教会(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「ワッハ上方」が元気だった頃、「島之内寄席」が開催されていました。そして、その歴史を振り返りますと「島之内教会」が登場します。


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島之内寄席

http://www.kamigatarakugo.jp/shimanouti.html

当席は昭和47年に上方落語協会(現在は、公益社団法人上方落語協会)が、月例として発足させた伝統の落語会です。現在、毎月1回開催しております。

※上方落語協会 http://www.kamigatarakugo.jp/index.html

1972年2月21日に上方落語協会会長であった代目笑福亭松鶴発案の元に南区千年町(現・中央区東心斎橋)の島之内教会内に開場させる。すでに同教会で小劇場の上演を開催していた牧師の西原明の協力により実現したものであった。教会での寄席の開催は1974年2月まで実施された。その後1974年4月に心斎橋ブラザーミシンビル、12月には船場センタービル地下のボウリング場、1975年にはダイエー京橋店で「島之内京橋ダイエー亭」と題して続くも月3日興行に縮小、1984年4月に南区畳屋町にある料亭「暫」に移るも1987年にビル改装のため閉鎖、1987年に心斎橋のCBカレッジへ移り月1回に縮小、1993年に天王寺の一心寺シアター、1996年のワッハ上方開館に伴いレッスンルームへ移転。2005年にワッハホールへと会場を移し、ワッハホールの閉館に伴い、2011年に千日前のTORII HALLに移転し、月1日興行ながら現在も続いている。


・・・「継続」は「力」なり。


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西原明(1928年2009年)

兵庫県神戸市出身。島之内教会第12代牧師。海外留学の経験より教会の公開に努め、音楽関係・演劇関係・自殺防止の働きなどで多方面と交流があった。特に晩年は自殺防止活動に注力した。牧師として在職当時、1968年6月から教会を「島之内小劇場」として文化的活動の会場に提供した。1972年3月から2年間、「島之内寄席」を開催。1974年に状況劇場(唐十郎主宰)の公演「腰巻お仙」が、教会にはふさわしくない、と反対の声が出た。このため信徒ら約60人が出席して総会を開催。西原は「小劇場が続けられないなら私は教会をやめる」とまで発言。激論の末、わずか1票差で、小劇場継続が決まった。1976年12月15日に関西室内楽協会がチャペルコンサートを開き、以降西原が教会を去るまでに214回を数えた(西原の退任日に第214回となる送別演奏会がおこなわれている)。これをもって小劇場活動は30年の歴史に幕を下ろした。演奏会は西原の退任後も続けられたが、2005年11月に教会が一般への貸し出し停止を決めたことに伴い、2005年12月のラストコンサートをもって終了しましたが、現在は、また可能になったようです。


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日本基督教団島之内教会」/登録年月日:20091102

542-0083大阪市中央区東心斎橋1-6-706-6271-8202

http://www.shimanouchi-church.org/index.html

1882年(明治15年)デフォレスト宣教師から男女6名が洗礼を受け、会堂を献堂し、同志社英学校神学科在学中の上原方立(熊本バンドの一人)を牧師に招聘した。2014年で島之内教会は創立128年目です。1929年(昭和4年)現会堂が完成。設計者は中村鎮氏で、彼の設計による現存する会堂は東京の弓町本郷教会、福岡の福岡警固教会、大阪の天満教会と島之内教会です。2009年(平成21年)文化庁より「登録有形文化財」の指定を受けた。

島之内教会は音楽会、講演会等に会堂の貸出をしています。また、結婚式も可能です。

http://www.shimanouchi-church.org/rental.html

中村鎮18901933

福岡県糸島郡波多江村出身。早稲田大学理工科建築科卒。日本組合基督教会本郷教会(現:日本基督教団弓町本郷教会)の会員大日本帝国陸軍の技手を経て、1920年、中村鎮建築研究所を設立した。建築評論家として、建築の芸術論を発表し、住宅や宗教建築を中心とした建築をてがけた。揺籃期の鉄筋コンクリートブロック建築に大きな功績を残した。

【参考】中村式鉄筋コンクリート(NRC)研究会

http://nrck.blog19.fc2.com/

・・・さて、ほかに「寄席」を開催している教会はあるかなあと調べてみますと、


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★第35回ひがしむき寄席

11月23日(日)場所:奈良基督教会

出番:桂雀太「始末の極意」桂宗助「抜け雀」桂出丸「不動坊」

恒例、秋の「ひがしむき寄席」です。今回は米朝一門の人です。同じ米朝一門ですが全員師匠が違います。雀三郎師匠の弟子の雀太さん、米朝師匠の弟子の宗助さん、ざこば師匠の弟子の出丸、の人です。


東向商店街

平城京の外京六坊大路であり、東側はすぐ興福寺の境内となっている。この為、通りの西側にのみ建物が建てられ、全ての建物が東を向いていたため「東向」と呼ばれるようになったという。その後、興福寺の勢力が衰退すると、通りの東側にも建物が建つようになった。1914年に大阪電気軌道が上本町~奈良間に開通すると、東向商店街は駅前商店街となり、発展した。戦前の最盛期には高島屋や大軌百貨店が出店するなど、奈良最大の繁華街となった。戦後も国際文化観光都市奈良を代表する商店街であり続け、現在に至る。なお、現在のアーケードは1984年に再建されたもので、同じ年にこれを記念して「ギャルみこし」が弁財天祭りのイベントとして行われるようになった。その後2006年に、資金不足と人手不足のため中止されることになったが、5年後に平城遷都1300年祭を記念して復活している。


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奈良基督教会登録年月日:19970715

630-8213奈良市登大路町450742-22-3818

http://www.nskk.org/kyoto/nara/

奈良在住の信徒とアメリカ人のジョン・マキム牧師によって1885年(明治18年)伝道を始め、2年後に現在の地の近く(花芝町)に教会を開きました。この教会は後に現在地の正門の辺りに移築しましたが、1930年に現在の礼拝堂と、附属する会館を新築して今日に至っています。附属する会館には、1930年開設の親愛幼稚園があり、また教会の敷地内にはマリア館と、1989年新築のシオンホールがあり、様々な催し、活動に使用されています。牧師館は北門を入った左奥にあります。奈良キリスト教会は、16世紀英国における宗教改革の流れを汲む日本聖公会に属しています。聖公会は、12使徒時代からの古い伝統を継承しつつ時代とともにそれを改革してきました。現在、北米・アジア・アフリカなど全世界で31の聖公会(信徒数約7000万人)が一致の交わりを保っています。日本には19世紀半ばに伝えられ、国内に約320の教会と立教学院・平安女学院・桃山学院・プール学院・また、聖ルカ国際病院など多くの教育、社会福祉、医療の分野で働きを続けています。教会堂と幼稚園舎、間をつなぐ渡り廊下は国の登録有形文化財に指定されています。設計者・大木吉太郎(教会の信者であった宮大工)の腐心によって全体として延びのある和風様式でまとめ上げられています。


・・・「教会」で「落語」、一度聴いてみたいものですね。