・・・バスでの移動です。
◆【大谷大学博物館】◆
http://www.otani.ac.jp/kyo_kikan/museum/
603-8143京都市北区小山上総町/075-432-3131(代表)
博物館は、近代化100周年記念事業の一環として建設された真宗総合学術センター響流館の1階に位置しています。博物館の設置構想は、本学図書館が収蔵していた貴重資料および考古遺物や民俗資料などの文物を含む多様な資料の適切な保管と調査研究、1987年に開設された博物館学課程の充実化、生涯学習など社会的要請への対応などを目的に策定されました。そして、2003年10月、図書館所蔵の貴重資料を中心に、歴史学科などに保管されていた資料を収蔵品とする博物館が開館しました。
※響流館(こうるかん)2001(平成13)年に真宗総合学術センターとして竣工。図書館、博物館、総合研究室、真宗総合研究所、メディアホール、ギャラリー等から構成された教育、学術研究の総合拠点。教育研究支援部(教育研究支援課、図書・博物館課)の事務室がある。
提言された博物館の3つの機能は開館6周年を迎える現在も引き継がれ展開しています。その第一は、博物館資料の収集、整理、保存、研究、展示、教育、普及といった博物館本来の機能、第二は、収蔵品との関係から真宗・仏教文化財への認識を広く社会に普及するための「真宗・仏教文化財センター」としての機能、第三は、仏教文化財に造詣の深い特色ある学芸員養成のための学習・実習施設としての機能です。本館の収蔵品は、真宗・仏教学・哲学・歴史学・文学など多分野にわたります。その特色は、真宗・仏教文化財はもちろんのこと、中央アジアから東アジアにかけての資料が充実していることです。また、チベット語やパーリ語などによる典籍も多く、たとえば、中国・清代に北京で制作されたチベット語の勅版大蔵経である「北京版西蔵大蔵経」は、ほぼ完全な揃いとしては、現在本学のほかパリ国立図書館などに所蔵されている数部のみで、まさに世界的な価値を持つものです。さらに、東洋学や日本史研究に資する漢籍、和書、古文書類の所蔵も豊富であり、かつ多くの貴重な資料を有しています。なかでも、現在は亡佚した中国・唐代の碑を宋代に採拓した宋拓「化度寺故僧邕禅師舎利塔銘」、空海の詩文を集めた『高野雑筆集』、平安貴族の藤原資房の日記『春記』、親鸞が師と仰いだ法然が関白九条兼実の求めに応じて著した『選択本願念仏集』など、10点の国指定重要文化財を有しています。本館は、このような充実した資料を多数収蔵する大学博物館として学外の研究者からも高い評価を得ています。本館には、前述の三つの機能を果たすため、展示公開のための展示室、博物館学課程の実習室を兼ねた展示準備室、調査研究のための調査研究室、恒温恒湿度管理がなされた収蔵庫・一時保管庫、虫菌害駆除のための燻蒸室などの施設を有しています。とりわけ調査研究室には、軟X線や蛍光X線などの非破壊検査装置、デジタルスコープ、赤外線テレビなどの機器も整備され、収蔵資料の調査研究に備えています。これら諸設備と収蔵資料内容によって、京都府教育委員会より博物館法に基づく「博物館相当施設」として指定を受け、名実ともに「博物館」としての存在を確立しつつあります。調査研究結果の公開である展示は、毎年、4回の企画展と1回の特別展開催を原則とし、年間170日前後開館しています。企画展は、館蔵資料の紹介を主眼にし、春季企画展は「大谷大学のあゆみ」と題して本学の歴史を紹介する展示を、夏季・秋季両企画展は「仏教の歴史とアジアの文化」と題して特色ある館蔵品展を、冬季企画展は「京都を学ぶ」と題して京都にまつわる展観をそれぞれ開催しています。また秋の特別展では、特定のテーマに基づき、他機関からも文化財を借用して展観を実施しています。さらには、観覧者の一層の関心を喚起するため、また展示資料について理解の一助となるように、展観と関連させた公開講演会やギャラリートーク、博物館セミナーなども開催しています。
●2014年度特別展「戦国武将と神仏」
10月11日(土)~11月29日(土)
戦国時代と言えば、甲冑姿の軍勢が鬨(とき)の声をあげ、敵と味方にわかれて合戦を繰り広げた動乱の世を想起します。武田信玄や上杉謙信らの武将が各地で勢力を振るい、互いに覇権を争った群雄割拠の時代です。室町幕府の政権が牽引力を弱める一方で、一揆などの行動にみられるように、自治的な地縁結合の組織が形成され、民衆の力が大きく伸張した「下剋上」の時代でもありました。こうしたなか、戦国武将は絶え間ない戦いに勝利して領国の安定をはかり、支配者としての地位を確保しなければなりませんでした。そのため武将は、領国内の土地を家臣に分け与えたり、特権を付与して家臣団に編成し、知行高に応じて軍役を賦課しました。こうして新たな体制を築くとともに、軍事力の強化をはかっていきました。また、家臣相互の紛争を抑止し、領国統治を実現するために家法や分国法を制定しました。ここには、法秩序を維持する公権力としての性格がみられます。このように戦国武将は、たんに武力をもって支配すると言うだけでなく、家臣の支持や民衆の合意を取り付けるために、恩義や情義などにとどまらない政治思想を形成する必要がありました。その中心に位置づけられたものが、「神」や「仏」といった宗教的観念であったと思われます。彼ら武将は、そうした観念を身にまとうことによって、支配の正当性を主張するとともに、のちには、みずからを神格化することによって、天下統一のイデオロギーへと昇華させていきました。本展では、鎧や刀に表された神仏を紹介した「戦(いくさ)と神仏」、家法や起請文に込められた戦国武将の祈りを紹介した「祈りと契約」、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の神格化を紹介した「神仏と天下人」の三つのテーマを設定し、転換期における宗教的観念の諸相を広く紹介したいと思います。
※尋源館(じんげんかん)登録文化財
1913(大正2)年竣工。大谷大学のシンボル(旧本館)。1982(昭和57)年に内部を改装し、現在1階は教室、2階は会議室、総務部(校友センター)事務室、尋源講堂として使用している。尋源講堂では朝の勤行が行われている。大谷大学のシンボルである尋源館が2013年(平成25年)に100周年を迎えたことを記念して、今の尋源館と旧本館(昔の尋源館)を3D回転画像とペーパークラフトで再現しました。かつての本館がどのように変化したのか、3D画像を回転させてご覧ください。また、ペーパークラフト用データ(下記関連資料)を印刷すれば、尋源館と旧本館を実際に立体として作成できます。ぜひ製作にチャレンジし、二つを手にとって比較してみてください。
http://www.otani.ac.jp/news/nab3mq000003kuwb.html
・・・周囲の校舎は近代的な建築ですが、大きなガラス面に映る「尋源館」が、これまたたまりませんねえ。意図されているのでしょう。
・・・もっと赤レンガの建物が見たくて、地下鉄に飛び乗りました。