・・・私たちの生活に欠かせないのが「水」、大阪府庁本館の前、大阪城の堀端に素敵な建物があります。通るたびに眺めてはいますが、今回じっくり観察してみました。
◆大手前高地区配水喞筒場/大阪市中央区大阪城3-24
竣工年:昭和6年(1931)設計:宗兵蔵/鉄筋コンクリート造り、平屋建て、地下1階。
大阪では1822年以降、1858年、1879年、1890年にコレラが大流行し、いずれも多数の死者を出した。特に文政5年(1822)、安政5年(1858)の流行が道修町の神農祭を生んだことはよく知られている。そして明治23年(1890)の大流行をきっかけに大阪の近代上水道は整備されたのである。別にうまい水が飲みたかったからではない。コレラ流行阻止のために大阪市が年間予算の約三倍の費用を投じて大阪城内に建造した近代上水道施設。計画を指揮したのは日本最初の近代上水道を横浜で完成させた英国陸軍工兵少佐、H.S.パーマーである。その構想とは桜ノ宮水源地で取水された清潔な水を大阪市内で最も標高の高い大阪城本丸の大手前配水池までポンプで汲み上げ、自然流下で市域へと給水するというものであった。主要な取水場は大正3年(1914)、桜ノ宮から柴島へ移ったが、パーマー少佐が設計した大手前配水池は今でも現役で使われている。大手前配水池の水を市域へ給水する配水管は陸軍大阪砲兵工廠製である。火砲の製造を得意とするこの極東アジア最大の兵器工場は兵器の他、有閑期には大砲製造技術を生かして水道管や花火などの民生品も製造していた。当時設置された西日本主要都市の水道管の多くは大阪砲兵工廠製だったという。そして昭和6年(1931)に、大手前配水場高地区喞筒(ポンプ)場が竣工されました。
・・・このような歴史を知ることは、建物の意義そして本来の美しさを知ることにつながります。
昭和初期に建てられ、今も現役の大阪市役所水道局大手前配水場の高地区配水ポンプ場です。全面タイル張りで、レンガ積みのように、幅の違うタイルを交互に使い、アール・デコ調のデザインを感じさせる、王冠のような飾りがあります。設計は、関西を中心に多くの建築物の設計を手がけた宗兵蔵。現存する主な作品は旧帝国奈良博物館(1894年、奈良国立博物館)、旧柴島浄水場第一排水ポンプ場(1914年、水道記念館)、難波橋(1915年)、旧制灘中学校校舎(1929年、灘中学校・高等学校本館)、莫大小会館(1929年、メリヤス会館)、生駒時計店(1930年、生駒ビルジグ)などがあり、いずれも濃密な装飾を施しているのが特徴です。この建物は公共設備のため控えめですが、細かなところに宗さんらしさが出ています。
(1)Halftecture大阪城大手前/設計:遠藤秀平
両端を三角にした一枚の鋼板を屋根にしています。自重でたわんでいるのが、外観の特徴です。そして鋼板によって出来た空間に白い箱を置き、トイレになっています。大手前(正面)にあるトイレですから、一番目立つトイレです。
・・・公園で重要な場所と言えば「トイレ」かもしれません。大阪城公園には、遠藤秀平さん設計のトイレが3つあるのですが、「レストハウス」といっしょになっている「トイレ」だけが未確認だったので、気になっていたのです。
(2)Halftecture大阪城レストハウス/設計:遠藤秀平
公園内につくられたレストハウスと一体になったトイレです。鋼板の屋根を三本ずつ束にした柱で持ち上げて、その下にレストハウスとトイレスペースを設けています。中央には屋根をオープンにした円形広場として、三方向から出入りできるようになっています。
・・・いい感じです。
(3)Halftecture大阪城城南/設計:遠藤秀平
「Halftecture大阪城大手前」と似たデザインですが、こちらは鋼板を折り曲げています。また、両端の三角もこちらにはありません。
・・・どうして遠藤さんの建築が気になるかは、次回へ。