大学ミュージアム(22) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ぜひ行きたい大学ミュージアムがあって、またまたの京都です。今回は、JR「円町駅」から北へ散策しながらFWしました。駅の南側には「花園大学」がありますが、またの機会に行きたいと思います。


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【参考】花園大学歴史博物館

http://www.hanazono.ac.jp/museum

604-8456京都市中京区西ノ京壺ノ内町8-1075-811-5181

2000年(平成12年)、かねてより待望されていた歴史博物館が本学に創設されました。
本学の調査・研究活動によって蓄積された資料を広く公開し、大学教育および市民の皆さんの生涯学習に役立てることを目的としています。これからの大学の教育・研究活動は、広く社会に向かって貢献できるものでなくてはなりません。 花園大学歴史博物館は、こうした「開かれた大学」の中核施設として、今後もさまざまな事業を行っていきたいと考えています。

無聖館(情報センター〈図書館〉・歴史博物館・心理カウンセリングセンター・ホール・特別教室)1992(平成4)年完成HUMIC(ヒューミック)の愛称で親しまれ、知的好奇心旺盛な学生たちの人気の的が情報センター〈図書館〉です。充実した書籍数を誇るとともに、コンピューターコーナー、AVコーナーを備え、手軽に楽しく多様なメディアに触れることができ、学生たちの情報収集に活発に利用されています。大規模図書館に引けをとらない豊富な映像ソフト(映画、学習ソフト)をAVコーナーで視聴できます。2000年には4階に歴史博物館が開館、2006年には地階に心理カウンセリングセンター(HCC)を設置しました。

考古学部門本学考古学研究室が実施してきた発掘調査の出土資料を収蔵しています。京都市内最大の前方後円墳である伏見区黄金塚2号墳(4世紀末)の埴輪群、花園大学構内遺跡出土の平安京関係遺物、妙心寺境内遺跡出土の近世禅院関係遺物などが主要なものです。考古学資料によって古代から近世までの京都の文化を通覧できるのは、他にない特色です。

民俗学部門奈良県大宇陀町の農村集落から収集した民俗資料を中心に収蔵しています。その内容は、服飾・食事・農耕・山樵・手工・染織・諸職・狩猟・漁労・交通運搬・交易・社会生活・年中行事・信仰といった多分野にわたり、生活文化の諸相をほぼ網羅しています。

美術・禅文化部門近世を通じて禅林美術全体に強い影響力を持ち続けた、妙心寺派の傑僧白隠慧鶴の作品にはじまり、現代まで連なる禅画や墨跡を中心とした資料を展示し、豊かな禅文化の一端を紹介します。

歴史学・典籍部門本学文学部日本史学科が中心となって収集してきた多数の文献史料(古文書など)を収蔵しています。特に注目されるのは、中世の武家文書としてきわめて貴重な「俣賀家文書」です。また、「京都学コーナー」を設け、京都の歴史に関する史料を随時展示しています。


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・・・「大将軍商店街は2005年より、商店街が位置する一条通を「百鬼夜行の通り道」「妖怪ストリート」と銘打ち、様々な妖怪イベントを企画し、妖怪によるまちおこしをしています。

http://www.kyotohyakki.com/web_0317/top.html

◆地蔵院「椿寺」/京都市北区大将軍川端町2

正しくは昆陽山地蔵院といい、浄土宗の寺である。神亀3年(726)に、行基菩薩が聖武天皇の勅願によって摂津国の昆陽野池のほとりに建立した地蔵院が始まりという。その後、平安時代に衣笠山麓に移され、室町時代初期に戦災で焼失したが、足利義満が金閣寺建立の余財で再建し、天正17年(1589)に豊臣秀吉の命によって現在地に移った。地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、行基作の当初からのものと伝え、また、堂背後の板扉はもと北野神社にあった多宝塔の遺構とされる。書院の前庭には、かつて、有名な「散り椿」(文禄の役秀吉の朝鮮侵略)の際に加藤清正が朝鮮蔚山城から持ち帰って秀吉に献上し、さらに北野大茶会のときに当寺に献木されたもの)があったが、惜しくも枯死し、現在は樹齢約百年の二世椿が花を咲かせている。境内には、忠臣蔵で有名な天野屋利兵衛の墓といわれるものや、与謝蕪村の師にあたる夜半亭巴人の墓などもある。

・・・時間もないので「椿寺」だけ参拝して、さらに北上。


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◆嵐電「北野白梅町駅」

http://randen.keifuku.co.jp/

この辺りの地名であるが、北野とは、元来大内裏の北側の原野のことであり、古くから神聖な場所と考えられており、現在の北野天満宮の辺りをす。白梅町も地名であるが、豊臣秀吉が千利休らを集め、壮大な梅林で大茶会を開いた。後々、梅林や茶席の名が地名・町名として伝わったといわれている。

・・・これに乗って「嵐山」まで行ってみたいなあ、と思いつつ「平野神社」へ。

◆平野神社

http://www.asahi-net.or.jp/~cr8y-httr/hirano/

603-8322京都市北区平野宮本町1075-461-4450

古くは桓武天皇(第50代)の生母・高野新笠の祖廟として平城宮で祀られ、桓武天皇による平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたとされる。当社は皇太子守護の性格を持つ神社で] 、平安時代には例祭「平野祭」には皇太子自らによって奉幣が行われた。また、多くの臣籍降下氏族から氏神としても崇敬される神社であった。現在の本殿は4殿2棟から成るが、「平野造」とも称される独特の形式の造りであり国の重要文化財に指定されている。また境内は桜の名所として知られ、「平野の夜桜」とも称されている。


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【参考】大阪市中央区「平野町」

平野町の名前の由来は定かではないが、御霊神社の祭神、早良(さわら)親王が京都の平野神社に祀られていたことからこの界隈が平野とよばれるようになったとされている。


・・・なんと、サクラが咲いていました。気分よく「北野天満宮」へ。


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◆北野天満宮 http://kitanotenmangu.or.jp/

602-8386京都市上京区馬喰町075-461-0005

「北野の天神さん」と親しまれている北野天満宮は、天暦元年(947)に創建され、平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公をお祀りする全国に約一万社御鎮座する天神社・天満宮の宗祀(総本社)の神社である。現在は、特に学問の神様としての信仰篤く、学問に勤しむ多くの学生が参拝に訪れる。国宝・本殿は慶長12年(1607)に豊臣秀頼が造営したもので八棟造と称され絢爛豪華な桃山建築。菅公が殊のほか愛でられた梅と紅葉の名所でもある。毎月25日は縁日で、境内には多くの露店が立ち並び賑わいをみせる。

●もみじ苑

苑内には、豊臣秀吉公が京都の四囲に築造した御土居の一部が当宮の境内に残り、史跡に指定されている。御土居一帯にはおよそ250本、樹齢350年から400年のものが数本あり、赤や黄に見事に染まった木々が紙屋川の水面に映え渡り錦秋の世界へ誘う。

・・・まだまだ紅葉本番ではありませんが、ちょっとここで一服。