立ちをした美術教育講座の田中久和教授は「写実的な作品(「希望像」植田暁作本学初代彫刻教授)と遊子の抽象性を対比し人体像の多様な表現を味わっていただければ」と話しています。


みなみ5


・・・彫刻作品ではありませんが、大学のモニュメントとして素晴らしいですよね。


大阪教育大学柏原キャンパスの測地座標の精密測量を行った。測量は相対測量法によるGPS測位光波測距儀による座標測定及び天文測量による方位決定に基づく。この測量の主目的は天体観測のための基礎資料として教員養成棟(C3棟)屋上に新設された天体観測ドーム内の望遠鏡礎台の測地座標を決定することにある。その結果は日本測地座標系において北緯34゜32′52.716″東経135゜39′6.646″海抜155.85mであった。さらにキャンパス内に複数の測位点を設けそれらの測量も行った。これらの値をもとに公共の場に測地座標を表示するモニュメントを建設して多くの分野で今回の測量値が活用できることをめざしている。