紅葉狩り(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「街はミュージアム」だと、ことあるごとに強調してきましたが、この「紅葉」の時期は、いっそうの深まりを見せます(魅せます)。



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◆城南宮 http://www.jonangu.com/

612-8459京都市伏見区中島鳥羽離宮町7075-623-0846

城南宮は、平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮であることから、城南宮と称えられます。そして、国常立尊八千矛神(大国主命)息長帯日売命(神功皇后)の三柱の神様を中心にお祀りしています。城南宮が鎮まる鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であり、また鴨川と桂川に臨む景勝地でもありました。やがて貴族の別荘が建てられるようになり、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始されたのです。上皇の御所や御堂、また貴族の御殿などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は「都遷りのようである」とその賑わいがたとえられています。こうして白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せたのでした。離宮の池に舟を浮かべて四季の移ろいを賞で、またしばしば歌の会が催されて人々は風雅の道を競いました。


しろ2


城南宮は、この離宮の守護神として更に崇められ、一層賑やかに祭礼が行われるようになりました。境内に続く馬場では競馬や流鏑馬が行われ腕前を競い合ったのです。後白河法皇は今様を好み『梁塵秘抄』を残しましたが、その中に「いざれこまつぶり城南寺の祭り見に・・・」という祭り見物を誘う今様があります。平安時代の末になり、紀州の熊野三山に参詣することが一大ブームになりました。出立の前には精進潔斎を重ね、道中の無事を祈り旅立ちました。特に白河上皇や鳥羽上皇は熊野詣の精進所として城南離宮をしばしば選ばれました。ここに7日程籠って身を清め、道中の安全を祈願して、往復一月にも及ぶ信心の旅に出掛けたのです。また当時の人々の心を捉えた方違えの宿所に城南離宮が選ばれる事も多く、城南宮の方角の災いを除く方除、旅行安全の信仰を見ることができます。


しろ3


★神苑

ご社殿を取り囲むように広がる神苑-楽水苑-は、伏見の地下水を引き入れた,、水の豊かなすがすがしい庭園です。春の山・平安の庭・室町の庭・桃山の庭・離宮の庭と趣の異なる5つの庭からなり、日本庭園史上画期をなす時代の庭園のそれぞれの特徴と情趣を堪能することができます。また苑内のそこかしこに、『源氏物語』に登場するほとんど全ての植物(100余種)が植栽され、草木を通して平安の雅、自然を慈しむ日本の心に触れていただければ幸いです。


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【春の山】椿、枝垂れ梅、三つ葉ツツジ、ササユリと春の草木が次々と景色を彩る春の山。6月25日から30日には、半年間の穢を小川に流して心身を清める「人形流し」が禊の小川で行われます。白河上皇は城南離宮を築く際に、『源氏物語』に描かれた光源氏の大邸宅、すなわち四季の庭を備えた六條院をモデルにしたといわれ、ここ春の山と対を成す秋の山が国道を隔てて西にあり、史蹟公園になっています。


しろ5


【平安の庭】平安時代、貴族の寝殿造りの邸宅は池を備え、遣水という小川が流れていました。これに倣い、社殿を背景に広がる池に、清冽な水が、段落ちの滝と遣水から陽光をきらめかせて注いでいます。池の周囲には、秋の七草のオミナエシや萩、またリンドウが咲き、野趣に富んでいます。城南離宮はその大半を池が占め、舟を浮かべることができるように深く掘り下げ、またその土で中ノ島を築き、各地から名石を集めて景色を整えたといいます。そして管絃の遊び、花見の宴、和歌の会と四季折々に風流を楽しんだのです。ここ平安の庭の遣水で、4月29日と11月3日、王朝の雅を今に伝える「曲水の宴」が行われ、とりわけ多くの人で賑わいます。